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2003年4月 4日 (金)

月をみる 月を指す 指


 中国古典によく出てくる「寒山拾得」の画題、漱石はそれを「無題」として1913年(大正2)に描いている。この絵は漱石も気に入っていたようで漱石山房の壁にかかっていたという。

 拾得はさる名僧に拾われた乞食であった。寺では常に箒をもって作務をし、その拾得から残飯をもらう寒山は巻紙に筆をもつ詩人となった。この絵は寒山が月を指し示し月の光のもとに歓喜するふたりの姿が素朴な筆致で描かれている。

 「画でも書でも自分の部屋にかけるものは自分でかいたものが一番いい。」と漱石はいったと伝えられる。巧拙の問題でなく端的にこころが滲み出ているものがいいのだ。寒山拾得の求めたものはただ月である。しかし俗世間ではそれを指し示す人の指が重要視される。

 漱石の学位返上問題は当時さまざまな批判を受けた。漱石自身は学位によって学問の世界に世俗の価値判断が起きることを憂慮したのであろう。自分はただの夏目なにがしでありたいと彼は望んだ。

 漱石のような偉大な学者では決してないけれども、私は主人の性格もこうしたところにあるような気がしている。定年退職に際して勤務した大学の哲学会から記念の会報を出して頂いた。そして私はそれを見たとき心外でならなかった。主人の経歴に京都大学から授与された論文博士の事実も、大学院文学研究科長を歴任した記録もまったく記載されていない。主人に尋ねると、「わしは学生をちゃんと教えることだけが大事だ。」と言う。

 お付き合いのある教授の方ににメールで問い合わせたところ、「先生からご提出いただいた履歴書・研究業績書に基づいて、略年譜を作成され」「幹事の先生(新米の方でした)にすべて委託されたのは今回、先生が初めてでありました。」「しかしご指摘のあった点は、ごもっともなことで」とお詫びの文言。

 こうした割り切れない思いをもつ愚妻に主人はむしろ怒りを覚えるかもしれない。けれども世事の名誉には無頓着でただ月に向かって歓喜する寒山拾得の境涯を私はひそかに主人と重ね合わせてしまう。先に頂いたメールにはさらに次のことが書かれていた。

「先生の歓送会を計画・準備をされた幹事の方は、先生のご欠席ということでがっかりして肩を落として予約をキャンセルされ、本当にお気の毒でした。」

 いっこく者という言葉は現代でも死語になってはいないようだ。

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コメント

吉田様

>私も夏目漱石が大好きなのですが、この、漱石が描いたという寒山拾得の絵は、今どこにあるのでしょうか?どこで見られたものなのでしょうか

それは県立神奈川近代文学館にあるのではないかと思います。夏目純一氏夫人が漱石の遺品をまとめて寄贈されたのが県立神奈川近代文学館でした。

拙サイトに過去ログがございますからご参考までに。
http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/sousekitenni.html

投稿: tsubaki wabisuke | 2008年2月 2日 (土) 22時31分

突然失礼致します、吉田と申します。
インターネット上を徘徊していたら、ここに辿り着きました。
私も夏目漱石が大好きなのですが、この、漱石が描いたという寒山拾得の絵は、
今どこにあるのでしょうか?どこで見られたものなのでしょうか。

お答えを頂戴できれば幸いです。

投稿: 吉田 | 2008年1月28日 (月) 19時06分

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