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2005年3月の記事

2005年3月25日 (金)

パリ万国博覧会から


 1900年のパリ万国博覧会では、エッフェル塔にのぼった漱石がいた。漱石33歳。このエッフェル塔は、大革命から100年後の1889年に開かれた万国博覧会の際に建てられたという。漱石は英国留学の途上でフランスにも行き、妻鏡子に手紙を送っている。

「今日ハ博覧会ヲ見物致候ガ大仕掛ニテ何ガ何ヤラ一向方角サヘ分リ兼候名高キ『エフエル』塔ノ上ニ登リテ四方ヲ見渡シ申候是ハ三百メートルノ高サニテ人間ヲ箱ニ入レテ綱條ニ(テ)ツルシ上ゲツルシ下ス仕掛ニ候」

「博覧会ハ十日や十五日見ニ[テ]モ大勢ヲ知ルガ積ノ山カト存候(中略)其許懐妊中善々身体ヲ大事ニ可被成候」
 妻へ敬語をもって書かれた候文のやさしさ。

 エレベーターに乗って微苦笑したか、漱石先生。この博覧会はことのほかお気に召したようで3度足を運んでいる。漱石はフランスに関心をもったらしく、後で文部省に留学を問い合わせたものの、その願いは聞き届けられなかったという。もし希望が叶えられていたらどんな展開になっただろう?

 あれから約105年後の日本ではいま愛知万博が開催されている。
1970年の大阪万博では圧倒的なハイテクの展示があり、多数のパピリオンを見て回るのにヘトヘトになった私がいた。

 いっぽう、この万博の茶室では裏千家志倶会の懸け釜があり、最年少会員の私もご奉仕の末席に連なったことなど、なつかしく思い出される。

 漱石が驚いた「名高キ『エフエル』塔」エレベーターから、一挙に月着陸・アポロ宇宙船へ飛んだ時代の推移はまさにめまぐるしい。

 きょう開幕した、愛・地球博と銘うった愛知万博は、これまでの科学と産業の行き過ぎを反省してのことだろうか。
「自然の叡智(えいち)」をテーマにしている。
 人類のおごりが世界的な環境破壊になっている今日、西洋文明に対して早くから警鐘を鳴らし続けた漱石を思わずにはいられない。

この博覧会場では、ベルリンから京都へはじめてやってきた自転車タクシーが始動しているという談話室の書き込みもあって、ひととき心和むのである。
 スピードのみを求めるのでなく、環境にやさしいという利点を大切にする昔ながらの生活感が戻ってきたのであろうか。

 今日の画像は漱石が英国・オックスフォード マグダレンカレッジの塔を描いた水彩画である。おだやかな情趣の塔がうつくしい。(東北大学附属図書館)



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2005年3月16日 (水)

乗っ取り イギリスの日本寿司店


 ふたむかしも前のことになる。
 夫の在籍していたケンブリッジの大学へ私も夫を訪ね一夏を過ごしたことがある。ロンドンとケンブリッジと二つの町で食事した記憶は割合よく覚えている。

 日本料理を食べさせてくれる店は高級な感じで値段も高い。貧相な研究者の行くところといえば寿司の店、それも大衆向きの安い店だ。カウンターに腰かけて寿司職人に話しかけると自分は日本人ではない、と言う。

 聞けばコリアンだと笑顔で答えた。だんだん解ってきたのは日本人が経営している店はいつの間にか消えて、代わりにコリアン経営の店になって行くケースが多いということだった。朝鮮料理のスタミナたっぷりの焼肉に日本の寿司がメインである、こうした店はなかなか繁盛していた。

 さらに日本人の旅行代理店の人から興味ふかい話を聞かされた。日本人の経営する店が開店し客が集まるようになると決ってコリアンがすぐ近くに同じような店を開く。寿司も日本人が作っているのと同じように出すので客には全くわからない。

 しかし、いつの間にか元あった日本人の店はなくなるのが常だというのである。商売の競争に負けたことであろうが、客にとってはいい食事ができればいいので経営者のことまで詮索はしないのだ。

 最近のフジテレビとニッポン放送、対するライブドアの争いを見ていると私は昔自分が見聞きした短期間の海外生活の日々を思いおこすのである。
 企業買収は合法でとされているが、そのやり方に不信が増幅し今後の展開が泥沼化の様相を呈している。ホリエモンの考えに金儲けだけでないものを期待していた人々はどうやらその期待が幻想ではなかったかと思い始めるかもしれない。

 低迷したメデア界に電撃ショックを与えた勇気は評価していいのではないかと思う。しかし、挑戦者側が依頼していた弁護士が3人も辞任し、社員との信頼関係も実際はグレイであり、雇用は低賃金、オーナーのみ豪遊というのはどうも頂けない感じがする。

 果たして新たによりよきメデアを構築できるか、それは未知数である。若い人であっても実際にはきわめて旧い体質の人も多いし、できれば既存のメデアと和解の道を探り、日本のために双方でよきものを作り上げて欲しいというのが一般の視聴者の願いである。

 今日の画像は古い写真になるが我が家のねこ。かれは時として哲学しているような立派な表情をするのだ。




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