パリ万国博覧会から
1900年のパリ万国博覧会では、エッフェル塔にのぼった漱石がいた。漱石33歳。このエッフェル塔は、大革命から100年後の1889年に開かれた万国博覧会の際に建てられたという。漱石は英国留学の途上でフランスにも行き、妻鏡子に手紙を送っている。
「今日ハ博覧会ヲ見物致候ガ大仕掛ニテ何ガ何ヤラ一向方角サヘ分リ兼候名高キ『エフエル』塔ノ上ニ登リテ四方ヲ見渡シ申候是ハ三百メートルノ高サニテ人間ヲ箱ニ入レテ綱條ニ(テ)ツルシ上ゲツルシ下ス仕掛ニ候」
「博覧会ハ十日や十五日見ニ[テ]モ大勢ヲ知ルガ積ノ山カト存候(中略)其許懐妊中善々身体ヲ大事ニ可被成候」
妻へ敬語をもって書かれた候文のやさしさ。
エレベーターに乗って微苦笑したか、漱石先生。この博覧会はことのほかお気に召したようで3度足を運んでいる。漱石はフランスに関心をもったらしく、後で文部省に留学を問い合わせたものの、その願いは聞き届けられなかったという。もし希望が叶えられていたらどんな展開になっただろう?
あれから約105年後の日本ではいま愛知万博が開催されている。
1970年の大阪万博では圧倒的なハイテクの展示があり、多数のパピリオンを見て回るのにヘトヘトになった私がいた。
いっぽう、この万博の茶室では裏千家志倶会の懸け釜があり、最年少会員の私もご奉仕の末席に連なったことなど、なつかしく思い出される。
漱石が驚いた「名高キ『エフエル』塔」エレベーターから、一挙に月着陸・アポロ宇宙船へ飛んだ時代の推移はまさにめまぐるしい。
きょう開幕した、愛・地球博と銘うった愛知万博は、これまでの科学と産業の行き過ぎを反省してのことだろうか。
「自然の叡智(えいち)」をテーマにしている。
人類のおごりが世界的な環境破壊になっている今日、西洋文明に対して早くから警鐘を鳴らし続けた漱石を思わずにはいられない。
この博覧会場では、ベルリンから京都へはじめてやってきた自転車タクシーが始動しているという談話室の書き込みもあって、ひととき心和むのである。
スピードのみを求めるのでなく、環境にやさしいという利点を大切にする昔ながらの生活感が戻ってきたのであろうか。
今日の画像は漱石が英国・オックスフォード マグダレンカレッジの塔を描いた水彩画である。おだやかな情趣の塔がうつくしい。(東北大学附属図書館)
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