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2003年2月23日 (日)

二宮金次郎の石像


 内村鑑三が著書『代表的日本人』のなかで、19世紀末欧米諸国に対し「日本人の中にも、これほどの素晴らしい人物がいる」と苦難の時代を救った偉人として書いているのが、二宮金次郎だ。

日本の公立小学校では殆ど二宮金次郎の石像が建てられていた。私は子ども心に「働きながら勉強したエライ人」ということ位にしか知らなかったが、学校の校庭にあるその像には畏れ多い気持ちは抱いていた。けれども昭和も後半から平成へと移り、学校はあれよあれよという間に変わってしまった。

昨日は雨だった。午後から室町蛸薬師にある京都市芸術センターに行った。ここはもと京都市立明倫小学校。呉服商の建ち並ぶ町で明治はじめ頃竣工したという歴史ある小学校であった。けれども児童数の減少で先年閉校の憂き目に会った。それが市民に役立つようにと芸術センターとして改装、現在大いに活用されている。

私は内心、日本の小学校でこれほど贅沢で立派な木造建築を造った処はなかっただろうと思った。さすが豪商の多かった室町だ。地域の多大の寄付があったに違いない。庭にある石すら選び抜かれた銘石だし、子供向きではないにしても情操教育にはまことにすばらしい。本物をみる目が養われるだろう。

最初門を入って暫く行くとなつかしいものに出会った。薪を背負った二宮金次郎が手には本を広げている。今も変わらずにあるのだなあ、と私はしばし立ち止まっていた。写真を撮ろうと近づいてみると本の上になんと十円銅貨がたくさん置かれているではないか!神社仏閣のお賽銭のつもりだろうか・・・。それを置いた人は善意かも知れないがやはりここは学校ではないと思った。

いや、ひょっとすると、今の日本の学校、児童生徒学生、家庭環境、教育に関する社会ぜんたいの、すがたなのかも?

「毎晩独学で勉強していた金次郎。夜間読書をするために必要な明かりの原料を得るため、荒地に自分で菜種を植え、たった一握りの菜種から7~8升の菜種油を得た」ことから「積少為大:せきしょういだい」を説き、農民と地域住民へ献身した金次郎!

もう一度ここから出直す、それは昔物語に過ぎないのだろうか。しかし日本の将来をみて今一度自分の事として考えてみるのは、いかがであろうか。


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