« 2004年1月 | トップページ | 2004年3月 »

2004年2月の記事

2004年2月26日 (木)

続 皇太子さまと 水フォーラム2


 かつて、英国オックスフォード・カレッジで研究された皇太子さまのそれは学究らしいお言葉であった。そして一貫して水のテーマを現実社会への提言とされたのもご立派だと思った。

 昨年2月、京都国際会議場で開催された世界水フォーラム!その中の「水と交通分科会」は「淀川21世紀ビューロー」(NPO)が主催。それは岡宏治社長のもと深い志をもつ鋭意の方々が結集している団体である。

 私自身は国際会議場に行くことはなかったけれども、大会の厳重な警備とか、世界各国からの要人の来訪、とにかく大変な催しがあるということくらいは誰かから聞いていた。

 しかし、そうした会議の真の意図に考えも及ばず、ましてや主催者側がどのような方々であるかもまったく知らなかった。水フォーラムという言葉だけがただ記憶にあった。

 ネットのご縁は、まことに不思議で有り難いものである。これこそ、有ることが難い、ということではなかろうか。これまでまったく未知の間柄であった「水」の非営利法人、「淀川21世紀ビューロー」!

 私の運営するへぼサイトと優良サイト「淀川21世紀ビューロー」とが相互リンクの間柄になったこともあって、いつしか理解が進み親しくさせて頂くようになった。
 
 人間味豊かな岡宏治氏のもとに、礼儀正しく意欲的な憲さんという青年茶人あり、ホノルルマラソンで完走したフレッシュな女性社員がある。拙サイトの掲示板に書き込んでくださる内容はいつも刺激的で楽しい。

 いま、私が感動するのは、その岡氏と社員の方々が連れ立って4月の中宮寺における私の茶席にお越しくださるというお知らせを受けたことである。平日のお仕事を返上されてのお出かけも、まことに忝く思われる。

 今日は思いがけないよいニュースと、それに関わり深いお友だちについて触れてみた。1000字制限にひっかるので2回連続の日記になってしまった。

 水の画像がみつからないので、昨年利休忌に使用した掛け物を出してみたが、如何であろうか?
 鵬雲斎大宗匠がこの時、席中におみえになり、「おお、水フォーラムだ!」と仰せになったのを私は忘れない。




| | コメント (0)

皇太子さまと 水フォーラム1


 皇太子さまが44歳になられた。産経webでその記者会見の記事を目にして、お小さい時のニュースを思い出した。お母様の美智子さまが「なるちゃん憲法」を作られたお子、あどけなく聡明で、国民の人気を一身に集められたお方だった。

 若い世代は皇室に対して無関心層が多いといわれるが、皇室ご一家はヒューマンで素晴らしい方々と私はいつも思う。スキャンダルが取り沙汰される英国王室に比べるとなお、その感をふかくする。

 私がこの皇太子さまの記者会見で感銘を覚えたのは、水について言及されたことであった。

 皇太子殿下「私が今、関心を持っているテーマや研究についてお話ししてみたいと思います。」

 ここで嬉しいことは、よく存じ上げている「水フォーラム」の名が出たことである。

「私は今後、地球環境の問題がとても大切になってくると思います。昨年、第3回世界水フォーラムが京都市を中心として開催され、世界におけるさまざまな水問題が討議されました。私も名誉総裁としてこの催しにかかわることができましたが、水に関する問題が実に多岐にわたっていることに驚かされました。中でも、世界では約11億人が安全な水を飲むことができない、そして約24億人が下水道施設を持っていないこと、劣悪な水環境のために8秒に1人、子供の命が失われているという事実には、水は安全と思われがちな日本において、大いに考えさせられるものがありました。恐らく水フォーラムを通してわが国でも多くの人々が世界における水問題について認識を深めたことでしょうし、私自身、公務としてこのようなフォーラムに関係することができたことを大変うれしく思っております。」

 さらに言葉を続けられた。
「21世紀は「水の世紀」とも言われますけれども、」

 そして次のように具体的に述べられたのも、分かりやすくて私には有り難かった。

「ところで、水フォーラムの折にも水上交通の問題が取り上げられ、私たちもそのセッションに出席しましたけれども、私は今後ともこの水上交通の研究を通しても水の問題を深めていきたいと考えています。具体的には、水フォーラムの記念講演の折にお話ししましたけれども、瀬戸内海と京都とを結ぶ淀川の中世の水上交通や、イギリスで研究していたテムズ川の水上交通の問題を、今後さらに深めていきたいと思います。」(2へつづく)

 
鈴木大拙筆 水。




| | コメント (0)

2004年2月23日 (月)

猫の広告文


 2月22日の今日は、ニャ~ニャ~ニャ~の語呂合わせで、猫の日になっている。尤もこれはマニアの間でクチコミで伝わり、メデアが話題提供をしたものと思われる。

 漱石が朝、腹ばいになって新聞を読んでいると飼い猫が漱石の背中に乗ってすましこんでいるのが常だったという。猫好きというわけでもない彼と気ままな猫とは案外相性がよかったのかもしれない。

 漱石は『我輩は猫である』の広告文を書いている。それもまた猫の口を借りた小説のPRだ。

「吾輩は猫である。名前はまだない。主人は教師である。」
 の有名な一節からはじまって、猫はまた人間を持ち上げているのが面白い。

 「吾輩は幸にして此諸先生の知遇を辱(〔かたじけの〕)ふするを得てこゝに其平生を読者に紹介するの光栄を有するのである。……吾輩は又猫相応の敬意をを以て金田令夫人の鼻の高さを」と、うんぬん。

 なんといっても本を買ってくれるのは人間さまであるから、その点は猫もぬかりないとみえる。
 いっぽう鏡子夫人といえば、ある時子猫が布団のなかにいるのに気付かず、布団を片付ける際にあやまって踏んづけたことがあった。
 手当ての甲斐もなく子猫は死んでしまったが、そのことを夫人は隠さず『漱石の思い出』に述べている。

 けれども、漱石夫妻はいわゆる猫可愛がりをすることなく、最後まで責任を持って愛情をそそぐ飼い主であった。それは現代の異常なまでのペットブームとは次元が違うように感じられる。

 『永日小品』には黒猫の死が淡々と綴られている。そこには猫の面倒を見続けた夫人への愛情と感謝がそこはかとなくにじんでいるようだ。

 夫人は猫の墓を作り、夫に墓標の俳句を書いて欲しいとねがう。その俳句もまたすばらしいのだけれども、こうした夫婦の、動物との一体感のようなものは時代を超えて私たちの心を揺さぶるのである。

 この随筆の最後の文章からは、漱石の妻への感謝がしみじみと伝わってくる。

「猫の命日には、妻がきっと一切(ひとき)れの鮭(さけ)と、鰹節(かつぶし)をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥(たんす)の上へ載せておくようである。」

 今日の画像は岡本一平えがく漱石先生の肖像である。クロネコがなんともユニークだ。(東北大学附属図書館)




| | コメント (0)

2004年2月17日 (火)

ほっとするニュース


 ホームレスに低額賃貸住宅 東京都などが2千室確保。
 先ほど、こういうニュース記事が目に入った。寒さがようやく遠のいたこの頃、遅すぎる感はあるもののほっとするニュースである。

 最近明るい記事はなかなかお目にかからない。芸能界ではくっついたり離れたりの人間模様が面白おかしく取りざたされるが、こうしたニュースもマンネリ化し、ほな、なんなりとええようににやっとくれやす、ということになる。

 それからするとホームレスに住宅をという今回の東京都の決定には「よくやらはりましたなぁ!」と座布団なんまいか投げたくなるのだ。

 なんでも、4月から都営住宅や借り上げた民間アパートを低額で貸し出すために、NPO法人(特定非営利活動法人)などに事業を委託し、就労相談にも乗るという。その予算約6億円。

対象になるのは公園でテント生活をしている人で、都と区が2000室を確保し、家賃は月額3000円前後という。税金の使い道もこうした実績があれば納税者もなっとくするだろう。

 京都市も別ではない。阪急の地下街を歩くと多くのホームレスが寝転んでいる姿を目にする。老人だけでなく若者も女性も…。
 繁華街にいれば残飯がもらえるから離れないのだと聞く。そして中には精神病院や非人間的で苦痛をもたらす居場所よりも、自由を求めてたどり着いたのがホームレスだったとも聞いた。

 けれども、いまだ彼らに住宅をという政策はない。私はぜひとも東京都にならって実施して貰いたいと思う。誰しも人間である以上そうした権利はあるはずなのだ。

 人生の最後の住宅といえば墓になるが、ひとは一生涯安住の地を望んでやまない。感覚がなくなった死者でなくとも、今生きている者がせめて雨露をしのぐ場所を望んでも、いいのではなかろうか。

 今日の画像は漱石画、海のみえる墓の絵である。漱石は自分のイニシャルを大きな岩石に書いている。





| | コメント (0)

2004年2月 7日 (土)

玉露の一しずく 


「舌の先へ一しずくずつ落として味わってみるのは、閑人適意の韻事である」
 漱石は『草枕』でこう書いている。これが玉露のことを指しているのはいうまでもないが、胃弱の彼がことのほか愛したのが玉露であった。

 抹茶の茶道については茶人を皮肉っている漱石だが、玉露に関してはただその味のみを至福として文章にあらわした。

 「…普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液は殆んどない。只馥郁たる匂が食道から胃のなかへ沁み渡るのみである」
 『草枕』


 今日庵家元の弟君である故伊住政和氏は、茶道家元を支える若き宗匠であり、複数の会社を経営する実業家でもあった。その氏は残念なことに昨年急逝され、最近一周忌が行われたばかりである。

 社員のお一人に伺った話である。
 伊住社長の部下であったYさんはかつて煎茶を習ったことがあり、その話をすると急に社長が興味をもたれ、そこに行ってみよう!ということになった。

 ところが煎茶道家元の家で初めて玉露を飲まれた氏はいたく感動されたというのだ。伊住氏の遺されたエッセイからその間のようすを伺うことができる。

 
「同じ茶の木から生まれたとはいえ、これまで、煎茶と抹茶はあまり仲の良い兄弟ではなかったのだ。だからといって、人間同士が仲良くできないというわけではない。」

 謙虚に、あるがままの心で茶を語る伊住宗匠。こうした伊住さんを心から慕う社員は少なくない。
 氏は続けていう。
「この喜びを伝え尽くす筆力を私は持たない。その代わり、夏目漱石の『草枕』の一文に目を通されることをおすすめしたい。

このエッセイのタイトルは
「一滴の茶のうまみを極める煎茶道の世界に心震える」文・伊住政和
 
「私はいまだかつて、こんなささやかな豊かさに出合ったことがない。
 一滴の味わいに命を懸ける茶人がいる。滴りの中に一境涯を見たり。私は恐ろしい体験を実はしたのかもしれない。」


 今日の画像は昨冬鎌倉漱石の会で展示されていた漱石書簡。
「饅頭沢山ありがとう みんなで食べました いやまだ残っています 是からみんなで平らげます 俳句を作りました」と読める。





                       

| | コメント (0)

2004年2月 2日 (月)

赤坂政次さん


 赤坂政次さんといえばいわずと知れた光悦会の重鎮。茶道具の目利きであるのは申すまでもなく、関西における道具商としてはおそらく随一の方ではなかろうか。85歳とは見えない若々しさをお持ちだ。

 光悦会とは、本阿弥光悦をしのぶ茶会で、春の東京の大師会に対し、秋に京都で開催される大茶会をいうのであるが、その会を作ったのが、土橋嘉兵衛、山中定次郎らの世話役。その筆頭の土橋のもとで研鑽を積み大番頭となったのがこの赤坂さんなのだ。

 もとは遠州流に属しておられたが、戦後復員されてから表千家の茶に親しまれた。流儀は違っても、もともと三千家は親戚であるから当然裏千家にも顔を出される。

 私は京都美術倶楽部の会員制月例茶会でずいぶん前からお馴染みになっていた。赤坂さんはいわゆる道具商といったタイプではなく、ひょうひょうとした人間味があって、茶がある方だなぁと尊敬の念を抱いたのが最初だった。こちらは道具にはずぶの素人だが恥ずかしげもなく会話する。

「お言葉ですが、この掛け物の語句はちょっと違った意味あいではないでしょうか。」
 そんな失礼な問いかけにも
「じつは、私は文学博士でしてな。」
などと、いつの間にか笑声のなかに席中が沸くのだった。
  
 ある時、担当された茶会の券をお送り頂いたが、その筆跡の品格あることに私は感嘆した。自分が恥ずかしくなった。そうした赤坂さんにいつか茶会のご相談をすることができたらなぁ~と内心思っていた。

 もちろん道具も譲って頂いたものがあり、それらは悔いのない買い物であった。中宮寺山吹茶会のことで私がご相談した時、私がとりあわせた道具組の会記と共に主要な道具もをご覧になりながらこう言われた。

「茶は、無理のない道具組がいいと思いますよ。あなたらしい取り合わせが何よりいいでしょうな。」

 主茶碗についてはたいへんなお褒めに預かった。母の形見であり何より愛蔵の道具であれば私の喜びもひとしおであった。

 そのわびすけの茶会は、夏目漱石と猫が出て来るし、ひろく世界とつながっている。そしてそれは坐忘斉家元の和の心を伝える一会として、表現できれば幸いこれに過ぎるものはない。

 今日の画像は、京都美術倶楽部・松庵茶会における席主、赤坂玄古庵その人である。
 昨年春、4月9日のことであった。




| | コメント (0)

« 2004年1月 | トップページ | 2004年3月 »