教え子の花さん!
私がまだ三十代にならない頃だったろうか。十八歳の花さんが拙宅へ茶の稽古にきていた。大学進学の準備中に母親が急死、心ならずも自活の道を選び、仕事が終わってから近所の私のところに来て、茶の稽古にいそしむのであった。
東京に住み、大手電気メーカーの管理職をしている兄がいて、彼女はその兄のことを誇らしく話していたように思う。しかし株投機の失敗をしたらしい兄の為に仕送りをするという彼女の話には、仰天したのを覚えている。年老いた父親は実直な庭職人であった。
花さんの仕事は、母親から受け継いだ店で野菜と魚の小売をすることだった。勿論仕入れから小型トラックの運搬まで一人でこなした。今のようにスーパーがない時代だったから、新鮮な食材が安く手に入るこの店はけっこう繁盛したのである。
夏になれば店を仕舞ってから彼女は浴衣に着替え、お茶の稽古にやってきた。他のお嬢さんがたの中で、ひとり花さんのひたむきな学習態度に、私はふかく感じるものがあった。着物すがたもなかなかきれいな娘であった。
京生まれ京育ちの現代っ子・花さんは茶道のよい面をどんどん吸収していった。着物の着方から毛筆でしたためる礼状の書き方や懐石料理の作り方も私は教えた。
後年、彼女は結婚しよい家庭を持った。時折里帰りしては毎年のように拙宅に立ち寄ってくれるが、ある時話のなかでポツンと花さんはこう言った。
「母がいない家で先生の教えがどんなに役にたったか、結婚して親になった今、はじめて分かりました。」
教え子とは、なんと有り難い存在であろうか!彼女は働いて得たお金で茶の稽古の月謝を払い、若々しいエネルギーを私に与えてくれていた。そして現在は子育てが一段落し、公認のカラーアナリストとして社会で活躍している花さんがいる。
茶室は色彩と道具の調和をかもし出す場所でもある。私のささやかな稽古場から、日本の伝統文化からこうした結果が生まれたことを、どのように感謝したらいいだろうかと思う。
中宮寺・山吹茶会の券を求めに、つい先日他府県から私を訪ねてきてくれたわが教え子の話を、今日は書かせていただいた。
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