最終・・・講義
明治前後に生まれた人なら人生50年といってもおかしくないが、今では日本は男女とも世界の長寿国だ。老夫婦には違いない自分たちであるが、私はきのう今日、ジーンとこたえた日であった。昨日の朝、主人が「学校に行ってくる」と言った。授業のある日ではないのにと思いながら黙って見送った。夕方帰宅した主人は大きな花束を抱えている。「学生たちがくれた。今日が最終講義だったんだ。」
あまりにも淡々としている主人、私は自分が恥ずかしかった。現代のというよりどちらかといえば漱石の生きた時代の雰囲気をもっている男である。自分の仕事について妻には立ち入らせないし職場の話は殆どしない。定年退職するまでに一度だけでも主人の大学研究室に行ってみたいと頼んだこともあったが、笑って拒絶されてしまった。しかし今日が最終講義の日だったとは、それも知らず、ああこの一日、自分は何をしていたのか。
世間では不倫ということが往々にして取り沙汰される。男性が生涯にわたって一人の妻を裏切らずに生きて来たということはさほど多いことではないだろう。文学において女と酒はつき物であったが、漱石先生は違っていた。「第一義」を「誠」においた人であった。そしてこうした言葉を口にするのはおこがましいことと思うが、私の主人もそのような男である。悪妻からすれば来世も共にという想いがあるが、これは又やんわりと笑って拒絶されることだろう。
主人の研究は退職後も継続される。常に心変わることなく地道に2000年前の文献を探求し構築してゆく・・・。学生たちの祝福のカードを読ませてもらいつつ私は幸せにひたっていた。
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