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2005年1月 8日 (土)

テレビドラマ『夏目家の食卓』


 「そりゃぁお前さんだろ」と言われそうだ。
 漱石の文学というより人間漱石に興味をもつ読者はと書こうとしているが、まあそれは致し方ない。

 一昨日久しぶりにドラマを見た。コミックな『夏目家の食卓』は約2時間、視聴者を引きずって最後まで見せた。スターを揃えての正月番組で、気軽にマンガを見るようなタッチが案外成功していたのではないだろうか。

 文学として見れば不満は大いにある。漱石作品には品格があるのが特徴だが、漱石山房での裸踊りなどをはじめとしてどうも品がないのが残念だった。ドタバタ劇の域を出ないという感じもなくはない。
 これは小説とは別個のドラマなのだと、割り切って見たほうがいいと自分に言いきかせた。

 けれども、このドラマの主眼とするものは、これまでの漱石観、悪妻の代表のようにされてきた鏡子夫人に新たな視点を提供したことにある。それがよく解った。

 文豪の食卓であればもっと豊かなイメージがあるが、白飯に生卵をかけてガツガツと食べる漱石。胃潰瘍で苦しみながら娘の差し入れたクリームパンに相好をくずす漱石。しかしその彼は弟子や来訪者にはちゃんとしたものを常に振舞う。
 
 夫のひどい神経衰弱が原因で一時実家へ戻っていた夫人が両親から聞かされたのは、漱石が仕送りをしてくれていることであった。こうした挿話も夫婦の結びつきが表面ではわからない情をもつことを示していた。
 夏目鏡子著『漱石の思い出』からの引用で、これらの場面設定が随所にみられた。

 夏目家の食卓は豊かな食卓であるべきところ、主人である漱石は食べることが出来ない。家族がそのことに涙している食卓である。地位もお金もいかんともし難い、ただ妻子の愛が切々と伝わる…。
 この場面は哀切で、胸があつくなった。

 確かにこれまでにはない漱石像ではあった。その意図は充分に描かれていたと私は思う。食卓は家族が寄って出来上がり、時間を共有する大切な場所なのだ。
 主演男優モックンと女優りえちゃん、脇役もそれぞれいい個性があった。

 それから、漱石と鬱病への偏見が番組制作側にあったのではないか。見るのが少々辛かった場面もあった。現代病といわれているこの病に、漱石夫妻の行跡は参考となるだろうとも思う。

 今日の画像は新妻時代の鏡子夫人。
 見合いをした後、気どりがないところが気に云ったと漱石は言ったという。




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