白雲自去来
昭和五十年九月二十五日発行の『別冊太陽』は、日本のこころ32として夏目漱石を特集している。この頃は出版社の誇りが感じられる入魂の紙面造りで特別付録がまたふるっていた。
漱石自筆書画は三枚とも和紙で印刷もよい。漱石自筆原稿「ケーベル先生の告別(複製)」もしっかりした和紙を使用している。台紙原稿用紙とも漱石山房の写しであるのがうれしい。紅野敏郎氏の解説が小さくついているが、その中の一節に心惹かれた。
漱石は、二度までケーベルについて、小宮豊隆の言葉に従えば、「円味と気品としをりとさび」とから組み立てられた文章を書いた。この生原稿を見ていると、「さようなら御機嫌よう」という言葉が、なんと落ちついた、生きた日本語として使われていることか。別れても、地球上の何処にいても、心はつながっている、という感が深い。「天然自然」という言葉も加筆されているが、この生原稿の加筆自体、漱石らしい味が出ている。ケーベルの生活の古典的な静謐、それは晩年の漱石の実生活における願望の一つといい得るものだ。
解説も名文である。こうした雑誌の定価が当時2千円だった。とすると今は代価に値する雑誌がどれくらいあるのだろう?
今日の画像は「雲去来」の三字である。この語は禅語の「青山元不動 白雲自去来」から採られたものと思われる。私自身この語にはどんなに励まされたかわからない。
二十代のころ病弱だった私は大手術を受けたことがあった。禅の恩師はその時この語を短冊に書いて贈って下さった。青山元不動白雲自去来 (青山もと動ぜず 白雲おのずから去来す)
その時の私は、この語の上に日本の古歌をひとり重ねていた。
晴れてよし曇りてもよし 富士の山 もとのすがたは 変わらざりけり
| 固定リンク
« 二宮金次郎の石像 | トップページ | 水仙 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント