両方に ひげのあるなり 猫の恋
漱石が結婚したのは新夫30歳、新婦の鏡子夫人は20歳の時である。今の女性で20歳で結婚するのは珍しいほどの早婚ということになるだろうが、当時としてはごく普通かむしろ遅いくらいであった。
夢多き新妻に漱石は一つの宣告を下したという。
「俺は学者で勉強しなければならないのだからお前なんかにかまっては居られない。それは承知していてもらいたい。」
鏡子夫人は『漱石の思い出』でこう語っているが、明治の女なればこそこうした夫の意向にも甘んじて耐えられたのであろう。お嬢さん育ちの花嫁には厳しい新婚生活であったようだ。
機嫌のよい時には、俳句をやってみないかと漱石は妻に話しかけた。ある時漱石は俳句の本を読みながら転げかけて笑っている。何が可笑しいのかと夫人が訊ねるとこの句が可笑しいと言って一句を示した。
「 両方にひげのあるなり猫の恋 」
鏡子夫人も「こちらも一つけちをつけるつもりで」、どうせ相手が猫なんですもの、両方にひげのあるのは当たり前じゃありませんかと応酬する。結局は、だからお前には俳句がわからないんだって愛想をつかされてしまいました。となった。
いかにも表面では邪険にみえるようだけれども、そのじつ新婚家庭の和やかさとユーモアが伝わってくるヒトコマではないだろうか。思えば、当時女性が男性と同じような格好をしていること自体、なんとも不思議でおかしなものだったのだろう。
現代なら事情は確実に変わっている。猫の場合はひげがあっても自然のままだから問題にはならないけれども、こと人間になると一口には言えない複雑な内容になるのかもしれない。
新婚時代の漱石夫妻のこうしたエピソードに、私は明治という時代のおおらかさとあたたかさを感じてしまう。
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