乙卯, 大正四年 西暦1915,
漱石が落款に書いた乙卯とは、大正四年 西暦1915 のことであった。易のほうを調べるとじつは今日が同じ干支になるという。年であれば、1975,乙卯,昭和五十年ということになる。ただ、日というものにも干支があるそうでこれには驚いた。
大正四年春、それは3月末から四月にかけての京都旅行である。私はこのnoteブックランデエヴウにも水仙の画像と共にそのことを書いた。
しかし、落款のことから干支を調べるきっかけになったのが思わぬ偶然につながったのである。今日の干支も同じく乙卯(きのと う)だ。乙は木の弟になる「きのと」。卯「う」は木性の陰になる兎だという。
今日という日は旧暦では5月12日にあたるらしい。腐草為蛍と書かれているのは今日から蛍が出るということなのだろうか?そして入梅。私はとりたたて易を信じるわけではないが、日本の伝統を考える上でここを通り過ぎることは出来ないと思う。
4月に鎌倉漱石の会へ行き、帰りは北鎌倉から横浜まで同道した方があって、方向オンチの私を助けてくださった。その方はこんなことを話された。
「経済学のほうでは、見えざる神の手といいますが覚えておいてください。。」
「そうなんですか。今日も見えざる神の手が…。ああ、おかげさまで。」
「ははははは」
「でも、日本経済のこの不況を神はご覧になってるのでしょうか?」
「神の手が働いていないんでしょうな。」
頂いた名刺を見ると某大学経済学部教授とあった。たのしかったひと時の会話を今日ふっと思い出した。
今日の画像は漱石先生のデスマスクである。
哲学者を思わせる深い思索的は表情には慈愛が感じられ、こころに強く迫るものがる。(東北大学附属図書館)
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