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2003年10月 2日 (木)

蓮池 と 蓮茶


 天龍寺の蓮池には石橋がかかっている。昨日その場所を歩いていて『虞美人草』のなかの甲野さんと宗近さんとの会話を思い出した。
 大燈国師や夢窓国師の名も出てくるところがやはり漱石の好みなのだろう。

「どうでも、好いさ。――まあ、ちっと休もうか」と甲野さんは蓮池に渡した石橋の欄干に尻をかける。欄干の腰には大きな三階松が三寸の厚さを透かして水に臨んでいる。石には苔の斑が薄青く吹き出して、灰を交えた紫の質に深く食い込む下に、枯蓮の黄な軸がすいすいと、去年の霜を弥生の中に突き出している。

 私は和服であったけれど、愛機のライカデジルックス1をバックから取り出し首にかけた。そしてすぐさまシャッターを押した。漱石が朝日新聞にこの小説を著した当時は、天龍寺の蓮池もかなり広いものだったのではないか…などと想いながら。

 季節は違うものの、枯れ蓮といい石の橋といい、現在もあることが何よりである。石には苔の斑の代わりにススキの穂がなびいている。

 寺の境内であればこそこうした景観が守られたのであろう。神社仏閣は庶民の間ではどうも親近感が薄れているようだが、自然破壊の世相を押しとどめる役割を果たしてきたことは大きいし認めなければならないと思う。

 蓮について今日はいい話を聞くことができた。裏千家今日庵に於いては毎月一日は直門が家元の道話を拝聴する。家元のお話の後、前家元の千玄室大宗匠が先日ベトナムに行かれた折の土産話をされた。

 「共産主義国家のベトナムの国家元首の歓迎を受けましてね。ホーチミンの遺骸も見ました。ホーチミンというひとは偉い方で…。」
 「そこで蓮茶というのを飲みましたが、蓮の葉を煎じたもので蓮の実も入っているようでした。」

 ベトナム。過去のベトナム戦争を知る年代の私たちにとって、それはほっとする和やかなひとときであった。
 私もいつの日かその蓮茶を飲んでみたいと思う。





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