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2003年7月 5日 (土)

本番 泥縄の歌


 いよいよ本番の日がやってきた。先に書いた泥縄の歌よみの本番である。それには先ず、今日という日がなんの日であるかに触れなければならない。

 裏千家十一代玄々斎精中(1810~1877)は、 幕末から明治の変動の時代に、「茶道は遊芸にあらず」とし、「忠孝五道を精励し」「貴賎衆人親疎の隔てなく交会」するものとして『茶道の源意』を書いているひとであるが、今日庵のみならずひろく茶道界に偉業を成し遂げた宗匠であった。外国人を迎えるための椅子式の茶礼を創案したのも玄々斎である。

 もとは三河領主の松平家に生まれ、10歳で裏千家十代認得斎の養子として迎えられたという。わずか10歳で実の母とも別れ他家に入った少年の胸中はいかばかりであっただろう。それを救ったのは養母となった認得斎夫人の愛情と傑出した教育であった。

 漢学をはじめとしてあらゆる学問・教養を身につけた玄々斎は17歳で裏千家十一代当主となる。今では考えられないようなことではなかろうか。よき人びとの広範な輪にも恵まれた。

 尾張徳川家、なかでも十二代の斉荘(なりたか)は、この玄々斎精中宗室に茶道を学んだ。ともに同年齢であったという。
 友人であり師弟でもあったふたりには茶道を媒介として深い信頼関係があったようだ。

 さて、こうした玄々斎精中という裏千家中興の祖と十三代十四代の歴代宗匠をおまつりし、供養する毎歳忌が今日の精中忌なのである。
 宗家において神聖な座敷である咄々斎、その八畳の間で七事式という協働の点前をご奉仕させていただく。
 いつものことながら緊張と感激の瞬間である。


 本番に私に与えられた花は、白京鹿の子であった。
 この花と紫の桔梗を一輪、花台から取り出して、私は竹花入れにそっと挿した。
 それから懐中していた短冊を出して歌をしたためた。

白京鹿の子 
        十歳にて今日の庵にきたまいし 
                  大いなる君 白京鹿の子 

 京鹿の子の京と、今日庵のキョウをかけて私は玄々斎への手向けの歌とさせていただいた。
 泥さんの縄はなえたのかどうか、どうも自分ではわからない。

 それでもお家元は、「みんなが玄々斎に手向けてくれてありがとう。」と、おっしゃって文台に載せた五枚の短冊を床の間に飾ってくださった。
 ただ感謝あるのみ!
 



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