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2003年5月 6日 (火)

風かおる 鎌倉漱石の会


 みどりの日の4月29日、私は鎌倉漱石の会へ出席するため前日から北鎌倉へ滞在していた。正確にいえば28日午後に東慶寺へ、閑棲の井上禅定さまとの面語。水月堂のほか茶室寒雲亭も見せていただき、室内撮影厳禁であるはずのところをカメラにおさめた。

 それから墓苑にお参りしたいという私に禅定さまは竹杖を持ち出して自ら広大な墓地に案内してくださった。山と谷のなかに造られた墓苑は呆然とするほど清浄でうつくしかった。林立する杉の木は釈宗演の後継者・古川尭道老師が明治に植えたのだという。

 私の参禅の師であったT老師は尭道老師のもとで修行した人であり禅定師とは兄弟弟子にあたる。二人でゆっくりと歩きながら古い記憶を辿り懐旧の情にひたるのであった。その一部分は「東慶寺墓苑を井上禅定師と」と題してUPした。

 夕刻には、七里が浜の宿舎へ移動し一泊。窓からのぞむ夕日、翌朝の海の景色もけっこうであった。早朝に東京を発ってこの宿を訪ねてくださったミモザさんと食堂でバイキングの朝食。それから又この前の時のように私を帰源院まで引っ張って行ってくださった。

 午前11時、待ちに待った漱石の会講演は伊豆利彦氏。演題「『道草』とその前後」出席者は帰源院の本堂に入りきらず庭に置かれた椅子にて熱心に聴講されている。出席者数340名の盛況。

 伊豆氏の話し振りはごく日常的なくだけた調子であったが、内容は漱石文学の核心にふれるもので後々まで考えさせられるものであった。拙サイトの掲示板でいっとき話題になったが、『道草』は伝記であり主人公即漱石だとする従来の見方に対して伊豆氏は明快に所論を述べられた。

 「だろう。」というのは漱石ではない。話者が書いている。話者と漱石とは別。姉の目、細君の眼、学生の目、漱石がその声色をつかう。虚構の中に人間を平等に見た。

 伊豆氏は<その後>として『点頭録』を挙げられた。今まであまり顧みられなかったこの一編は氏が早くから注目されていたものであった。そのため私は青空文庫に入力をお願いしたところ、熱心な工作員の方々のご尽力で現在では漱石作品にデータ化されている。

 風かおるこのよき日、本来なら勲3等の叙勲を受けるはずのところ、伊豆氏は辞退されたのだという。たしか大岡昇平氏もそうだったなあと私はどこか明るい気持ちになった。
日本はやはり自由のあるよい国である。

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