亭主ぶり
亭主関白をうたったのは、1979年さだまさし『関白宣言』。訴えるようなギターの弾き語りだった。現実はなかなかそうならない男の夢を郷愁のような曲の調べに乗せて大ヒットしたのだ。
今日では社会通念として亭主という言葉さえ影が薄くなってしまった。ところがお茶のほうでは必要な役割の用語となる。この場合、性別は関係なく茶席のあるじを亭主と呼ぶのである。
主と客があって茶事・茶会は成立する。利休居士は「直心の交わり」をもって茶事の要諦とされた。昨今の大寄せ茶会では望めないかもしれないが、マナーはめいめい見聞して学ぶことができる。
つい先日、ご宗家から臨済宗大本山での献茶式と茶会へご招待を頂き参上した折のこと。今日庵の若き業躰の添え釜は名器もさることながら客をリラックスさせてゆかしい雰囲気でもてなされた。
ところがもう一席、別の添え釜がかかっておりそこは異質の世界であった。挨拶に出られたのはお道具持ちで有名な或る会のワンマン長老。業躰の指導すら決して受けられないその方の亭主ぶりは、女性の身ながら年々「関白」の度が進んでいると聞いていた。
寺院の開山忌供養とする為の家元の献茶式。その添え釜を奉仕する会の顔として席中におられるはずが、客に対してあたかも自分の弟子達に道具等を見せて教えてやる、といった態度で終始されるのだ。
客に対しては道具も解らないでと侮蔑の表情。道具の拝見を末客から回される場面もあったし、会話は常に一方通行。正客に押しやられた者には会話という以前に亭主と心が通じない。
知識は先輩に学ぶべきもの多くわが身の至らなさを恥じる私だが、せっかくの知識を騒々しい使い方をされる亭主ぶりに惜しい!と思った。
僭越ながらいかに長老といえども非を非として認識し、お茶はしみじみと味わいたいものと願うのである。
今日の画像は、先年お会いしたウイーンの修道女Sr.ベアトリックスと私。あの一会の心の交わりが懐かしい。
| 固定リンク
« 人よりも空 語よりも黙 | トップページ | サロン »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント