祇園まつりはインターナショナル
ごずてんのうさんて、知ってはりますか?
天皇家の家系図みてもあらしませんえ。
祇園祭りのご祭神はほかならぬ牛頭天皇なのであって、今ではスサノウノミコトが牛頭天皇となってるんだそうだ。神話の世界だからおっとりと聞いておくほうがいいのだろう。
八坂神社によれば、「天照大神の弟のスサノヲノミコト(素戔嗚尊),その妻,クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)が,一説に都に流行る疫病を静めようとインドから牛頭天皇を呼び寄せ,66の鉾を神泉苑に送ったことに始まる。」という。
そうなるとご祭神はインドにおわしたのだ。牛の頭とどういうカンケイがあるのか、こちらもおっとりと聞いて来たので今もって分からないでいる。
ところがまだ面白いことがある。
「八坂の名のとおり高麗から渡来した八坂氏の社と社伝にはある」と言い、また
「花街・祇園は江戸中期に門前の水茶屋から発展したもの。」ともいう。
祇園はもともとインドの精舎の名であり、富裕な商人がブッダに帰依し寄進したものであった。
しかし、高麗から渡来した八坂氏…、となればこれはますますもってインターナショナルではないか。私はすこし動揺していた。もっとも京都という土地は渡来人の影響が濃いのはよく知られているが、祇園祭までもがそうであるとは!
京都町衆、日本における民主主義の歴史の一コマである祇園祭。これは京都人にとって何よりの誇りなのだ。
去年の宵山には洋服で出かけ写真を撮ってきた私だけれども、ことしは久しぶりに浴衣を着て行ってみよう。
今日の画像は、茶席内の鉾の飾りである。つい先日京都美術倶楽部で席主の「どうぞ撮ってください。」の声にほっとした。
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