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2003年8月 4日 (月)

黒猫の因縁


 黒猫といえば先ずポーの小説になるだろうが、日本ではなんといっても漱石であることは誰しも異論はないと思われる。

『吾輩ハ猫デアル』の序に、猫に対してじつに細やかな心情を書いているのを見ると、昨今テレビなどで評論家が「飼い主とペットはパートナーの関係でなければならない」と弁じているのが、何を今更と笑ってしまう。

 その「序」にはまさしく人間と猫との因縁が同じ生き物として書かれているのである。

 此書は趣向もなく、搆造もなく、尾頭の心元なき海鼠の樣な文章であるから、たとひ此一卷で消えてなくなつた所で一向差し支へはない。又實際消えてなくなるかも知れん。然し將來忙中に閑を偸んで硯の塵を吹く機會があれは再び稿を續ぐ積である。猫が生きて居る間は――猫が丈夫で居る間は――猫が氣が向くときは――余も亦筆を執らねばならぬ。

 明治三十八年九月  夏目漱石


 じっさい漱石はこの書物で一挙に人気作家として売り出したのだから、因縁は深かったのだ。

 私が好きな文章に、『硝子戸の中』で猫と自分を重ねあわした箇所がある。猫はひどい皮膚病にかかり、漱石は大病で入院する。これはその後の記述である。運よく漱石は退院し家へ帰ることができた。


 私の衰弱がだんだん回復するにつれて、彼の毛もだんだん濃くなって来た。それが平生の通りになると、今度は以前より肥え始めた。
 私は自分の病気の経過と彼の病気の経過とを比較して見て、時々そこに何かの因縁(いんねん)があるような暗示を受ける。そうしてすぐその後から馬鹿らしいと思って微笑する。猫の方ではただにやにや鳴くばかりだから、どんな心持でいるのか私にはまるで解らない。


 漱石が書いた黒猫の絵には、1914年の「あかざと黒猫」がある。
素人の絵にはちがいないがどことなく気品があってしかも猫への愛情がにじみ出ているところ、本職の画家には描けないような気がしてならない。



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