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2004年8月の記事

2004年8月21日 (土)

アテネオリンピック 女子柔道


 日本各地では大雨から風水害が起きている。いつも被害を免れる京都はつくづく幸運な土地だと思う。堤防や河川の管理がいいということかも知れない。

 昔の京は、「鴨川の水と坊主には勝てない」といわれたと聞くけれど、今日では水のほうはなんとか克服しているのではなかろうか。そうした日々の中で、人々はアテネオリンピックのテレビ観戦を楽しんでいる。

 わが家ではスポーツに熱中することはあまりない。私はオリンピックの柔道に興味があって観たくらいである。その自分が日本女子柔道の活躍にはただただ感動した。レスリングまがいのjyudoではなく、伝統の技である1本を勝ち取った複数の選手たち。中でも谷本、上野、阿武さんらは金メダル以上の感動を送ってくださった。
まことにそれは大多数の日本人が共有した喜びであった。

 女性の美しさは外面でないことを如実に示したいさぎよい姿。その飾り気のない愛らしい笑顔!オンナだてらにという古来のけなし言葉がまったく色褪せたすばらしい女性美だと私は思った。

 「仏性に男女なし」とは、私が師事した禅の師家T老師が昔仰った言葉である。私はありがたくその問答を思い起こした。

 また、勝負ごとを好まなかった舅は厳格な家父長であった。そうした教育を受けた父の子供たちは皆地道な学究の道を選び、夫も勝ち負けには離れたところで生きてきた。今もなお、一喜一憂をするな、と私に教えてくれる人である。

 漱石は明治大正に生きたが、やはり勝負ごとを好まなかった文豪であろう。弟子たちに自らの真摯な生き方を身をもって示したが、決して他との競争を強いることはなかった。漱石のいう自己本位は、自己を克服することを教えたものであった。

 今日の画像はなににすべきであろうか。書斎の机の前で憩うともなく座している漱石先生の、声なき声を聞こうと思う。
 



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2004年8月 1日 (日)

台所にローズマリーの香り


 遅筆という言葉は最近聞かなくなったが、私はとにかく筆が遅いと思う。おっくうではなく、ウェブサイトにしても気が乗れば徹夜してでも書き終えるのだけれども、そうした気分になるまでは時間がかかるのである。noteブックもずいぶんおざなりになっていた。

 事務能力という点では手抜き主婦を長年やってきたこともあって、落第点がつくのは間違いなさそうだ。インターネットに関わるようになってからはITのノウハウを知らなければならず、独学であっても時間を食い、つい家の中の整理整頓はおざなりになる。

 そのため、知らず知らずのうちに周辺に犠牲を強いていた。家族のことは棚にあげても、庭の木の何本かを枯らしてしまったのが悔やまれる。30数年を経た杉の木2本、思い出ふかい柚子の木が枯れたのは、この夏の水不足と害虫のせいと何といっても私の無関心だった。

 その自己責任を思うとやりきれなくなる。それで思いついたのはいつかデパートで買ったままにしていたハーブ香だった。蚊取線香の匂いも時には変えなければとハーブエッセンスを焚くことにする。

 台所は私がもっとも居る時間が長い場所だ。流しを後ろにして置かれた木製テーブルには本や書類等やPCも置き、椅子の横には電話機を置いている。電話の台にしているのは昔組みひもを習っていた時に持っていた「丸台」だ。

 壁につけたこのちっぽけな香料スタンドが夜には豆電球のあかりになる。ローズマリーの香りが漂いはじめるとほっとして安らぐ私がいる。ノートパソコンに入れたCDからバイオリンの曲が流れる。

 ローズマリー、娘時代の私はローズマリークルーニーというアメリカの映画女優のファンだった。もう知っている人は少ないかも知れない。
 けれども、ハーブの中のこの花は、シソ香で地中海沿岸原産。語源はラテン語のros marinus(海のしずく)だという。その香りは東洋の香とまた違ったやさしさがある。

 今日の画像はわが家の台所の一隅、不出来の主婦を慰めてくれるローズマリーの明かりである。



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