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2003年4月15日 (火)

人の心は昔のままでした


 北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさんが14日記者会見で読み上げた文は、聞く者の心をゆさぶらずにはおかないものであった。政治的には対立状態の両国であり、解決に向けて今後どうなっていくのか不安
だが、ひとみさんの一言が救いを感じさせて嬉しかった。

「月日は長く長くすぎていたけれど、人の心は昔のままでした。本当に帰ってこられてよかった。」

 日本人は古来変わらぬ心を尊ぶような民族ではなかろうか。自分の思想や言動をを百八十度転換して恥じることのない人物を、あれは「変節の士」だと言って断をくだす。若い世代にはこうした思いはもうないかも知れないが、今の世にもあってほしい良識だと私は思う。

 イラク戦争でフセイン大統領の銅像がひきずり下ろされた時寄ってたかって足蹴にしたイラク民衆の映像がテレビで流された。プロパガンダの怖ろしさと共に人心の怖ろしさ哀れを感じさせた。

 日本の敗戦時には全く見られなかった光景であろう。敗戦の民は苦難に耐えてなお自他への敬愛の心を持ち続けたのではなかっただろうか。日本人は12歳の少年だとマッカーサーは傲慢に言ったが自らは左遷され日本を去った。

 政治はまさに食うか食われるか弱肉強食の世界のようだ。ペルーのフジモリ大統領の場合を考えると複雑な思いがする。天文学的数字であったペルーのかつての財政赤字を奇跡的に救ったフジモリ氏。氏あるが故に経済援助を惜しまなかった日本政府。ところが政敵によって失脚するや一転して犯罪者の汚名。

 人心の移ろいやすさ、過激で酷薄な国民性という感を植えつけてしまったペルー。こうした余りにも露骨な変心を思うとき、この世を「火宅」と説いた仏典のことばが身にしむ。
 
 しかし、日本人の美意識である「もののあわれ」はどうなのだろう。今もなおこの国と人々の誇り得る貴重な財産のように、私には思えてならない。

 今日の画像は京都市の花に指定されているしだれ桜、木のてっぺんのほんの一部をカットしてお茶を濁した。



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