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2003年2月10日 (月)

「禅堂風景図」


井上禅定さまの特別寄稿『鈴木大拙と夏目漱石のこと』を自分の手で編集させて頂きながら、漱石が書いた禅堂の絵のことが気になって仕方がなかった。

あの絵を原稿のなかに挿入したほうがいいか、考えては行きつ戻りつした。結局この場に掲載することであちらのページは原稿を生かす意味で背景画像の睡蓮を使用することにしたのだった。

作者の死後五十年経てば著作権は消滅するという。この点は公共性ということで社会に還元されるのだろう。私などにもたいへんな恩恵を受けている。

絵というのは、「禅堂風景図」と題した彩色画で大正二年ころの作品である。禅定さまが本文でお書きになっているように、漱石が鎌倉へ行き円覚寺山内帰源院に投宿し釈宗演老師に参禅したのは、明治二十七年暮れから正月七日までであった。

この時の参禅の体験がなければこうした絵は描けなかったであろうと思われる。中国の禅堂でキョクロクに坐った老師は払子(ホッス)を手にしているがその目は厳しい。若い修行僧は真剣なまなざしであるがどこかたじろいでいる風だ。

敷き瓦の堂内といい、中国様式の雰囲気がなかなかよく描かれていると思う。大正五年の正月『点頭録』に「趙州の初発心」を祈りにも似た想いで書き綴っている漱石は、二十年近い昔の体験を常にあたためていたのではなかろうか。



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