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2003年9月12日 (金)

夕顔もよう 宗旦の子・仙叟が好んだ夕顔釜


 釜ひとつあれば茶の湯はなるものを 数の道具をもつは愚かな 

 利休百首にある和歌であるが、素直にみれば釜の重要性を言ったものだろう。利休時代ヘチカンという貧しい茶人があって、手取り釜、つまり大きい鉄瓶で茶の湯をし、人をもてなしたという。

 彼は侘び茶人の代表選手のようになっている伝説の人だが、実際にはなかなかこういかないのが茶の世界かもしれない。

 京都美術倶楽部。およそ、茶道具や骨董に興味をもつ人ならこの倶楽部の名を聞いたことはあるのではなかろうか。ここは全国から集まった骨董品が鑑札のある道具商人の間でせりにかけられる処である。いわゆる卸、そうしてここから小売へと。

 その京都美術倶楽部で行われる松庵茶会。よりぬきの道具商による茶会ということで年10回開催されている。道具がわからないと困るので私も長年勉強にもなればとこの茶会には通ってきた。会員制になっていいるがその多くは京阪神の数寄者のような人々だろう。とにかく道具を見るのが好きだという…。
 今月の例会は善田好日庵。京都の道具商では知らぬ人はない大御所だ。しかしそれは驚くべき席であった。

 釜。私が釘付けになったのは、夕顔のもようが浮き彫りになっている地肌と、これを好んだ宗匠の在判がくっきりと出ている釜であった。その次第というのが尋常ではない。仙叟自筆の添え状に加えて更に一燈、玄々斎と続くのである。

 釜 仙叟好夕顔釜 仙叟在判 添状 一燈折紙 玄々斎箱 浄久造 田村家伝来。

 これこそ、裏千家今日庵において秘宝ともいえる道具ではないか!
 おそらく途方もない値段がついているに違いない。席主の善田氏はそんなことを匂わせておられたし、ひょっとして億近いのではないかとも思った。

 ただ、愉快であったのは、この釜のことを知らせた仙叟の書状の内容である。魚のいわしを貰ったことを喜び、相手にこれから賞味すると礼を述べているのだ。こうしてみるとどこかに侘びの気分がにじみ出ているようで、私は或る救いを感じたのであった。




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