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2003年10月13日 (月)

京都五花街の芸妓


 友人で、長年お茶屋に茶の指導に出かけている方があって、よく舞台の券を頂戴する。京都五花街についてくわしい方でいろいろ教えてもらえるのが有り難い。

 祇園甲部が都おどり、先斗(ぽんと)町が鴨川おどり、上七軒が北野おどり、あと、祇園乙部、宮川町と五つある、京都五花街はお茶屋が母体である。

 先日も北野上七軒の寿会にお誘いを受け歌舞練場に行き、ひとときを楽しませてもらった。お茶屋のなかではスターともいえる売れっ子芸妓がいてその人の出る舞台はひときわ観客をとりこにする。

 私はストロボなしで舞台から最も離れた壁際に立ってカメラを構えた。同性の自分でもうっとりとなる美しいひとの舞であった。なんとなくあの文章が浮かんできた。

 漱石は『我輩は猫である』のなかで、美しい三毛子にあこがれる男の想いを語らせている。新道の二絃琴の御師匠さんの所の三毛子(みけこ)についての一文だ。


 三毛子はこの近辺で有名な美貌家である。吾輩は猫には相違ないが物の情けは一通り心得ている。うちで主人の苦い顔を見たり、御三の険突を食って気分が勝れん時は必ずこの異性の朋友の許を訪問していろいろな話をする。すると、いつの間にか心が晴々して今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。女性の影響というものは実に莫大なものだ。

杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側に坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾(しっぽ)の曲がり加減、足の折り具合、物憂げに耳をちょいちょい振る景色なども到底形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、品よく控えているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、天鵞毛を欺くほどの滑らかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらく恍惚として眺めていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」といいながら前足で招いた。

 漱石先生は祇園に来てお茶屋で舞妓とざこねをした経験もあったが、色っぽいものでなく幼い舞妓に同情したのだった。それを書いた新聞記者の記事も残っている。




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