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2003年3月 4日 (火)

ナンテン 弥生の雪 2


 
ところが長兄次兄が亡くなり三兄はぐうたらでものにならない。長兄の「漱石を準養子にする」という遺言があったことも父が漱石の復籍に乗り出した要因でもあった。復籍の条件となったかの有名な「書類」は現存している。

 漱石が夫婦喧嘩の地獄絵巻の中から救い出され、実家に引き取られたのは多分10歳の時であったであろう。と、松岡氏は書いている。
 日本にとって家というものが最も重大であり、人々もその制度を厳守していた明治時代である。

 私は何よりもこの事実から目をそらすべきではないと考える。
 松岡譲といえば、その著書『敦煌』においてもきわめて正確な記述だと高い評価を受けている作家である。作家というよりもむしろ学究といったタイプの方ではなかっただろうか。

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