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2005年2月の記事

2005年2月21日 (月)

ドラエモン と ホリエモン


 ホリエモンとは、32歳のIT企業社長・堀江貴文さんの持ち馬の名だという。それがたちまち飼い主の代名詞になって連日メデアをにぎわしている。

 フジテレビ対ライブドアーとの株式による戦いは、ホリエモンの奇襲乗っ取り作戦で世間をあっといわせた。アメリカでは当たり前の商行為として認知されているようだが、日本ではなかなかそうはいかない。今はどちら側にも勝算があるという展開になっているのが不思議な処だ。

 私は堀江さんをテレビで見ただけだが、嵐のような非難を受けている程その人に悪い印象は受けなかった。インターネットで成功し今や若者たちのヒーロー的な存在になっている彼の魅力はなんだろう?と考えた。
 
 反射的に浮かんだのは、五島 慶太氏(明治15年~昭和34年)のことだ。東京急行電鉄の事実上の創業者とされる実業家を若い世代は殆ど知らないだろう。

 東京地下鉄の乗っ取り、三越の乗っ取り等で「強盗慶太」といわれた人である。しかし、開発事業では伊豆半島、多摩田園都市の開発等で貢献度の高い業績を残している。

 私はホリエモンが昨年のプロ野球新規参入のきっかけを作ったことを忘れてはいない。仙台を真っ先に候補地に指定し地元にアッピールしたことも。彼は結局敗退したのであったが、その志は大きく野球史上に生きたのではなかったか。

 金儲けだけではないもの、哲学というべきものを彼は持っているように見える。彼の会社は若い重役がそれぞれ権限をもち、ワンマン社長だけではない空気があるようだ。彼はこう語っている。

「今までは、何かを探すためにインターネットを使っていたが、これからは違う。これからは、本来のインターネットのよい点、コアであるコミュニケーションの部分にどんどん到達していく。」

 彼は「探す」よりも「繋がる」ことのほうに期待をかけ、マスメデアとインターネットとの融合をもくろむ。その思いを支配といったり、物は金で動くと言ったり、露骨な言葉を使ったことがより一層感情的な拒否反応を招いた。

 未熟な点はやはり反省もし、さらに大きく成長してほしいと私は思う。そしてできれば、日本人のマナーを知って欲しい。
 時には和服に身を包んでしばし正座して、一碗のお茶を飲んで頂きたい。

 ドラエモンの夢ドアー。人間のドアーには何があるのだろうか。
 若者たちの夢の代行者!
 ホリエモン



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2005年2月12日 (土)

おあしが 無い


 夏目漱石の千円札は、1984年に肖像が採用され、そして2004年11月1日をもって消えた。
 とはいってもまだ当分は流通しているので、新券の野口英世がいかにも「パーマをかけた夏目漱石」に見えるのである。

 漱石を千円札にすると政府が決めた時、漱石の遺族は喜ばなかったと聞いている。漱石の人となり、名利を求めない信念を考えるならば、おのずとそういう気持ちになるだろうと私も思う。
 金銭にまつわる幼少からの体験、その苦しみが小説の背後には常に描かれている。

 古いことばで言えば、おあしであろう。新券5千円札の樋口一葉は、次のような名高い歌を詠んでいる。

我こそは だるま大師に成りにけれ とぶらはんにもあしなしにして

一葉の26年4月19日の日記。

「だるま大師には足がないのは誰でも知っている。知リ合いが死んだので弔いに行きたいけれども、私は貧乏て、あしのない達磨さんみたいなものだから、香典のおあし、お金がつつめないのです。」

 一葉のペンネームもここから出ているという説もあるが、ユーモアとペーソスがにじみ出ている歌である。
 24歳の若さで亡くなったこの美しい女性文学者には、あまりにもかなしい貧窮の生活であった。

 この歌から、葦の葉に乗った達磨像はみられるだろうかと、私は探してみた。古典の達磨像にはさまざまな形があり、その中に葦の葉の上に乗って海を渡る「葦葉達磨図(ろようだるまず)」があった。

 達磨大師は面壁九年。座禅のすがたから足がないことになっているが、この絵ではちゃんとしっかりした足が描かれていて、ほっとした。

 今日の画像は、白河市歴史民俗資料館から昨年、転載許諾のメールをいただいていた「葦葉達磨図」である。
 阿部正武筆。この方は江戸幕府の老中職を務めた大名だという。おあしには何不自由しなかった筆者であろう。
 ここに出典をしるし、謝意を表したい。



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2005年2月 3日 (木)

ITとはいとおそろしげなるものなり


「ITとはいと面白げなるものかな。」 から 「ITとはいとおそろしげなるものなり。触らぬ神にたたりなしとぞきこえけむ。」 へと環境が激変したため、恐竜(稽古場便り)は絶滅いたしました。そしてそのあとには新しい世界が・・・・・・・。

 こう書いているのは、ネットのご縁から中宮寺山吹茶会で都合三日間お手伝いをしてくださった私の友人、松江市のviolettaさん。
 この1日から2日と彼女のウェブサイトでは大地震が起こった。というのは、彼女が管理運営するページ「稽古場便り」が急に閉鎖ということになったからだ。

 ことの起こりは、茶道雑誌『淡交』2月号巻頭に家元のIT批判の文言があったことのようだ。お家元の考えは、私もこれまでも宗家での道話などで存じ上げているが、宗旦さんの「稽古とは心に伝え目に伝え耳に伝えて一筆もなし」の侘びの境地と修道の在り方説かれたものである。

 IT、インターネットの世界は顔がみえず、なかなか当事者を特定できない。何をやっても解らないという処から茶道の伝物・許状にも配慮せず無責任な記事を載せ続ける人が実際にいるらしいのだ。こうした現状を憂慮され、混乱を避ける為に先ず原則を表明されたのだと私は考える。

 しかし、多くの師範の方々には突然の鶴の一声がズシンとこたえたのではなかろうか?violettaさんの師事している高齢の先生は、彼女の稽古場便りに対して急に苦言を呈されたという。そして師の心を汲んだ上は、丹精こめたそのページをただちに閉鎖したのであった。

 身につまされる話である。ITは諸刃の剣といえよう。しかし、師の教えを大切に残そうとして克明に記録し、故郷を離れたわが子へのメッセージと、自らの学習のために努力する人の意欲を摘み取ることにならなかっただろうか?

 今やITはなくてはならぬ時代である。ITを知らない多くの人々へはより謙虚にそれなりの気遣いを以って接しなければならないと思う。それと同時にITに純粋な熱意をもっている者にあらぬ誤解が生じるとするならば…それもまた残念なことである。

 今日の拙サイトトップページは雪をかむって咲く玉之浦の画像をUPしたが、雪のない晴れた日のおなじ椿の花をここには載せようと思う。
 オペラ『椿姫』のヒロイン・violettaに、イメージを重ねながら…。

 



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