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2005年1月の記事

2005年1月26日 (水)

フランスからおくられてきた香水の名は 『緑茶』


 ひとっとび!海を越えて私のウェブサイトに訪問される方には、男性あり、女性あり。最近ではフランス・グルノーブルの山荘にお住まいのマダム ぼいやれ なおこさん。
学者の夫君は親日家で、家庭内のお写真を見るとなんと絣柄の半纏を羽織ってくつろいでいらっしゃる。

 なおこさんからのメールにはこのところ日本茶がよく登場する。というのも種をあかせば私が抹茶を少しばかりお送りしたからだ。

「心得のありそうな知人に点茶をお願いしたところ、指導本とお里からの「あんこもの」(貴重でございます:笑)持参で、登場。もう3日にわたり山の茶房に通い詰めで「滅多に味わうことのできない上等の御茶ですよ」とたいそう喜ばれています。

 わびすけさまのお福分けの和が広がるグルノーブル、昨日は珍しく一日雪が降り積もりました。」
と、まあこう書かれるとどうもムズムズとこそばゆくなる。
 なぜってその茶とは、お付き合いのある茶店からサンプル用に貰った濃茶薄茶の二缶だったのだから。

 ところが、事態は海老で鯛を釣ることに進展したのであった。航空便で届いたなおこさんの小包みを開けると、グリーンの瑞々しい色調のオーデコロンが出てきたのだ。

 香水の名前は?、と不思議に思っていたところ、なおこさんから教えられてのは、「て・ヴェール」(緑茶)である。
 なるほど、箱に描かれたイラストは茶の葉と茎だというわけか。ほっそりとしてパリジェンヌのような可憐な茶の葉の絵である。

 (フランス YVES ROCHER社製造 テヴェールTHE VERT オーデコロン)。

 しゅっと吹くと、なんとも爽やかな上品な香気がたつ。
ああ、日本の緑茶がこんなステキな香水になって、世界の人々に愛されている!
 私はいっとき、幸福感に酔うよに甘美な時間を過ごしていた。

メルシー! マダム なおこ。


 

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2005年1月 8日 (土)

テレビドラマ『夏目家の食卓』


 「そりゃぁお前さんだろ」と言われそうだ。
 漱石の文学というより人間漱石に興味をもつ読者はと書こうとしているが、まあそれは致し方ない。

 一昨日久しぶりにドラマを見た。コミックな『夏目家の食卓』は約2時間、視聴者を引きずって最後まで見せた。スターを揃えての正月番組で、気軽にマンガを見るようなタッチが案外成功していたのではないだろうか。

 文学として見れば不満は大いにある。漱石作品には品格があるのが特徴だが、漱石山房での裸踊りなどをはじめとしてどうも品がないのが残念だった。ドタバタ劇の域を出ないという感じもなくはない。
 これは小説とは別個のドラマなのだと、割り切って見たほうがいいと自分に言いきかせた。

 けれども、このドラマの主眼とするものは、これまでの漱石観、悪妻の代表のようにされてきた鏡子夫人に新たな視点を提供したことにある。それがよく解った。

 文豪の食卓であればもっと豊かなイメージがあるが、白飯に生卵をかけてガツガツと食べる漱石。胃潰瘍で苦しみながら娘の差し入れたクリームパンに相好をくずす漱石。しかしその彼は弟子や来訪者にはちゃんとしたものを常に振舞う。
 
 夫のひどい神経衰弱が原因で一時実家へ戻っていた夫人が両親から聞かされたのは、漱石が仕送りをしてくれていることであった。こうした挿話も夫婦の結びつきが表面ではわからない情をもつことを示していた。
 夏目鏡子著『漱石の思い出』からの引用で、これらの場面設定が随所にみられた。

 夏目家の食卓は豊かな食卓であるべきところ、主人である漱石は食べることが出来ない。家族がそのことに涙している食卓である。地位もお金もいかんともし難い、ただ妻子の愛が切々と伝わる…。
 この場面は哀切で、胸があつくなった。

 確かにこれまでにはない漱石像ではあった。その意図は充分に描かれていたと私は思う。食卓は家族が寄って出来上がり、時間を共有する大切な場所なのだ。
 主演男優モックンと女優りえちゃん、脇役もそれぞれいい個性があった。

 それから、漱石と鬱病への偏見が番組制作側にあったのではないか。見るのが少々辛かった場面もあった。現代病といわれているこの病に、漱石夫妻の行跡は参考となるだろうとも思う。

 今日の画像は新妻時代の鏡子夫人。
 見合いをした後、気どりがないところが気に云ったと漱石は言ったという。




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2005年1月 3日 (月)

ウクライナを救った日本の招き猫


 キエフといえば、京都市の姉妹都市である。キエフ市街には公園や並木道が多く、緑地が市面積の大半を占めることから「森の都」といわれている。私がこの話を知った時分はソ連の一都市であった。

 1958年(昭和33年)、駐日ソ連大使が京都を訪問。京都市長にキエフとの提携を提案し、翌年キエフ市長から正式に申し込みがあった。その後約10年間にわたって、友好関係が深まり、1971年(昭和46年)姉妹都市結成宣言を行ったという。

 ところが今や、キエフはウクライナの首都である。1991年、旧ソ連邦から独立したのがウクライナであった。それに伴い民衆の意識が従来の政治にNOを主張し始めた。ウクライナ大統領選やりなおし投票が行われ、これまでのロシア寄りの政権は敗退した。

 しかし、すさまじい陰謀・策略があったことは歴史に残る。親欧米派の野党候補ユシチェンコ氏は9月、政府関係者に招かれた夕食会のあと体調を崩し、ウィーンの病院に緊急搬送された。顔が腫れあがり別人のごとく人相が変わっていた。

 検査の結果、ほぼ1千倍にあたる高濃度のダイオキシンが検出されたというニュースには、古今東西、政治の恐ろしさを思い愕然とするのである。ただ、そのなかに、ほっとするような嬉しいエピソードがあった。

 大統領選のやりなおし決選投票で、日本の招き猫をあしらったポスターが3万3000カ所の投票所に張られた。ポスターの猫がウクライナ語で「私は公正な選挙に賛成です。あなたは?」と問いかけ、投票所に「手招き」している。

 費用の450万円は日本政府の草の根無償援助を使い、在ウクライナ日本大使館と現地の非政府組織(NGO)が共同で製作したと、ニュースは伝えていた。

 招き猫のポスターにはウクライナ語で「家庭に幸運を呼び込む日本のお守りです」と説明がついている。なんと気が利いた国際交流であろうか!

 西洋ではとかく猫を悪魔の使いだとか偏見をもったようだが、この度の日本猫の活躍ぶりはどうだ!
 とにかくウクライナは新生への道を踏み出したのだ。自由とパンを求める民衆の期待に是非とも新大統領は応えていってほしい。

 日本猫をいつくしむ日本人の心も、捨てたものではない。




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