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2005年7月の記事

2005年7月 2日 (土)

雑司が谷に漱石の墓所をたずねお参りした日のこと

雑司が谷に夏目漱石の墓所をたずね私が最初にお参りした日は、2001年秋。
あれからもう4年近い歳月が流れました。松岡譲氏『夏目漱石』の解説によってこのお墓について教えられたことを思い起こします。

<十二月}二十八日に雑司が谷の墓地に愛子ひな子の遺骨にとなりして埋葬された。
一周期の時新しく広い墓地にかへ、墓を建てて改葬された。
墓は未亡人の妹婿鈴木禎次の設計になり、新様式の石塔である。
字は漱石の親友菅虎雄の筆になった。この墓地も落合火葬場とともに彼の作品の中に
描かれた有縁の地であるのである。墓地は『こころ』に、火葬場は『彼岸過迄』に。>

安楽椅子の形をデザインした石塔には、ご遺族のお気持ちが痛いように感じられました。病苦から開放され永久に安らいでほしいとの願いを…。ただ、スケールがあまりに大きいので当時から世間の評判はいろいろあったようでした。
傍らに夏目房之介さんがおつくりになった新しい小さなお墓があり、つつましい感じで私はお人柄を想いました。ふたつのお墓に私は持参したささやかな花を供えしたのでした…。

ことし5月松岡譲氏二女・松岡陽子マックレインさんが来日。故夏目純一氏夫人嘉米子さんの3回忌に出席されたとのこと。この雑司が谷霊園にもお参りされ、ふとこんな感想を述べられたのです。

「漱石の墓は、彼の好みじゃないわ。祖母はなんでも大きいのが好きな人だったですからね。でも、私はあれはあれでいいと思ってます。」

江戸っ子漱石をほうふつとする孫の陽子先生。旅行中でも毎日70回縄跳びをされ、ウオーキングが健康の元だと信じて実践される若々しさ。学究の生真面目さと、妻であり母である主婦のやわらかさが感じられて、傍にいるだけでたのしい方です。

今日はこのブログに、元新聞記者のなまずさんと掲示板でやりとりしたことどもを、なまずさんのご了解のもとに転載させていただきます。

椿わびすけ さま
いつも 励ましていただきありがとうございます。
掲示板の転載のこと どうぞ 気がねなく 転載してください。
暑くなってきました。健康にはご留意ください。 なまず。
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(172) 時代を感じました 名前 : namazu 2005年07月01日(金) 17:15
 松岡陽子マックレインさんのこと 頷きながら読ませていただきました。
 以前、訪れた雑司ヶ谷の漱石先生の墓。その墓石の大きさに驚かされたものです。お孫さんの死生観に時代を感じます。


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(171) 自然のなかに お墓に代わるもの 名前 : 椿 わびすけ 2005年06月30日(木) 09:42
くりママさんと鯰さんのお気持ち、よくわかります。お墓というものは先祖供養と結びついて日本人の生活にはなじんでいますが、最近はアメリカでも宗教を離れた自由な考え方が増えているようです。漱石のお孫さんのマックレイン陽子さんからお聞きした実話をつたないブログに書きました。
http://rendezvou.exblog.jp/


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(170) 頓田川のほとり 名前 : namazu 2005年06月29日(水) 12:09
 クリママさん 岡山のクリちゃん元気かな、いつもWeb上でたしかめ、ほっとしています。
 吉田さんとは同郷だったのですね。驚きました。「頓田川河口」が、どのあたりかな と気にはなっていました。
 どこかシャイな人でしたが、やはり生まれ故郷に思いをのこしていたのですね。あらためて あの人柄がしのばれます。
 クリママさんのHP http://www11.plala.or.jp/nayama/


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(169) 病床での書き置きを読んで 名前 : kurimama 2005年06月28日(火) 00:30
ご無沙汰しております。岡山のくりママです。
回りでお葬式が続く年頃になり、派手なお葬式に参列したり、身内だけのお葬式の話を聞いたりしている昨今なので、逝った方からの「ごあいさつ」を直ぐに「見聞録」で読みました。
思いがけないことに、その映像作家さんは私の同郷の方でした。70歳過ぎの姉が頓田川河口近くに住んでいるので電話で聞いてみると、知人の同級生だとのこと。
世界を飛び歩き、心残りのない生き方ができたから、自分のやり方で旅立つことを選んだのでしょうね。共感を覚えました。


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鯰のひとりごと
ある映像作家の死 by namazu
吉田元さん。自然と共生しながら生きてきたカメラマンでした。4月25日にガンで亡くなりました。遺言とうりに知らせることなく、家族とごく親しい仲間だけで秘蔵の酒を酌み交わして送ったようです。この人らしい「あいさつ」を再録しました。(05.06.22)
あいさつ

 私・吉田 元は平成17年4月25日 くたばりました。4月28日、自宅でごく近親者のみに送り出されました。通夜も坊主の読経もありません。いきなり棺に野の花を投げ込み、葬場へ直行です。今ごろは小さな骨壺の中でしょう。この上もなく暗く、いやな場所です。早々に瀬戸の来島海か頓田川河口(ふるさと)でも、あるいは八重山の海辺にでも ばらまいてもらう手はずです。地球が墓場になります。好きなときに世界中に出かけます。
 春のホオジロのさえずりに聴きいり、アルゼンチンのパンピエロ(季節風)を見たり、秋には皆さんの家の庭の片隅でコオロギを聴いているかもしれ ません、とにかく70余年の楽しい生涯でした。快い人たちーあなたのことですーに出会い、全く愉快でした。思い残すことがありません。素晴らしい一生です。ありがとう。それではー  元

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