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2005年6月の記事

2005年6月25日 (土)

太平洋から日本へ 漱石の孫マックレイン陽子さん

太平洋から日本へ
「太平洋にいつかわたくしの灰をまいてください、というのが希望なのです。そうなれば日本へ流れていきますから。」

5月のある日、こう晴れ晴れとおっしゃるマックレイン陽子さんの、若々しいお声が耳に残っています。このたびの来日には、夏目房之介さんのお母様の3回忌にお参りされる目的がおありだった由。それにご実弟も他界されてお寂しいはずですのに、からっと明るいご様子に私はことばもありませんでした。

「主人も自分で望んでました。わたくしは彼の遺灰をシャクナゲの花がきれいに咲く場所にまきました。シャクナゲの咲く季節にはそこに行って主人に会うのです。」
…アメリカ人のご主人は自然を敬い、日本美術を愛好する方だったのです。

昨今の世相になっている延命治療について私が懐疑的ですと述べると、陽子さんはきっぱりとおっしゃった。
「もったいないわ。せっかく楽しく生きるべき命なのに。あちらではベジタブルというんだけれどそれは絶対にイヤ!わたくしはそうしたことを弁護士を通じて書類を作りました。」

漱石より31年長く生きていることを感謝され今も人々の尊敬をうけていらっしゃる、オレゴン大学名誉教授・松岡陽子マックレインさん。今日の画像は、この春サクラの花が咲きましたと送ってくださった一枚です。

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2005年6月23日 (木)

松岡陽子マックレインさんと中村是公旧邸宅にあそぶ

中村是公といえば満鉄総裁として有名ですが、のちに東京都の知事にもなっていますね。
是公さんの旧宅を松岡陽子マックレインさんとご一緒に訪ねて遊びました。それから「漱石山房復元」のニュースでクローズアップされた新宿区役所を訪問いたしました。懇談のあと部長さんのご厚意で漱石公園にも連れて行っていただきましたし、新宿区のお役人の方々のご親切は忘れることができません。

中村是公旧宅はいま結婚式場&レストランになっています。管理人さんの話では「この応接間には夏目漱石がよく来られていたそうです」と。


どこか漱石のおもかげを陽子さんに感じましたが、それは私だけでしょうか。。


漱石山房復元へ 新宿区と中村是公旧宅を訪問 松岡陽子マックレイン

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2005年6月12日 (日)

サロン

2005年6月12日

2002年の暮から愛用していたnoteブックでした。

この度、ひとまずお休みして、ブログを新たにニフテイさんに申し込みました。

使い勝手がまだ…どうも馴染まないのです。

これまでのnoteブックのようにはいきませんね。

いまは、他の皆さまの様子を伺いながら、といったところです。

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2005年6月10日 (金)

亭主ぶり


 亭主関白をうたったのは、1979年さだまさし『関白宣言』。訴えるようなギターの弾き語りだった。現実はなかなかそうならない男の夢を郷愁のような曲の調べに乗せて大ヒットしたのだ。

 今日では社会通念として亭主という言葉さえ影が薄くなってしまった。ところがお茶のほうでは必要な役割の用語となる。この場合、性別は関係なく茶席のあるじを亭主と呼ぶのである。

 主と客があって茶事・茶会は成立する。利休居士は「直心の交わり」をもって茶事の要諦とされた。昨今の大寄せ茶会では望めないかもしれないが、マナーはめいめい見聞して学ぶことができる。

 つい先日、ご宗家から臨済宗大本山での献茶式と茶会へご招待を頂き参上した折のこと。今日庵の若き業躰の添え釜は名器もさることながら客をリラックスさせてゆかしい雰囲気でもてなされた。

 ところがもう一席、別の添え釜がかかっておりそこは異質の世界であった。挨拶に出られたのはお道具持ちで有名な或る会のワンマン長老。業躰の指導すら決して受けられないその方の亭主ぶりは、女性の身ながら年々「関白」の度が進んでいると聞いていた。

 寺院の開山忌供養とする為の家元の献茶式。その添え釜を奉仕する会の顔として席中におられるはずが、客に対してあたかも自分の弟子達に道具等を見せて教えてやる、といった態度で終始されるのだ。

 客に対しては道具も解らないでと侮蔑の表情。道具の拝見を末客から回される場面もあったし、会話は常に一方通行。正客に押しやられた者には会話という以前に亭主と心が通じない。

 知識は先輩に学ぶべきもの多くわが身の至らなさを恥じる私だが、せっかくの知識を騒々しい使い方をされる亭主ぶりに惜しい!と思った。
 僭越ながらいかに長老といえども非を非として認識し、お茶はしみじみと味わいたいものと願うのである。

 今日の画像は、先年お会いしたウイーンの修道女Sr.ベアトリックスと私。あの一会の心の交わりが懐かしい。




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2005年6月 6日 (月)

人よりも空 語よりも黙


 去る5月23日、歌舞伎町の新宿区役所を訪問された松岡陽子マックレインさんとご一緒した折、部長さんのご配慮で漱石公園まで公用車で連れて行っていただいた。

 早稲田町にあった漱石の住居の書斎が「漱石山房」とよばれるもの。戦災で消失したその跡地は都営アパートとカギ形の地形の公園になっている。有名人の記念館は数多いがこれまで漱石の為に作られた本格的記念館はなく、漸く「漱石山房」復元の動きになった。

 東京都で初の女性区長が昨年誕生。以後着々と文化面の充実がはかられたようだ。あの悪名高かった歌舞伎町が通りすがりのよそ者の私の目にも活気あるよい町の様相にうつる。新宿区ホームページには住民の声に耳を傾ける女性区長中山弘子さんの容姿がステキだ。

 陽子さんも区長さんの噂はきいて知っておられた。とにかく情報は新しく、明快なものの見方が若々しい。年齢を超えてこの未熟者の私にも対等に話してくださる陽子さん。
 教師臭がなく正直なご性格はおじい様の漱石ゆずりかと思ってみたりする。

 漱石が修善寺大患のことを書いた『思い出すことなど』にある文章が私は好きだ。漱石は重病からよみがえった時、赤とんぼを見た。その一節。


 空が空の底に沈み切ったように澄んだ。高い日が蒼い所を目の届くかぎり照らした。余はその射返しの大地に洽(あま)ねき内にしんとして独り温もった。そうして眼の前に群がる無数の赤蜻蛉を見た。そうして日記に書いた。――「人よりも空、語よりも黙。……肩に来て人懐かしや赤蜻蛉」


 漱石公園の漱石胸像にも、この句が彫られている。禅的な境涯だと思われるが、いやいや…自分には程遠いと思う。

 今日の画像は赤いブラウスがよく似合う陽子さん、実際私たちは終日おしゃべりを楽しんだのであった。



 

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