柚子の色づくころ
京都は西、水尾の里の柚子は有名である。柚子湯にと、以前お知り合いからたっぷりとした包みをいただいたことがあった。年輪ある柚子の木の実は大きくて重みもありその香り共じつに風格があった。
ゆう、京都ではゆずというより、ゆうと呼ぶことが多い。拙宅のせせこましい庭にも柚子の木は一本植わっているが、天神さんの縁日に出る植木市で苗木を買って植えたものであった。数えればもう30数年もの前になろうか。
ゆうは蜜柑と同じ、その葉は蝶々の大好物である。蝶は必ずやって来て卵を産み付ける。ひょろっとした小さな木ながら春から夏にかけて青虫たちがくっつき、私は割り箸でつまんでは来る日も来る日も青虫退治をやったものだ。しかし、まずいことになってしまった。
「おばちゃん、あかん!ぼく青虫を育てて蝶になるの宿題でやってるんだよ。ゼッタイ、コロシたらアカンのや!」
近所の小学生がある日、やってきて私のこの現場を押さえてしまったのだ。
木と青虫の折り合いをつけどうごまかしたか覚えていないが、あの日以来、虫退治をすることからは一応撤退したのだった。そのお蔭か、黒アゲハチョウがわが家の庭にはヒラヒラ舞うようになったのが可笑しい。
桃栗三年、柿八年――梅は酸い酸い十三年、柚子は九年花盛り~
そんなことわざがあるが、九年どころか20年過ぎてもゆうの実はならなかった。青虫が葉っぱを食い荒らすからだ。
ところが諦めていた頃柚子の白い花が咲きその花は見事実をつけた。それ以来毎年わが庭の嬉しい行事になっている。
利休は「柚子の色づくを見て炉を開く」と言ったと伝えられる。旧暦十月の亥の日に開炉の日は定められているが、ことしはゆうの色が丁度色づいてふさわしい日になった。
先年、口切の茶事をいそいそと自分の茶室で行っていたことなどが思い出される。ご宗家では宗旦忌に壷飾り花月をして宗旦さまへお供えする。門人として身がひきしまるひとときである。
今日の画像は虫に食べられて葉がなくなったわが家の柚子の木、あちら立てればこちら立たず…(笑)。それでもゆうは色づいてくれた。
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