愛子さま
皇室のニュースでは皇太子ご夫妻のお子様の愛子さまが大人気である。笑顔もしぐさもたまらない位愛らしい。一般に産まれた女児の名前に「愛子」の名が急増しているというのも頷けよう。古くからの「和顔愛語」という四文字は自分でも大切にしてきたものだ
けれど、もう一人、漱石の第四女に愛子さまがいらっしゃる。
随筆『永日小品』の「猫の墓」に出て来る最後の一節は読み返す毎に哀切である。
この方は父漱石にもっとも可愛がられたようだ。道草」の連載がはじまった頃鏡子夫人は次のように書いている。「4番目の愛子というその頃十か十一かだった娘が、或る時夏目に申します。
「お父さんたら、伯父さんのことや人のことばかり書かないで、もう少し頭を働かせなさい。」
夏目は笑いながら、
「この奴、生意気なことをいう。そんなことをいうと、こん度はお前のことを書いてやるよ。」
などとからかっておりましたが、、、、。」
愛子さまは後に、末娘から見た父漱石の素顔と題したエッセイで、父へのかぎりない尊敬をこめて臨終のさまをこう綴ってている。漱石が描いた「達磨渡江図」について。
「暗い夜に、手も足もない達磨がただ一人小舟に乗って、どこから来てどこへ行くのか?流れのままに身を任せて行く、そんな絵であった。自画、自意識を捨て、天意のままに生きているこの達磨の絵、これこそ彼の理想ではなかったか?
晩年父が達せんとして達し得なかった境地がここにあったのではないか。自然に逆らわず、あるがままの姿で生きて行く。そうした澄み切った心境こそ晩年の父漱石があこがれていた境地ではなかったろうか。父の「泣いてもいいんだよ」と言ってくれた死際の言葉と、この絵とは、なにか相通ずるものがあるように思えてならない。かわいがっていた子供が、自分の死を悲しんで泣いている、漱石はこの末娘が泣くのがつらくていやなのだ。しかし、「なくのはおよし」と言う代わりに、「お前の気がすむならそうおし、お父さまはかまわないのだ」父は臨終の苦しみの内にさえ、己を去り、娘の涙を自然のままに流させてやりたいと願ってくれたのではないだろうか。」
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