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2004年11月の記事

2004年11月22日 (月)

心技体 すもうと茶人


 モンゴル出身の横綱朝青龍はとかく物議をかもす力士である。勝負にすさまじい闘志をむきだしにする、それはけっこうなことだが勝敗がついた後の態度に問題があるのだ。

 相手を憎憎しげに見下す場面を私もテレビで何度か見た。以前相撲審議会で彼に綱を返上させるべきだとの声が出たのも横綱の品位に欠けるという一点だった。
 日本古来の礼に基づく武道。武道には「心・技・体」といった教えがある。ここで技の前に心があるということがとかく忘れられている。

 今日は宗家の稽古があった日。槍の間でのこと。指導は85歳の寺西業躰先生。点前は平点前濃茶を私がさせていただいた。客はふたり。正客はS先輩、二客はX先輩、共に貢献度の高い名誉師範の方々だ。

 私は点前には大ヌケをする困った習性がある。稽古不足がたたっているのは誰よりも自分がよく知っているが、順序もケアレスミス続出、何より悪いのは濃茶の練り方がうまくいかなかった。劣等生はほぼ3人分を錬ってお出しした。

 飲み辛そうなお次客に「ふかげんで失礼しました」と私は詫びた。そして「お残しください。お相伴させていただきます」と言った。一碗を共に飲みまわすこれは小間の茶事で行う点前の一形式なのである。

 ところが、お次客は「そんないい加減なことを。」とあきれ顔。私は咄嗟に寺西先生に助けを求めた。「先生。旧い茶事のすがたがこの在り方ではなかったでしょうか」

 老業躰は答えられた。
 「主客共にというのが茶の基本じゃぁないか。亭主は中仕舞いをした後、末座に着き、客と共に一碗を飲むんじゃ。後で出来た濃茶付き花月の式をみればわかるだろう」

 正客のSさんは控えめでありながら芯の通った生粋の京おんなである。次客になられたX先輩は当流NO.1の地位肩書きをお持ちの学識経験者の方。おそらく直門中のトップと自他共に認められているのではなかろうか。
 今風に例えるならば、右脳にんげんと左脳にんげんの典型といえるかもしれないと思う。

 結局、不手際な主の求めは聞き入れられず、次客のXさんが飲み終わられ、茶碗は空で返ってきた。塊のあるところは粗相をした張本人の私が飲みたかったのだが。申し訳ないと思った。

 「ツブがあってもふつうは口の中で溶けるけど、今日はいつまでも苦いわ…」
 お次客のよく通る声が稽古場の茶室に響く…。




 

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2004年11月16日 (火)

サーヤさま ご婚約


 北日本新聞のウェブ版の、「料理や茶道知人に学び 紀宮さま、普通の家庭常に意識」というタイトルが目に飛び込んできた。他紙には見られない記事でこれを書いた記者さんの公平なやさしさが嬉しい。

 「紀宮さま(35)はここ数年、知人宅に通い、料理や茶道を学ばれていた。鳥類研究で出勤する際は手作りの弁当を持参。」
 本文を読みながら思わず微笑してしまう。女性の生き方としては母君美智子皇后の薫陶を受けられた現代キャリアウーマンの、ごく普通の生活感を庶民の私達は共感をもって肯くのだ。

 都庁勤務の黒田慶樹さん(39)とのご婚約内定。サラリーマンの妻となられる清子(さやこ)内親王は兄君の学友というご縁を選ばれたようだ。私達からみればなんでもない普通の感覚が、皇室ではいかに至難であるかを思わずにはいられない。

 「料理を学び始めたのは3年ほど前から。月に1回程度、野菜の皮むきに始まり、めん類、チャーハンなど、世間一般の食卓に当たり前に出てくる家庭料理の手ほどきを」受けられたようだ。

 父の日・母の日には手料理を振舞われたというのも、一般庶民とおなじだ。これまでの皇室伝統の困難をたいへんなご努力で改革されたご両親陛下の賜物と私は拝するのである。

 国民は品格ある皇室をいただいていることを他国に対して誇りをもつことが出来る。しかしまた、皇室の方々の個人としてのお幸せを願うものでなければならない。自分たちが自由を享受しているのを感謝すると共に時代の推移をみることが求められる。

 拡大するイラク戦争、日本各地の台風被害、未曾有の新潟地震、この日記では私は書く気にならずそのままストップした状態であったが、今日は明るいニュースにやっとしたためることが出来た。

 画像は13日鷹が峰の光悦寺で撮った鐘楼である。慶びの鐘の音を紅葉が聴くといったところか。




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