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2006年12月の記事

2006年12月31日 (日)

南座の顔見世 京から江戸へさがる

大晦日は、ことしの千秋楽にあたります。
今日のJanJan掲載記事のお知らせを。

12・31 JanJanUP 顔見世千秋楽 雨のなかに 中村勘三郎襲名披露
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これは数年前の南座。改築前、東華菜館という中華料理店の屋上から撮影したものです。

今回は演目を具体的に挙げて見どころや役者についても言及しました。
写真は3枚だけで、昨年の顔見世のように舞子さん達の華ある処を撮影できなかったのが残念でした

雨のせいもありましょう。



役者さんの口上は立派ですが、こちらはショボイ口上で~~す。みなさま、この一年間ほんとうに有難うございました。

来年があなたさまにとってどうかよい年となりますように!
はいこちらにもおすそ分けをしていただきま~~す(^。^)

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2006年12月29日 (金)

カミーユ・クローデル作 兄・ポールクローデル胸像

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この夏に京大正門前の関西日仏学館に行き、撮影した画像がようやく記事になり日の目を見ました。

カミーユ・クローデル作 の 胸像も収蔵する 関西日仏学館

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JanJan tsubakiコラム 古都つれづれ

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2006年12月27日 (水)

顔見世 中村勘三郎襲名披露 千秋楽 

この慌しい年の暮れといいますのに、家の中の片付けはほっといて顔見世にいくのはちょっと気が引けるのでありました。理解あるオットドッコイのひとことで背中を押されるようにしてことしも行ってきました。もちろんひとりです。

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開幕前の舞台には、十八代目 中村勘三郎丈江 という企業主からの引き幕。




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午前10時半開演の芝居が終了して南座を出て撮影。雨が降っている中マネキを見上げる。。




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まいこさんを探したのですが、見当たりませんでした。去年は撮影できましたのに。



昨年の顔見世は坂田籐十郎襲名披露。この時の感想は日本インターネット新聞JanJanのトップ記事として掲載されたことを思い出しています。

世界遺産に登録された歌舞伎顔見世で坂田藤十郎襲名披露





昔は、歌舞音曲のたぐいは勝負のせかいと同じく、好ましいものでないという考えがありました。

何よりも学問と聖賢の道を尊ぶ、そうした家風が日本のどこかに確かにあったのです。
主人の父がそうしたひとであり、家風そのものでしたと私がいえば、なにか不釣り合いに聞こえるかもしれません。

そのためでしょうか。いい加減な私なのに好きなことをさせてくれる主人になった、とまあこういうわけなんです。
漬物好きな主人のために、白菜と蕪のぬか漬けを漬けましたし、明日頃は食べころとなるでしょう。

雨の顔見世・千秋楽は、午前の部で義経千本桜がよかったです。白狐に扮した中村勘三郎、アクロバットあり、それはたいへんな重労働だと思いました。

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2006年12月24日 (日)

クリスマスの贈りものはお手作り

贈りものっていろんな受け取り方がありますね。

日本ほど贈りものが横行している国はないと聞きますが、どうなんでしょう?

親しい間柄の心のこもったプレゼントは一方通行ではありませんし、お互いの潤滑油の役割もありましょう。けっこうなことですよね。

ただ、上にあつく、下に薄いといった社会慣習は問題なきにしもあらず、といったところでしょうか。私がいただく場合はまったく上下関係なしです。

私は最近、クリスマスプレゼントを頂戴したようです。毎年この季節には宅急便で到来するのです。それは、お友だちのカトリック修道院のシスターから自家製のパン&ケーキなんです。

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シスターポーラ先生は長年、N高校の校長先生をつとめられたお方。趣味のケーキ作りはプレゼントとなってゆかりある人々に配られます。私のお友達シスターーCのご縁でこちらにも回ってくるのは有難いことです。見た目はシンプルですがお味が極上。とっても美味しいんです。

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ことしの学園祭には、なつかしいアメリカ人のシスタージーン先生からの私宛のカードとお茶、栗きんとんのお菓子も届きました。嬉しかったですねえ。猫がとりもつ縁なんですよ。

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たまたま写真を撮っているとうちのドラが邪魔しにやってきたところです。


今度は、真面目なお役人の男性からの贈りもの。愛妻家のぞうべけんいちさんのお人柄が分かる品物なのです。これはすべて奥様のお手作りなんですね。

あ、念のため、決して贈賄にはならないことを保障いたします。ぞうべさんとはお家元の茶会にお誘いしてご一緒させていただいたご縁なんですよ。

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居間につるした、さかなねこ

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おやこねこ (実物サイズはこの約半分くらいです。)

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ちりめん細工の和菓子(実物大です)

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ネットのおつきあいということでPC上に置かせていただきましたが、まずかったですか。

ぞうべさん(*^。^*)

奥様にどうぞよろしくお伝えくださいませ。

拙サイト

家庭に幸福をよびこむ日本のお守り

シスターからいただきもの ネコカードと

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シロワビスケの咲くわが家です

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センリョウも早々と実をつけています。
小鳥がついばみに来ますのでお正月にはどうなっているか、すこし気がかりです。
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拙サイト
シロワビスケが庭に咲きました

わびすけの花 いろいろ咲いてます

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2006年12月22日 (金)

日本のすぐれた面を報道する 韓国人記者の目

日本国内ではあまり見られない違った角度から、韓国の新聞記者が書いている記事があります。それらを3点、ご紹介いたしましょう。ただ、私がこれらの記事内容を全面的に共感しているということではありません。



【コラム】「土建族の国」    記事入力 : 2006/12/21 
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/21/20061221000068.html


「われわれ韓国人にとって、日本の小泉前首相は靖国神社参拝に固執する極右政治家として知られている。しかし、日本では「土建族」を根絶した「改革政治家」として有名だ。

 土建族とは、国会議員、官僚、建設業者を結ぶ「三角コネクション」を指す言葉だ。彼らは「地方均衡発展」という大義名分を掲げて途方もない額の国民の税金を使い、不必要な道路、空港、ダムを大々的に建設した。そのため、国家債務を増やし、長期不況を招いた元凶として、以前から批判の的になっていた。 」


田中角栄元首相と 選挙制度と国民

「しかし、皮肉にも土建族を横行させた基盤は、選挙制度と国民だった。地方住民の立場から見ると、土建族議員は中央から予算を引っ張ってくる地域発展の立役者だ。「土建族の元祖」田中角栄元首相は、1970年代のロッキード事件で逮捕され、裁判を受けている最中に総選挙に出馬し、全国最高の得票率を記録した。これはすべて、地域開発事業を誘致した功績のおかげだった。 」


「このような選挙制度がある限り、永遠に不変かのように思われた土建族だったが、これを没落させる魔術を施した政治家が小泉前首相だった。小泉前首相は昨年の総選挙で、自ら重点公約に掲げていた郵政民営化に反対する議員らを1人残らず党の公認から排除した。血も涙もない冷血漢という非難も受けた。 」


住民はなぜ背を向けたか

「 郵政民営化に反対した議員の多くは、地方への利益誘導を主張する土建族議員だった。だが、彼らにも大義名分はあった。郵便局が民営化されれば、結局需要が少ない地方の郵便局から閉鎖され、地域住民らが不便になるという論理だ。しかし、選挙ではその地方の住民すら彼らに背を向けてしまった。 」

 「なぜ、地方の住民までもが土建族議員を見捨てたのだろうか。それは、長きにわたる経験を通じ、地域住民らも大規模開発事業の弊害を自覚したためだった。地域住民らは、天文学的な予算を投入した道路が「熊とリスだけしか通らない」と言われる程閑散とし、政治家らがバブル期に急造した工業団地とリゾートの多くが、雑草が生い茂る荒れ地に変わっているのを目撃した。 」


小泉前首相の「改革」とは

「 こうした変化を誰よりも早く見抜いた政治家が小泉前首相だった。小泉前首相は2001年に首相に就任して以来、戦後日本の国土政策の金科玉条(最も大切な決まり)だった「首都圏規制」を撤廃した。首都圏の規制は企業の地方移転ではなく、むしろ海外移転を促進し、日本を永遠の二流国家に転落させるという論理で国民を説得した。小泉政策の効果により、海外に脱出して行った日本企業が再び国内に戻り、長期不況に陥っていた経済も復活している。 」


日本で没落した土建族  韓国では勢力を増大


 「ところが、日本で没落した土建族が、韓国では日を追うごとに勢力を増している。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は地方発展という大義名分を掲げて開発計画を乱発し、全国の土地価格を急騰させた。さらに、それだけでは飽き足らないのか、来年の初めには再び画期的な地方均衡発展政策を打ち出すと公言している。 」


明の日本 暗の韓国


 「今後、大統領選挙が迫るにつれて、与野党を問わず、票を得ようとさらに奇抜かつ大型の地域開発公約を乱発するだろう。韓国は土建族の国へと突っ走っている。」

車学峯(チャ・ハクボン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS






【コラム】東京の1万7900羽のカラス
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/12/20061212000062.html

「日本の名だたる優良企業をていると、いずれも経営者が職員の知恵を引き出す能力にたけているという共通点を見出すことができる。 」


 彼が、インタビュー取材で訪れた岐阜県の未来工業で目にしたことは、
「休め、仕事をするな、思った通りに行動しろ」という創業者の語録を見かけた。」

また、「トヨタ自動車の「仲良く戦え」、京セラの「自燃性の(自ら燃える)人」といった著名な経営者たちの発言も、「猛烈に考え、自ら知恵を絞り出せ」ということを逆説的に表現した教訓ともとれる。こうした日本の超優良企業を支えているのは、年間数万件以上にものぼる現場職員からの改善案だ。 」

と社内の空気をよんでいるのです。なかなか面白い記事ではありませんか。


「日本では企業だけでなく、国にも同じような仕組みが機能しているのではないだろうか。国の場合も、指導者がひらめいたアイデアに国民の知恵を結集し、行動してこそ、発展する。」

記者は自国を顧みて、こう突き放すように述べています。

「その一方で、韓国の国民はいつまで言い訳ばかりを繰り返す指導者に耐えていかなければならないのだろうか。 」



鮮于鉦(ソンウ・ジョン)=東京特派員

朝鮮日報/朝鮮日報JNS




つぎは私の地元である京都市の優良企業の紹介です。誇らしい気持ちで私はキーボードを打っているところです。


京都・オムロン本社の信念と 社会貢献


2006/03/14

【社説】世界最高の製品を作る日本オムロン社の障害者たち
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/03/14/20060314000003.html

「日本の大分県別府市に位置するオムロン太陽株式会社は、従業員の47人のうち35人が障害者で、このうちの70%は両足や両腕に重度の障害を持つ。

 オムロン太陽は、精密計測、制御技術分野の世界トップメーカーであるオムロン社が、1972年に設立した子会社だ。日本初の障害者自活工場でもある。会社の玄関に入ると、目に見える6階建てのコンクリート建物は、田舎の学校を連想させる。赤い太陽のなかに小麦が刻まれた会社のシンボルが鮮やかに見える。 」



「小麦は踏めば踏むほど、首をまっすぐに伸ばします。障害を持つ人も、小麦のような強い生命力で団結し、力強く生きていこうという意味です」。自身も下半身麻ひで車椅子に乗っている江藤秀信社長は説明する。江藤社長は、「障害者に必要なのは『チャリティー』(慈善)ではなく、『チャンス』(働く機会)です」と述べた。

 大分県だけで、こうした障害者の自活工場が8か所に及ぶ。「健常者より、よい品質で競争すること」が共通の目標だ。





地元の話題ということで以下検索してみました。
笹原選手オムロン本社へ優勝報告
http://rintera.web.infoseek.co.jp/news/2006.11.28/newpage28.htm
 「11月28日京都市にあるオムロン株式会社(本社)へ10月29日大分国際車椅子マラソンで優勝したことを笹原選手と社長の江藤が報告に行かれました。

 立石会長・作田社長・ECB湯川CP社長・落合専務・下津部長とオムロンの広報関係者出席の中笹原選手略歴紹介を江藤が報告し、、続いて笹原より
「大分国際車いすマラソン大会優勝報告にオムロン本社へ訪問を致しまして、代表取締作田久男社長から表彰を授与して頂き大変嬉しく思っております。今回の大会結果はもちろん、表彰して頂けます事になりましたのも、日ごろからの多くの方々の声援のお力添えがあったからこそだと思っております。貴重な表彰に心から嬉しく思い又、多くの皆様に感謝の気持ちで一杯になりました。今回の表彰を励みにしまして多くの方々の応援を力に変えて、さらに頑張って行こうと思います。」と語られ、第26回大分国際車椅子マラソン大会模様のビデオダイジェスト放映を行った。」



オムロンの社訓


われわれの働きで

われわれの生活を向上し

よりよい社会をつくりましょう



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2006年12月20日 (水)

京都 新風館 クリスマスライブ

新風館の中庭で、新人ミュージシャンたちによるライブが行われました。
無料ということもあり、噂に聞いているライブ、ポエトリー・リーディングというものを聞いてみたいと思い、寒い日でしたが出かけてまいりました。
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詩の朗読が、軽快な打楽器とベースのリズムに乗って、空気のなかに刻まれていくような錯覚…。新しい感覚の散文詩ですね。

本来ポエムには、音楽、匂い、色彩、と3つの要素があるとされています。京都の匂いがそこはかとなく音楽の中に感じられました。視覚的な広がりはこれから出てくるのではないでしょうか。

choriさんの声よりバックサウンドのほうが音量が大きく、私の耳には詩句が聞き取れなかったのが心残りでした。

占いで精神年齢22歳となったわびすけも、肉体年齢が正真正銘の22歳、choriさんには追いつくのが精一杯でした。





新風館に来ましたのは、じつはこれでたった2度目なんです。

ヴェロタクシーがドイツから日本へ輸入され、最初に京都で試乗会が催されたののが、この新風館だったのです。お暇のある方はこちらをご覧になっていただけますか。


拙サイト

2002・2・17UP 京都議定書発効 べるりんから京都へやってきたヴェロタクシー


2005・2・17UP べるりん・いちか & 椿わびすけ  へんしゅうってむつかし~

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2006年12月18日 (月)

アメリカと台湾の大学でわびすけサイトが紹介されています

いまさらという感じですが、一、二年前にアメリカのバージニア大学のサイトに私の名を発見したのです。

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厳密には五年前に、バージニア大学の図書館から私の或る画像を掲載したいという依頼のメールがきたのが発端でした。

日本の風習を取り上げる企画だそうで、私の正月風景がお目に留まったようでした。光栄なことと喜んでお受けしたのは申すまでもありません。その後ずっとお知らせがなく、こちらも忘れていたのですが、ある日検索から偶然に私のこの画像に辿り着いたのです。

アメリカでも格式高いバージニア大学、世界遺産の建造物がある大学は世界にも珍しいのです。日本文化の研究は群を抜いたものといわれています。

この画像は 洛中新春スケッチ 2001・1・14 に作成したものでした。掲載された一枚は、「昔風の 正統派 門松」 とキャプションをつけている門松。高台寺界隈のとある高級料亭の前で足を留め、撮影したのを思い出します。

自分の拙い写真が日本文化紹介の一端として永久保存され、お役に立っているかどうかはわかりませんが、バージニア大学図書館、並びに制作されたお方に感謝の念でいっぱいになります。

それから、今度は台湾の国立大学で、私のサイトが『侘び』の解説に取り上げられているのをずっと以前、検索で発見しました。漢字をあてずっぽうに読んでみたりして微笑したものです。

椿 家  (とわがHPを記載していますね。教科書でしょうか。)
伝統文化 椿家 :
 
(出典がきちんと掲載されているところは礼節があります。)
(画像は  やよいの雪 茶道宗家 2003年3月 の一枚です。)
 
松風庵  (引用)

此網站擬從日本語彙探討多元日本,了解日本歷史、地理、社會環境。

透過日本獨特的使用語彙認識日本文化、理解日本風土下孕育之民族性、價值觀、思考模式 …

1. 風土與美意識

從日本民族在文學、科技、演藝技能之成就,認識日本民族文化特色所表現的精神。

2. 社會與人際

認識現代日本社會、政治、經濟發展現況,探討日本社會發展面貌的背後成因與問題。從新認識思考台灣社會發展現況與問題。

3. 生活環境與性格

認識日本地理、社會環境,理解日本民族性、價值觀、思考模式。

http://www2.nkfust.edu.tw/~ayling/index.htm

思考語言與文化網站

言語文化

こうしてみますと、ネットは思いもかけない縁をもたらしてくれるのですね。

よい縁もあればそうでない縁も派生します。

今日は私にとって嬉しい「えにし」が国際的な東西の大学から結ばれていたことを、感謝をこめて書き留めておきたいと思います。 

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2006年12月 9日 (土)

中国ではむごい処罰 日本の心美しい遊女と白隠禅師の場合

現代ではとうてい考えられないニュースが飛び込んできました。中国で、売春婦が黄色い囚人服を着せられ、手錠でつながれ出身地と実名を公表されたうえ、市中を引き回されたというのです。写真をみれば一目瞭然です。

その前に売春をせざるを得なかった女性たちの境遇を考えてみましょう。イザ!の記事には次のようになっています。

「中国で風俗産業に従事する女性は推計600万-1200万人とされる。多くが貧しい農村からの出稼ぎ組で故郷の親兄弟に仕送りしている。売春の元締めの黒社会からは稼ぎをピンハネされ、社会からは白い目が注がれる。しかも、本来違法であるはずの風俗産業の経営には公安当局者の後ろ盾があるケースが多い。」

「11月29日、深●(=土ヘンに川)市内で、同市公安局福田分局が売春婦40人を含む性風俗産業従事者や客ら計100人を引き回した。「公開処理大会」と銘打たれていた。女性たちは口元を隠すマスクを与えられたものの、中国では「ポルノ」を意味する黄色い服を着せられ、実名、出身地などが公開された。そのうえ、手錠でつながれ、ヤジを飛ばす沿道の市民の前を連れ回された。この様子は中国中央テレビほか各メディアで報道された。」

売春婦100人「市中引き回し」に庶民反発 中国で同情論

江戸時代であっても、火付けをしない限りはわが国でこのような罪業で辱めは受けなかったのです。寛容な国民性というものをもう一度思い起こしてはいかがでしょうか?

白隠禅師仮名法語にある実話は、感動的なエピソードです。

                        財)禅文化研究所WEB       白隠禅師仮名法語・余談(6)


 寛延3年(1750)、白隠禅師は、提唱を終えた後、京の豪商、岐阜屋こと世継八郎兵衛幸政の館で旅の疲れをいやしていました。

 『年譜』には「帰路平安城を過ぎ世継氏に館す。池大雅来参す。及び大橋女を度す」とあります。池大雅はあの著名な画家のことです。いま取り上げるのは「大橋女」という人のことです。

白隠禅師は4月には本山妙心寺の養源院で碧巌録を講じました。その法席には、宝鏡寺尼門跡、光照院尼門跡をはじめ葉室頼胤、冷泉宗家といった貴顕が連なったのです(『年譜』)。

その後、宝鏡寺、光照院からはいくたびかお召しがあり、禅門寶訓を講じており、駿河に帰ったのは7月3日のこと(『於仁安佐美』巻之下の冒頭)。つまり、白隠禅師はこのとき京都におよそ三ヶ月ほど滞在したわけで、その間、さまざまな人と出合い接化していますが、そのうちの一人が大橋女だったのです。

  大橋女はもとは江戸に住まいする旗本某甲の娘でした。父は千石余を食んでいたが、何らかの事情あって浪々の身となり、京都にやって来ました。収入がないものだから、娘は弟とともに乞食までして家計を助けたましたが、それでも赤貧のありさま。娘は一家を救うため、自分を遊女屋に身売りするよう父母に申し出ましたが、父母は、わが子を売って活きるなど畜生の業、と許すはずもない。

娘はさらに、「これというのも方便、もしお許しにならなければ、一家ともに死ぬだけです。方便は真智には及びませんが、死の難を免れるは道にかなうのですから、これも真智ではありませんか」と説得するので、父母も泣く泣くこれに同意し、遊廓に送ったのでした。

 女は、もとより教養があり、書も和歌もよくしたので、やがて島原の名妓大橋となったのです。しかし折りに触れて思うはわが身の上。もとはといえば侍の家に生まれ、深窓に養われ、女中にかしづかれる身であったのに、今はかかるうき川竹の身、何と情けないことか、と。やがてこの煩悶が積り重なって病となり、医者も手をこまねくほどになりました。

その病が機縁となって、大橋は仏教の信仰を得るのです。


 そのうちに、ある人に身請けされ、その妻となりました。やがてその夫も歿故し、その後、一素居士という者に再嫁しました。居士は大橋に誘われて、いつも白隠禅師に参じたといいます。

大橋は、後に一素居士に乞うて尼となり、慧林と名のりました。居士に先きだって死にましたが。一素居士は白隠禅師の弟子である東嶺に焼香を頼みます。東嶺が一素居士の家に行ったところ、位牌の代わりに、ただ観音像の軸が掛かっているだけです。

東嶺が「位牌はどうしました」と尋ねると、居士は「普門品には応以婦女身得度者、即現婦女身而為説法とあるが、慧林尼こそは観音の応現だ。だから観音像を掛けてあるのだ、何もおかしなことではない」と答えたそうです。東嶺もこれを聞いて黙って香を拈じたのでした。

白隠禅師仮名法語・余談(6) 芳澤 勝弘〔花園大学教授〕

以上が、白隠『年譜』および草稿に出る大橋という遊女の話ですが、いかに立派な日本人がいて、おおらかな求道心をもつていたかがわかるではありませんか!

今、流行のようにいわれる「人権」という言葉、なにかむなしい響きを私は感じてしまうのですが、それは私だけなのでしょうか?

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2006年12月 6日 (水)

漱石忌 北鎌倉へまいりました

2006年 12月 06日
12・6UPスライドショー2006年 漱石忌 鎌倉漱石の会





円覚寺の広大な境内に、1本の銀杏の木が孤高の美しさを見せていました。

ことしの漱石忌、本来なら12月9日なのですが、会員が出席しやすいように、第1日曜日と決められているのです。

全国各地から、九州のかたや、信州長野から毎年おみえになる常連さん。私も京都からこの漱石会を楽しみに参加しています。

講演もそれぞれ充実していました。

この講師は朝日新聞社の記者のお方。『新聞記者 夏目漱石』の著書をお出しになっています。


私も以前書かせていただいた拙稿がございますが、お話を伺いながら自分の未熟さを感じたことでした。とても勉強になりました。じつはこの新書をまだ見ていなかったのです。

でも、漱石に関する資料は共通したものがありました。

JanJan 古都つれづれ 1/30 新聞記者になった夏目漱石の「京都」


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