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2003年5月28日 (水)

ジョージ ラウターシュテイン


 George Lauterstein この名前を自己流でカタカナになおすとタイトルのようになってしまった。
ジョージ。これでは間違ってますか?
直接ごご本人にお聞きしたいと思いながら、それもできないままにあなたは急に逝ってしまわれた。

 拙サイトゲストギャラリー「あなたの撮った茶のある風景」を作成するにあたり、ネットで知り合った写真家の方々に声をかけてご協力いただいくのが常であった。

 先に登場されたBさんがアメリカ人で親日家の写真家がいるからと仲介の労をとってくださった。それがジョージだったのである。こちらは写真のイロハも知らないしろうとだ。こんな私で果たして承諾されるだろうかと半ば諦めていた。

 ところが、彼は意外にも私のサイトがお気に召したようで、わざわざスイスにとんでいって撮りおろし写真を送ってくださったのだ。
 第1回2001年2月3日 、第2回 2001年4月22日。私は感激のうちに自分の手で編集しUPしたのであった。

 この時、一期一会の心というものを無言のうちに私は教えられた。茶を知らなくても彼は立派な侘びの人だと思った。ギャラリーに出展された後彼からのメールは度々、「あなたに我々は感謝します!」と書かれていた。彼の最愛のチェリール夫人がいつも蔭で私たちの交際を支えてくださった。

 今日の画像は彼の撮影になる「水と岩石」である。私はこの別館漱石サイトができた時、彼に「石と水のペンネームをもつ日本の作家にふさわしい画像を送っていただけませんか?」と厚かましくお願いしたことがあった。

 彼はトップページの漱石を見て「どうして私が彼の為に協力しなければならないのか!」とおかんむりだった。ああ、私の言葉足らずだった。あわてて「彼は1867年に生まれ、1916年に死んだ日本の文豪である。」とメールしたら、「すまない。私は大変な誤解をしていた。私を許してほしい。」とのお返事。

 チェリール夫人は私たちのメールのやりとりをにこにこと見ておられたようだ。お二人とも爽快なテキサス魂といえばいいだろうか。テキサスの人里はなれた山中に住んで、東洋の高士ともいうべき清貧の生活をしておられたジョージ夫妻。

 いまはジョージのご冥福をお祈りするばかりである。


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