« 2004年4月 | トップページ | 2004年6月 »

2004年5月の記事

2004年5月14日 (金)

"はんなりしたいい席でした”


 「皆様、すみません。また雨になりまして。」
「雨おとこ」と一部ではよばれているその方は客に向かって先ず丁重に頭を下げられた。場所は金閣寺の新築されたばかりの広間、席主は今日庵・坐忘斎家元である。

 昨日、雨のなかを金閣寺で今日庵家元の献茶式が執り行われた。今年は開山の夢窓国師650年遠忌と足利義満600年祭との記念行事ということで、茶席だけでも傘をさした人々が入れ替わり立ち代り、その数約600人だったと聞く。

 私は友人と共に一万円の茶券を買って朝から客として参会したのだった。先ず副席である淡交会京都支部連合会の薄茶席へ。それが済むと木の香も新らしい広間席の今日庵・濃茶席に入った。

 三客あたりに坐らせて頂いていたが、お家元のご挨拶に続いて床掛け物のご説明を感深く拝聴した。それは千宗旦の七字一行。「馬祖去有時ホウ老」(漢字が出ないのでこのまま)、枯淡の風格がにじみ出ている書だと思った。

 利休の師である古渓和尚は利休に贈ったかの有名な詩のなかでホウ居士と利休を「神通老作家」とうたっているが、僧でなくごく普通の在家仏道修行者が今ここに有るように、そのこころを共有したいと私は思った。

 親しみやすいお話ぶり、そのついでといえば失礼になるが、お家元はこうも仰ったのである。
「この間、中宮寺ではありがとう。はんなりとした、いい席でした。それに…」
と言葉を切ってから続けられた。
「余計なものがないのもよかった。」

 恐縮してというべきところ、私の口からは咄嗟になぜかこんな言葉が出てしまったのだ。
「まだ、女の部類に入っております。」。なんとまあはしたない(笑)。

 昨夜このお家元のお言葉について、書きかけたものの何やら自慢げにみえて結局止めてしまった。ただ、まとめにもならない結論は得た。

 はんなりというのは、華なりということから出た言葉だという。お家元は生粋の京都人でいらっしゃるから別として、一般にはいわゆる京都ブランドのような感じで最近よく使われている言葉だ。

 しかし、なんのことはない。はんなりという名の焼酎も京の地酒の一つとして売られているらしいのである。
 さて、今日の画像は山吹茶会の2日目、ご正客は薬師寺の管長さまであった。




| | コメント (0)

2004年5月 3日 (月)

山吹茶会 イラクのこと


 notoブックも約一ヶ月ぶりの更新になってしまった。
中宮寺・山吹茶会も無事におわり、夢のあとならぬ様々な想いが私の脳裏に明滅する。

 その間、イラクの地では悲惨な戦争が続き、罪のない民間人が犠牲になっている。北朝鮮による日本人拉致問題はいっこうに解決しない。国内では依然として経済不況が経営者の自殺を生み続け、こうしたことはもうニュースにも取り上げられない。

 そのような世相のなかで、私はこの度の中宮寺・山吹茶会の献茶式を無事迎えることが出来たのである。
 坐忘斎家元の中宮寺においては家元として初めて献茶式であり、その添え釜をさせていただくこと。裏千家の末席に連なる自分の「最初で最後の一会」として臨んだのであった。

 日野西光尊ご門跡のおすすめを頂き、私がこの大任をお受けした時、直門会のお仲間である大先輩から「なんで引き受けた!」と先ず第一声があった。

 ご縁ですから、と私は応えた。政治のせかいと同様にどの社会でもトップに支配的な意識がつきまとうのは否めない。先ずはお伺いを立てるいわゆる根回しが求められるのかもしれないが、私はそうしたことは無頓着な人間だ。イラクから生還した人質に対してバッシングが盛んに行われていることをおもいあわせる。

 個人として自分の出来る範囲で中宮寺ご本尊とお家元のための添え釜を懸けさせていただく、ただそのことに専念したいと思った。そして旧友の黒田宗代社中のOmoriさん方をはじめ、私の社中、ネットのご縁から参集して下さった皆さんのお蔭で茶会は成就することができたのであった。

 茶会には裏千家の同門方多数、また表千家の門人方、22日の薮内ご宗家の献茶式の添え釜ということで薮内流の門人の方々もお出ましくださった。利休居士の茶に繋がる、こうしたご縁は席主として言葉に尽くせぬ感激であった。

 今、心からの感謝のなかに、今日の画像を選ぼうとする私がいる。やはり、お家元から頂戴したご染筆にしくものはない。




| | コメント (0)

« 2004年4月 | トップページ | 2004年6月 »