『道草』の装丁
『こころ』の装丁には漱石の美意識が十二分に発揮されている。その審美眼は「気品」があってしかもやさしい雰囲気がただよっている。鏡子夫人からシナ趣味ときめつけられた漱石だけれど、たしかに漱石は漢学・絵画等中国の古典を学びそれを自分のものにしている。
岩波から初版復刻版が出た折購入していたこの『道草』、その装丁をデジカメで写してみた。京都の津田青楓が描いたもので春をおもわせるはんなりとした表紙である。花々のなかにいる青い鳥もうつくしい。
漱石は『こころ』では、荀子の文を引用してみずから装丁を手がけ内容を表現しているが、孔子ではなく荀子であるところが注目される。これは性悪説を採っているからだ、と私は叔父の老師から教えられた。
表紙の装丁にはいずれもそうした心配りが出ていると思う。そして、絵の上では師匠であった青楓も当然漱石の意図を知らなかったとは思えない。道草の装丁のなんとやわらかく安らかであることか。青い鳥が身辺にいる描写もほっとするものがある。
漱石の二男でいらした夏目伸六氏は、父君の幼年時代母千枝の出生を書いた記述は鏡子夫人のも松岡さんのにも間違いがあると『父、夏目漱石』のなかで述べている。
親戚のことを直接聞いたのちに新たに公表された伸六氏の誠実さを私は感じた。
また大岡昇平の『小説家夏目漱石』、伊豆利彦氏の『夏目漱石』は共感をもって読み直させていただいた。大岡氏によると『道草』は個人的な伝記としてより小説として捉えておられる。私がいぜんから感じていたことでもあり、私小説を超えた作品であることが素晴らしい。
そしてその大岡氏はとりわけ伊豆氏の論文を賞賛されているのであった。出来ることなら多くの方々に、伊豆利彦著『夏目漱石』を読んで頂きたいと私は思う。
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