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2004年2月23日 (月)

猫の広告文


 2月22日の今日は、ニャ~ニャ~ニャ~の語呂合わせで、猫の日になっている。尤もこれはマニアの間でクチコミで伝わり、メデアが話題提供をしたものと思われる。

 漱石が朝、腹ばいになって新聞を読んでいると飼い猫が漱石の背中に乗ってすましこんでいるのが常だったという。猫好きというわけでもない彼と気ままな猫とは案外相性がよかったのかもしれない。

 漱石は『我輩は猫である』の広告文を書いている。それもまた猫の口を借りた小説のPRだ。

「吾輩は猫である。名前はまだない。主人は教師である。」
 の有名な一節からはじまって、猫はまた人間を持ち上げているのが面白い。

 「吾輩は幸にして此諸先生の知遇を辱(〔かたじけの〕)ふするを得てこゝに其平生を読者に紹介するの光栄を有するのである。……吾輩は又猫相応の敬意をを以て金田令夫人の鼻の高さを」と、うんぬん。

 なんといっても本を買ってくれるのは人間さまであるから、その点は猫もぬかりないとみえる。
 いっぽう鏡子夫人といえば、ある時子猫が布団のなかにいるのに気付かず、布団を片付ける際にあやまって踏んづけたことがあった。
 手当ての甲斐もなく子猫は死んでしまったが、そのことを夫人は隠さず『漱石の思い出』に述べている。

 けれども、漱石夫妻はいわゆる猫可愛がりをすることなく、最後まで責任を持って愛情をそそぐ飼い主であった。それは現代の異常なまでのペットブームとは次元が違うように感じられる。

 『永日小品』には黒猫の死が淡々と綴られている。そこには猫の面倒を見続けた夫人への愛情と感謝がそこはかとなくにじんでいるようだ。

 夫人は猫の墓を作り、夫に墓標の俳句を書いて欲しいとねがう。その俳句もまたすばらしいのだけれども、こうした夫婦の、動物との一体感のようなものは時代を超えて私たちの心を揺さぶるのである。

 この随筆の最後の文章からは、漱石の妻への感謝がしみじみと伝わってくる。

「猫の命日には、妻がきっと一切(ひとき)れの鮭(さけ)と、鰹節(かつぶし)をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥(たんす)の上へ載せておくようである。」

 今日の画像は岡本一平えがく漱石先生の肖像である。クロネコがなんともユニークだ。(東北大学附属図書館)




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