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2004年3月11日 (木)

蘇我馬子邸の正殿見つかる


 飛鳥時代の大豪族・蘇我馬子邸の正殿見つかる。奈良・明日香の島庄遺跡。馬子の実態などを探るうえで第一級の発見。(3.11

 今日、このニュースがNHKテレビで報じられた時、アナウンサーが「聖徳太子の養父である蘇我馬子の邸宅跡が」といっているのにオヤと思った。

 厩戸皇子と呼ばれていた聖徳太子は、両親とも蘇我稲目の血をひき、馬子は大伯父にあたる。もっとも馬子のむすめを妃にしているので義父という関係なのだろうと思う。
 しかし、太子が佛教を信奉し十七条憲法を制定したのは、馬子の存在なしには考えられず、それで養父という表現になったのかもしれない。

 女帝であった推古天皇が蘇我馬子にあてたうるわしい歌がある。

 真蘇我(まそが)よ 蘇我の子らは 馬ならば 日向(ひむか)の駒 太刀ならば 呉(くれ)の真刀(まさひ) 諾(うべ)しかも 蘇我の子らを 大君の 使はすらしき(紀)

 (大蘇我の人よ! 蘇我のあなたら、馬で言えば、日向産の名馬ですわ。太刀で言えば、呉(くれ)産の名刀ですわ。ほんとうに…)

 これは、推古二十年(612)正月、天皇は小治田宮で大宴会を催し、この時蘇我馬子は宮殿を誉め讃える歌を献上した。これに和した天皇の歌であるという。「やまとうた」の水垣久さんに私はそれを教えられた。

 今日の馬子の邸宅跡が発見されたという朗報に、聖徳太子とその母に思いをはせる。太子の母は穴穂部間人皇女(欽明天皇と蘇我小姉君の子)なのである。

 そして、中宮寺の寺伝によれば、本尊の如意輪観世音菩薩半跏像は、聖徳太子がおん母をしのんで造られた像であるという。私は日野西光尊門跡からそのようにお聞きした。

 今日の画像は何よりも、中宮寺・半跏思惟の像を載せさせていただきたいと思う。




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