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2007年1月の記事

2007年1月30日 (火)

『維新』という詩 作者は京都の22歳青年詩人

これは私が管理しているミクシイのコミュニテイでの投稿記事です。

会員数は今日の時点で6270人。毎日参加希望者がひきもきらない状態です。
荒らしの襲来もなくはありません。そのため、多くの会員の方々のアドバイスを頂き、当分は「管理人の承認が必要(公開)」という設定にさせていただきました。

もちろん退会する方もありますが、本来、参加・退会は自由、というのが原則です。私は茶道に関連のある活動について、イベントの一つとしてトピックを作っています。その詳細は以下に。

●このコーナーは茶道をたしな方々が、実社会で活動されている別の催しを、フランクに書き込んでいただく為に立ち上げました。

個人の展覧会・発表会、或いはご自分に関わりある書物の紹介などもどうぞ率直に書き込んでくださいませ。 個人でもグループ活動でも、大いに宣伝してくださってけっこうです。お近くでしたら関心がある人々が参加されるかもしれません。 社会奉仕をなさる方々の近況報告も歓迎いたします。
ただ、宗教と政治は差し障りもございますので常識の範囲内でお願いしたいと思います。

生活者としてのさまざまな活動は、茶道の心に添うものであればたとえ苦しくてもいつかは実る行いとなるのではないでしょうか。 皆さまによりよき交流の輪が広がってゆきますことを蔭ながら念じております!

管理人

***************************

●投稿  わびすけ

アーティストの心理という点で。 chori青年の最新の現代詩を一篇、ここでご紹介いたしましょう。

維新
chori

煙草を一本吸っていかないか
別にきみの名前なんてどうでもいい

東の空が白みはじめるころ
長かった今日が燃え尽きるまで
このひとりごとにつきあってはくれないか

ほんとうのところ
ぼくやきみは
誰かが放り出した過去なのかもしれない
ガードレールにもたれながら
そんなことを考えている

きみが19世紀に生まれていたらどうだろう
きみが別の星に生まれていたらどうだろう
きみが穏やかな春の日に生まれていたらどうだっただろう
そのひだまりは あたたかかっただろうか

とにもかくにも この国の詩人は病みすぎている
薬を飲まなきゃ吐き出せないようなことばがさみしい
切り傷だらけの手で書いた詩は 切り傷だらけの手にしか届かない
きみは神さまの名前を知らないし
神さまもきみの名前を知らない
つまり 興味がないんだ
携帯のアドレス帳もマイミクシィも相互リンクも
友だちって便利なことばだよな
けれどきみは心のどこかで誰かに気づいてほしいとおもってる
いくつになってもうまく煙草の灰を落とせないことを
無理やりつくった笑顔に でもきれいな片えくぼができることを
今までに一度だけだけれど 両親にありがとうと言いたくなったことを

ぼくはあんまり普通じゃない家庭に生まれた
1000年も2000年もつづいてるんだってさ
気が遠くなるほど現実がちっぽけで
その現実すら受け止められない自分はもっとちっぽけで
どれだけ希望や絶望を歌ったところでこれっぽっちも具体的じゃないんだ

煙草がなくなったならぼくのをあげよう
きみには軽すぎるかもしれないけれど 悪くないとおもうよ
朝はいつでも後ろから襲い掛かってきて
気がついたときには奪っていってしまう
楽しかったことや 楽しかったけれど楽しかったとおもいたくないこと
悲しいはずなのになぜだか楽しくなってしまったこととか そういうのまで

お互い いや違うな
ぼくときみはただのぼくときみでしかなくって
それ以外の関係性は今のところすべて嘘だもんな
共有しているのはこの5分ちょっとの間
それぞれの普通は それぞれの日常は
押しつけるためにあるわけじゃない
もうすぐ何かはじまるんだよ
そこに意味なんてひとつもないとしても

きょう
たくさんのひとが産まれてたくさんのひとが死んでたくさんのひとがきのうと変わりなく過ごしてたくさんのひとがきのうとはまるでちがう世界に驚いてたくさんのひとが何か取りこぼしてたくさんのひとがそれを拾い上げてたくさん愛したたくさん殺したたくさんの出来事がたくさんのニュースがとても他人ごとのようにたくさん流れ感動や嘆きを与えたくさんの幼児がたくさんの少年がたくさんの学生がたくさんの社会人がたくさん生きていてたくさん死んでいてたくさん変わってたくさん変わらなかったたくさんのきょうはやっぱりたくさんのきょうでしかなくてたくさんの明日はやっぱりたくさんそこで立ちすくんでいてたくさんのきのうなんてとっくに

帰る場所がなくなってせいせいしたんだ
そしてすぐ やわらかなブランケットが恋しくなった
できればあたたかな灯りが できれば隣でねむってくれる誰かが
できれば目覚めのいい明日の朝が できれば手帳に愉快な予定が
できれば できればがあとからあとから押し寄せてきて
ぐんぐんスピードを上げて自転車は国道沿いを突っ走る
どこへ向かってるかわからなくたって
どうせこの道はどこかへつづいている

すっかり灰になりかけた煙草から
次の煙草へ 小さな火をうつして歩きだす
ひとりごとにつきあってくれてありがとう
残酷な朝のひかりがアスファルトを叩きつける
誰も待っていなくともぼくは行くよ
なにかを変えるためではなく
なにか変わる瞬間を見たいから

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会員のコメント 

●Sさん

「創造する」ことを趣味に、あるいは仕事にされる方の「生み出す力」には、本当に、ただただ圧倒されます。

その意味では、chori氏の詩にも、「何かが生まれるときの力強さ」を感じさせられ、圧倒されました。わびすけ様、ご紹介ありがとうございます。

話は少し変わりますが、本日、淡交タイムスを拝読いたしました。お家元の書かれていた「座右の銘」に、改めて、裏千家に所属していて、このお話をうかがうことが出来てよかったと、深く感銘いたしました。

茶の湯の持つ、「「精神」を生み出す力」は、本当に素晴らしいものですね。いつも、ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

●Cさん(アメリカ)

chori さんの詩はいつも未来があっていいですね。若い時は死に憧れたりしがちですが、chori さんは優しさが溢れていて、勇気づけられます。

わびすけ様、chori さんの新しい詩を併せてご紹介いただきありがとうございます。


●Mさん

若い方の初々しい詩だなあと思いました。飽きずに一気に読めました。
50代になられたらもっと短い詩になるのではとふと思いました。

>誰も待っていなくともぼくは行くよ
>なにかを変えるためではなく
>なにか変わる瞬間を見たいから

これが60年安保の時代なら”何かを変えたい”つまりがんばれば
変えられるという幻想を抱くことが出来た時代だったなあと思いました。

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2007年1月28日 (日)

スライドショー 中宮寺の初春 中宮寺御流の初茶会

 
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1・28UP スライドショー 中宮寺の初春 中宮寺御流の初茶会

 中宮寺御流という茶道の流派があるのを ご存じでいらっしゃいましょうか。

 尼門跡 日野西光尊さまは中宮寺御流のお家元なのです。初釜の次の日にお社中の皆さまの内輪の会がございました。この日のスナップをスライドショーにしてみました。

 濃茶席は中宮寺ならではのお掛け物。 大正天皇さまご真筆でした。皇太子であられた頃のご染筆の由。

 箱書きは一日前の「初釜」の道具のお取り合わせから秋篠宮悠仁(ひさひと)親王さまご生誕慶祝の席と拝察いたしました。

 茶会記はご門跡みずからお書きになったもの。一日前の「初釜」の道具組と若干異なるとおっしゃっておりました。
 お席主は日野西さまの高弟であられます、91歳におなりになる師範のお方。尊いご精進のようすを学ばせていただきました。

 濃茶席、薄茶席ともに人形が飾られていて尼寺らしいしつらいでございました。

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2007年1月25日 (木)

きのうは 宗家・稽古はじめ 今日は初天神

茶の湯には 梅 寒菊に 黄ばみ落ち 青竹 枯れ木 暁の 霜 
                                     ー利休道歌ー

この利休道歌をさらっとお書きになったのは、裏千家九代不見斎。その掛け物がかかっていたのは裏千家で貴人座がある抛筌斎(ほうせんさい)でした。


今日庵 茶室・茶庭(裏千家ホームページ)

1月24日は、ご宗家における初稽古が行われました。志倶会という直門の会員だけに許される稽古日で、私どもはみな紋付を着て厳粛な面持ちで兜門(かぶともん)をくぐります。

咄々斎(とつとつさい)の床を背に、鵬雲斎大宗匠、坐忘斎家元のお二方が着座されますと、稽古始のご挨拶がありました。



お家元はこの利休道歌「茶の湯には 梅 寒菊に、、、、」 と朗詠されてから、「私がもっとも好きな歌です。」とお話になりました。

侘びの境地が見事に表現されているこの歌に続いて、「人生にリハーサルはない、その都度その都度がみな本番なんです。一期一会(いちごいちえ)です。」
「今日の稽古もそうした心構えであって欲しい。単なる稽古ではなく、再び来ることのない日であることをおもい、一期一会の修道として。」と、いうご指導に身の引き締まる思いがいたしました。

また、知人の方が「一番になろうと思ったことはないが、僕は一流の人間になりたいと思う。そのために伝統文化の茶道の稽古をすることにした。」とのエピソードも、心なごむものがございました。

いえいえ、けっしてこちらが一流だなんて思い上がってはおりませんです。ただ、日本が世界に誇りうる「侘び」の美とその理念を、身近に感得できることを仕合せだとしみじみ思うのです。
勿体ないことに、咄々斎で七事式のお稽古が許され、私は茶通箱で仕舞い花をさせていただきました。
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今日の25日は北野天満宮の初天神でした。午後からお参りかたがた行ってまいりました。目的は植え木市なんです。昨年の初天神で買い物をした植木屋さんを探しました。やっぱり、前と同じ奥まった場所にいてはりました。大阪から来ているとか。

「去年もらいました玉之浦がきれいに咲いたんですが、夏に枯れてしまいまして。」

「そうでしたか、残念でしたなぁ。玉之浦ならここにもありますよ。」

「ほんとや。いい木ですね。もらいますわ。」ということで、次から次から欲しい木が増えていき、結局4本の苗木を買うことになったんです。全部、椿の木です。

玉之浦。曙椿。(庭にあった木が枯れそうになっているので)。五色散り椿。千羽鶴椿。

「今の皇后さまがお好きな花がこの椿ですよ。」とすすめれた木が千羽鶴という名の椿でした。
純白のようでうっすらピンクがかかっている清楚な小輪の花です。ワビスケ系とも違う中部地方のツバキのようです。

千羽鶴という椿の花すのつりさんのHPより。

京椿 五色八重散り椿。
京都の法然院、本堂北側の中庭にある、五色八重散り椿です。(この木の末裔でしょうか。)


ああ~~、けっこう値のはる苗木でした。千羽鶴のほうは苗木というよりしっかりした木です。でもなんだか庭に植えたいという気持ちになってオバチャンと交渉の結果、全部で千羽鶴一本の値にしとくよ、ということになりました。財布の中は空っぽになり、その代わり植木をかかえて家路をたどるわびすけでした(*^。^*)。


これって、じつは自分への前祝いだったのですよ。
そうなんです。7月から一年間原稿料をいただくことになったので、先ずは椿の木でお祝いってわけです。



『なごみ』編集部の方からは、FAXと電話でさっそく仕事の打ち合わせ。私の担当は20代の男性編集者Eさん。フレッシュマンといえば新入社員をいう言葉でしょうが対応がキビキビされていてしかもフレッシュ!

コラムのタイトルとして三つほど候補が書かれていました。Eさんが考えられたのでしょう。
FAXでは最後の候補がなんともおかしいのですよ。

電話
「小社の「ご連載依頼内容書」をFAXでお送りしましたがお読み頂きましたでしょうか?」

「ありがとうございます。ご配慮を感謝しています。ところでわからない箇所が一箇所ございますが。」

「どうぞお聞かせください。」

「ご執筆テーマ、、、、(仮)の最後に挙げられたタイトルですが。「椿H記」となっていますね。
あの~ぉ~、私がエッチを書くってことではないですよね???」

電話の向こうでは若い男性の声色がぱっと変わりました。噴き出したような笑い声です。

「すみません。こちらでは確かに 椿日記 と表示されているのですが、FAXで不具合が生じたと思われます。決してそのようなことではございません!」

やれやれでございます。

どんな名前がいいでしょうか。コラムの名前。
みなさまの率直な声をお聞きできればどんなにかありがたいと思います。どうぞよろしく。

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2007年1月22日 (月)

著作権を放棄したメアリーの詩 「千の風になって」

或るクラッシックの歌曲がいま国民的なヒット曲になっています。

ご存知、「千の風になって」という歌曲、秋川雅史さんが歌っています。

http://www.youtube.com/watch?v=gDMtEIse1eI&mode=related&search=

昨年暮、紅白歌合戦をたまたま見ていましたら、ありましたありました!
う~~ん、よかったですねえ。聞き惚れましたよ。
秋川さんの風姿も、すばらしい歌声とあいまってとても爽やかです。

この曲はNHKの番組では作者不詳となっていましたが、それは事実ではありませんでした。

東京新聞の放送芸能 のカテゴリに、やはり作者不詳という記事が掲載されています。

英語原詩で作者不詳『千の風になって』 喪失の悲しみ癒やす

記者の山田晴子さんは記事を次のような言葉で結んでいます。

「原詩も、世界中で読み継がれてきた。米中枢同時テロで亡くなった十一歳の少女の一周忌で朗読され、IRA(アイルランド共和軍)のテロで命を落とした二十四歳の青年が「私が死んだときに開封してください」と両親に託した手紙の中にも、この詩が入っていた。

 昨年十一月にはNHKの衛星ハイビジョンで、詩が広く知れ渡った軌跡などをたどる「千の風になって」の特集が放送された(12月にNHK総合でも放送)。番組では、女優の木村多江をナビゲーターに、世界中の人々が「千の風になって」を通じて、身近な人の死をどう受け止めてきたのかを、詩の朗読や曲を合間に流しながら紹介。電話などで寄せられた感想が千件を超える反響だったという。NHKは二十五日、衛星ハイビジョンで午前十時から再放送する。

 番組担当の山本展也チーフプロデューサーは「死をどうやって受け止めたらいいのか、この歌は、その方向性を示してくれる存在。この歌を求めている人たちがまだまだたくさんいると思う」とブームのさらなる広がりを予測している。」

しかし、ネットからは更に貴重な情報を得ることができました。

「千の風になって」の詩の原作者について執筆:オーママミア Quinn

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/prof/1000winds.html

この詩を書いたのは、メアリー・フライというアメリカ人の女性だったのです。
メアリーの地元ラジオ局でのインタビューより

「メアリー・フライは家庭的で、常識があり快活な94歳のようだ。

これはメアリーが自身の言葉で語った親友マーガレット・シュワルツコフ(Margaret Schwarzkopf)の事である。

時は1932年に遡る──

「そうね、マーガレット(ドイツ系ユダヤ人)はドイツから来たの。ちょうどヒットラーが政権を取ってね、お母様も国外に出たかったんだけど、老齢の上、具合も悪くて来れなかったのよ。彼女はそれこそ何時もお母様の事を心配していたわ。何しろ全然手紙が来ないのよ、だから日ごとに心配を募らせていたわ。

私たち大使館を通してできる限りのことをしたわ。わかるでしょ? その手の事って。ようやく事が判明したんだけど、お母様は亡くなってたの。それで、マーガレットは実際に神経衰弱を患ってただ泣くばかり。毎日、毎日泣き暮らしていたわ。

ある日一緒に買い物に出たの、茶色の紙袋に買ったものを入れて、家のキッチンテーブルで仕分けをしていたのよ。そしたらね、何だか分からないけど、私の買ったものを見てマーガレットが泣き出したの。「それ、私の母が好きだったの。」ってね。

「マーガレット、お願いだから泣かないで。」っていったの。そうしたらマーガレットがね、「何が一番悲しいかって、私は母の墓標の前に立ってさよならを告げる事も出来ないのよ( I never had the chance to stand at my mother's grave and say goodbye.)。」涙に目をぬらしたまま、2階の自室にひきこもったわ。

(注;ドイツの情勢が反ユダヤ人に向かっており、帰れる状況ではなかった。)

その時メアリーの手には、買物を点検するためのペンが握られていた。メアリーは、引きちぎった茶色の買物袋に、一息に込み上げる詩を書き付けた。

しばらくして、落ち着きを取り戻したマーガレットが階下に下りてきたとき、メアリーはマーガレットに紙切れを差し出した。「これ、私が書いた詩なの。私の思う〝人の生と死のあり方〟なの。あなたのためになるかどうか分からないけど。」

マーガレットは詩を一読し、メアリーを抱きしめて言った。「私この詩を一生大切にするわ。」そして、もう泣く事は無かった。」

インタビューのテープの中で、何故メアリーの詩がここまで愛されるに至ったか、彼女が本当に困惑している様子が伺えます。

そして、明らかになった事実は、この詩になんら著作権が設定されていない事です。この詩が人々の共有財産であるため、彼女は一銭の報酬も受けていないのです。

この件についてメアリーは、次のように話しています。

「この詩は私だけのものじゃないの、皆のものよ。今でもそう思うの。これは、愛や安らぎについて書いたのよ、もし私がお金を受け取ったりしたら、意味が無くなるわ・・・。多分、いかれてるんでしょうね。」

ドイツからこの詩の原文を見たお友だちの方がこう述べています。

歌を聴いた時に少し感じた違和感も1932年にメアリーが書いたオリジナルバージョンを読むと、スッと気持ちの中に入ってきました。

Do not stand at my greave and weep
        Words by Mary Frye

Do not stand at my grave and weep
I am not there, I do not sleep
I am in a thousand winds that blow
I am the softly falling snow
I am the gentle showers of rain
I am the fields of ripening grain
I am in the morning hush
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight
I am the starshine of the night
I am in the flowers that bloom
I am in a quiet room
I am in the birds that sing
I am in the each lovely thing
Do not stand at my grave and cry
I am not there I do not die

千の風になって
オーママミア訳詞

私の墓標の前で泣かないで
私はそこにいないのだから 私は眠ってなんかいない
私は千の風になって渡ってゆく
私はやわらかく 舞い降りる雪
私は優しく降り注ぐ雨
私は野に実る穂
私は朝の静寂の中に
私は水辺にたなびく灯心草
空を旋回する美しい鳥たちとともに

私は夜空の星の光
私は咲き誇る花たちとともに
私は静かな部屋の中に
私は歌う鳥たちとともに
私は全ての素晴らしいものとともにあるの
だから、私の墓標の前でなかないで
私はそこにいないの 私は死んではいないのだから

オーママミア Quinn 様。
JanJanの記者をなさっていた木走(きばしり)様。
ドイツのがんばるHiromba。様。

参考にさせていただきました。ありがとうございます。

◇◇◇

反響 この記事を読んで

ミクシイで私が管理しているコミュがあります。いつの間にか6千300人近い会員数になり会員同士のコメントも活発に行われています。その一部をここでご披露いたしましょう。

■がんばるHiromba。  2007年01月21日

わびすけさん
こちらではご無沙汰しています<m(__)m> ドイツ在住のがんばるHiromba。です。

素晴らしい歌のご紹介ありがとうございました。

国内では分らないと思いますが、ご紹介戴いたアドレス・・・「お客様がお使いのIPアドレスは、国内のIPアドレスではございませんので、ご利用いただけません。」という表示が出てしまいますので(^_^;) 下記、ご紹介。

http://www.youtube.com/watch?v=gDMtEIse1eI&mode=related&search=

こちらは海外からでも視聴できます。

番組では作者不詳となっていますが、わびすけさんの紹介されたサイトも素晴らしいですね。

歌を聴いた時に少し感じた違和感も1932年にメアリーが書いたオリジナルバージョンを読むと、スッと気持ちの中に入ってきました。

■ハレのはは  2007年01月22日

私もこの曲を聴いたとき少し違和感を感じました。
それは、歌手の映像と一緒にTVの画面に流れる「墓」とか「死」など目に飛び込んでくる「漢字」のせいだと今思います。

翻訳の曲を作る時、日本語の歌詞はどうしても短くそぎ落とさなければならなくなるので、しょうがないですね。
オリジナルの詩と翻訳は本当に素敵ですね。
特に英語の詩は美しく韻を踏んでいて、口に出して読むと曲がついていなくても充分美しいですね。

原文を教えていただきありがとうございました。

けれども、日本語の歌も、それはそれでメロディーも歌詞も、シンプルで美しく私は好きです。

この歌に携わった全ての方達の暖かい思いが詰まっているように思えます。

■わびすけ 2007年01月22日

ルソンさんはお出かけのようですね。
皆さま、コメントうれしく拝見しております。

ただ今、拙ブログを更新したところです。
はい、ここでの話し合いのもようも一部入れてますけれど、著作権を厳しくいう方々ではないので安心してま~~す。

2007年1月22日 (月)
著作権を放棄したメアリーの詩 「千の風になって」
http://tsubakiwabisuke.cocolog-nifty.com/rendezvous/

http://rendezvou.exblog.jp/

いかがでしょう?

■ルソン  2007年01月22日

○がんばるHiromba。様へ
ドイツでこの問題は,現在もタブーになっていると思われます。が,意外と旧東ヨーロッパの人たちではユダヤ人への迫害が残ったままだったように記憶しています(1994年時点)。

大陸国家にとって民族同志の戦いは,常に大きな悲劇を生むでしょうから,いつまでたっても解決できない問題なのだと想像しています。その意味では昨今のEUの東方への拡大によって90年代の旧ユーゴスラビアの悲劇を避けることが可能になれば良いと日本から希望を持ってみています。

それにしても,故郷を追われて数千年たつユダヤ民族達がいまだに故郷を見つけられないというのは,悲劇としか言いようがありません。

○ハレのはは様へ
言葉の訳は,本当に難しいと思います。そもそも発想が違ったりするからです。その上,同じ英語でも英国の英語と米国の英語では違った使い方をし,そのまま読むと間違った解釈をしてしまったりします。これは,その国の文化や成り立ち,社会背景の違いなどが影響するからです。でもそうした文化の違いを理解してわかると新たな世界を知ることが出来るので楽しいですね。

○わびすけ様へ
だいぶ最初の問題提起からそれてしまってすみません。わびすけ様の指摘された「人の情けであり大自然の美しさ」は,どこの国に行っても私にとって大切なものです。ほとんどの場合,「再会することがまずない」という条件での交流になります。まさに,「一期一会」です。

そのことは,帰国して茶道を知ることによってより実感しました。具体的には,これまで海外で感じた「一期一会」を茶室で知ることによって,「人の情けであり大自然の美しさ」をさらに深く感じることができました。特に,昨年夏に訪れたフィリピンの調査先の皆様に"Don’t' forget me!"(私のことを忘れないで)と言われたことが懐かしいです。

とはいえ,世の中便利になり,インターネットでやりとりをしている友人達の交流も長い友人で10年以上になりました。国は違えど,同じ時代を一緒に成長するので楽しいです。

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2007年1月20日 (土)

趣味ゆたかな 京の酒造会社 「黄桜」 

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http://www.kizakura.co.jp/index.htm



「黄桜」は京都にある酒造会社です。

カッパの画が先にアップした黄桜の動画にあったものですから、つい懐かしくなって追加として書いています。黄桜ギャラリーに出ているのは小島画伯のカッパです。やはり先の動画にあったのは清水昆に間違いないように思いました。昔は清水画伯のカッパが朝日新聞で有名になりここでも活躍していたのでした。


余談になりますが記事を書くため昨年、この会社に私はメールで取材をしたことがありました。管理職の方から丁寧なお返事をいただき、とても好印象を受けたのを思い起こすのです。

創業者のお方が趣味が深く、黄桜を愛好されお庭に植えて愛でていらしたことが社名になったとお聞きしました。

今日は昨年3月に行われた「2006FIFAワールドカップドイツ大会」 に寄せて黄桜が公開しているがカッパのポスターを、ご紹介いたしましょう。黄桜さん、勝手に画像を拝借しますがよろしくね!

           Kappa2006_03


ドイツに住する好漢、がんばるHiromba。さん いかがですかぁ~~~。




IT新聞 掲載記事
一部引用

・うこん-ざくら(鬱金桜)
別名:黄金桜、黄桜、浅黄桜、鬱金桜。ショウガ科の「ウコンの根」で染めたような色。

 ちなみに京都には「黄桜」という造り酒屋があるが、聞くところによると鬱金桜を愛するオーナーによる命名だという。しかし、御衣黄と鬱金とは専門家でも間違える程似ており見分けがつかない。御衣黄のほうが緑色が多く花弁には気孔があるのが、鬱金とは相違するらしいのである。

漱石は「少し青味を帯びて」と書き、別の章で「藤尾はすうと立った。朧(おぼろ)とも化けぬ浅葱桜が、暮近く消えて行くべき昼の命を」と麗人・藤尾をこのさくらを通して描写している。このことからも、ウコンよりギョイコウの青いイメージのほうが漱石の「浅葱桜(あさぎざくら)」には合致しているように思う。

 もしも、御衣黄(ぎょいこう)桜が漱石のいう「浅葱桜(あさぎざくら)」であると確定されると、私はまことに嬉しく思う。

 なぜらば、御衣黄は京都・仁和寺の出自と伝えられるからである。

 「昔の貴人が好んで着たウグイス色の気品のある衣の色に似ていたことから御衣黄と命名された。突然変異で生まれたであろう品種。江戸時代に京都の仁和寺で栽培されたのが始まりだという。」

(椿伊津子)

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面白ければ良いのかぁ!? 青い目の『日本人紹介』

ドイツで暗躍中ではなかった、レッキとした企業で活動中のがんばるHiromba。さん。本職の傍らいろんなボランテアもしています。
以下は日本からドイツへ移民したと嘯いている好青年のお品書き。

デュッセルドルフ・テニスMLの管理人、
公益社団法人ヒューマネットのMLのオーナー、IT関係広報、ドイツでボランティア-月刊ひゅうまねっと
http://www.info-now.net/humanet/melmaga.html
の発行者などをしています。

デュッセルドルフ山の会MLのオーナーは、多忙につき辞めました。



さて、今朝からまた面白い情報が送られてきました。海外から日本人を紹介した動画なんです。いったい、誰が作ってるんでしょうかね???

キミ達に聞きたい事がある。 面白ければ良いのかぁ!? 日本男児Hiromba青年はこうのたまうのですが。

青い目のが見たこれなる日本人、その真実や如何に! 
よおくごろうじろ! (しかし、、、いったい誰がつくったんや?)


日本の形シリーズ【寿司】
名作ですので、これはご存知でしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=LuNu2a4FGTI&mode=related&search=


日本の形シリーズ【交際】感動の長編です。
その1:皆さん、愛し合っていますか?
http://www.youtube.com/watch?v=HQMubogH-1w&mode=related&search=

その2:いよいよ具体的な交際の始まりです。
http://www.youtube.com/watch?v=PkGl3AnjRVw&mode=related&search=

その3:シャワーを浴びてなかったんでね・・・
http://www.youtube.com/watch?v=ofj4dK8GX_s&mode=related&search=

日本の形シリーズ【土下座】
正しい土下座の仕方を勉強して下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=s4V_K4eEmbQ&mode=related&search=

【おまけ】
コマーシャル偏
1981年のキンチョーなどのコマーシャル。懐かしい郷ひろみの「はえはえかかかきんちょーる」は2番目に出てきます。
http://www.youtube.com/watch?v=xOsUhRkIM20&mode=related&search=

1959年の黄桜のコマーシャル
「一級並みのコク、黄桜に準一級酒をどうぞ」が泣けます。
それにしても良く残ってたなぁ。
http://www.youtube.com/watch?v=t0p3gIyWvsU


う~~ん。かなり真面目な日本人像とも感じられんことはないですな。
ちょっと現代風ではないんとちゃいますか?

毎日、すし屋に行ってカウンターに腰掛て食べる大多数日本人。
お目当ての女性に結婚の申し込みをするのに、女性の父親へ心をくだく日本の青年。
上司への土下座の作法。
最後は「水に流そう」といってくれる日本人。

いやぁ~、笑えます。
ただ、こんな不潔な寿司店は日本にはありません。このコントを作ったのはもしかして「ラーメンズ」ではないのかな?
私たちは笑うことで済みますが海外には冗談で受け取られない可能性がありますし、問題は残るでしょうね。

折りしもこんなニュースがマスコミを賑わせています。
http://news.livedoor.com/topics/detail/2984475/

“海外の日本食優良店を認証する制度”



黄桜のコマーシャルは清水昆の漫画が出てうれしかったですねえ。
カッパはなんといっても清水昆の画風がいい。品があってなまめかしく、「和」の情緒があります。ほんとうに清水昆なのか「もどき」なのか、自信ありませんけれどね。


キンチョーの郷ひろみにはびっくりしましたよ。あんなに可愛らしかったとは。

これらをご覧になった皆さまは、どのようにお感じになられましたでしょう?

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2007年1月17日 (水)

敬礼!! 阪神大震災のあの日を忘れない

知り合いに心のまっすぐな美少女がいて、そのお兄さん的存在がサルさんというニックネームの青年です。私は偶々彼の日記を見ることになりました。

彼によればこのエピソードは伝聞だといいます。でも、私は作り話ではない真実味を感じました。ここに 阪神大震災のあの日を忘れない人々のことを、あらためて再録しておきたいと思います。


サルの日記

2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。

 その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」

団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」

少女「で、何しにきたんや?」

団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」

少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」

団体「・・・・?」

少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。あんたらにわかるか?消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。

あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。

団体は撤退。

彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。




わびすけはこの文章を読んでさまざまな思いが去来しました。

敬礼っていう言葉を、今の世では使わなくなっていますね。本来はとても尊い言葉ですのに。
なんだか過去の戦争に結び付けて怖い印象操作がされてはいなかったかと思うのです。
ここに掲載されたのは守衛さんの敬礼でした。素直なこころで読めば、なんと美しい礼でしょうか。


今日は1月17日、あの大震災の記憶がよみがえります。京都もマグネチュード5くらいだったと思います。わが家の木像家屋はずいぶん土壁に亀裂が入り、門の瓦は道路上に激しく落ちました。距離的なこともあって軽微な損傷でしたが、テレビで刻々と伝わる大惨事の有様に呆然とするばかりでした。

救援が遅れたこと、マスコミの取材が殺到しその車両が救援活動を阻害したことを、忘れる訳にはいきません。天災であると同時に人災であったのです。もう身の毛がよだつ悲惨さでした。

心から被災された方々のご冥福をお祈り申し上げます。

そして、その大惨事の中からたくましく再起された方々、救援活動に挺身された方々に私も敬礼をさせていただきたいと思います。

最敬礼、それは深くふかくお辞儀する伝統的な「敬礼」であったと思います。


サルさん
いい日記をありがとうございました。



参考

阪神・淡路大震災のデータ記録 せきらら私のメモ帳(雑学系)


コメント欄 (excite http://rendezvou.exblog.jp/4946338/ より転載)
Commented by popyu at 2007-01-18 00:12 x
すばらしいお話をありがとうございます。
震災をテレビで見て悲惨な状況に呆然とした事を思い出します。そしてその年の6月か7月に神戸を訪れる機会が有り、まだまだ震災の跡が残る様子を目の当たりし、愕然としたのと自分の幸せな状況に感謝の思いがしたのを思い出しました。あれから12年、毎年毎年、復興を願いながら悲しみを乗り越えて来られたのでしょうね。私も「敬礼」です。
Commented by ハレのはは at 2007-01-18 00:32 x
神戸は私の青春、私を育ててもらった町。
なのにその時私はそこにいなかった。多くの人と一緒に思いを共有できなかった。遠くでTVを通してしか体験できなかった。
それが未だに、心の痞えとなっております。
多くの思い出が失われてしまいましたが、新たな美しい思いでもできました。
何年たっても、1月17日は特別な日です。
ちょっと私的なコメントでごめんなさい。
Commented by ルソン at 2007-01-18 03:29 x
私も1月17日の大地震のことをよく覚えています。その時,学部4年生でした。神戸大学に英国時代の友人がいたので,慌てて電話をしました。沢山の方が犠牲になり,しかも,その生死の境は不思議なくらいの偶然があったように記憶しています。

同時に,偶然でないこともありました。それは,ここに書かれている自衛隊の救出活動への行政の対応の遅さでした。このことは,県知事だけではなく当時の首相も同じでした。あの時,最初に状況を把握したのが米海軍でした。空母の出動を通じた救援活動を日本国政府は最後まで拒否し,結果的に多くの人が炎の中で命を失いました。

陸上自衛隊の場合,せっかく準備を整えたのにもかかわらず,行政からの許可が下りず,救出活動に出られなかったという「汚点」は,今振り返ってもとても残念です。その後,救出活動への法整備が進み,地域と一体になった活動がしやすくなったことをせめてもの救いとするべきなのかもしれませんが,私は今でもあの時のことを忘れることが出来ません。歴史は振り返ることはできても,代えることが出来ないからです。
Commented by にこらい at 2007-01-18 12:35 x
泣ける話です。

敬礼・・・。私は10年ちょっと前まで地元の消防団にいましたから
在籍している時は敬礼は普通のことでした。
自衛隊に関してはいろいろと書きたいこともありますが、まぁ、地元行政の長が
自衛隊に反対しているから応援を頼まない・・・というのはその当時にTVで知りましたが
あの惨状を目の前にして随分とご立派なことだ、と、呆れましたね。
自衛隊員は普通の人の倍以上の働きができますよ。

それから、文面にある「通り過ぎる消防車」というのがありますが
消防団を引退したばかりの私があの当時TVで見た消防本部長か誰かの
泣きながらのコメントに「消防は水がなければどうにもならんのです、水さえあれば」
というのも、ちょっとは理解してあげてください。水が無いために消火活動が出来ないというのは
無念この上ないことなんです。
Commented by サル at 2007-01-18 13:57 x
私ごときの日記がこちらのブログに掲載され、何だか気恥ずかしい気持ちなのですが、このエピソードがより多くの人に知ってもらえることを嬉しく思います。

当時私は高校生でした。
遠い新潟で眠っていたのですが、何故だか地震に気付いて目を覚ましたのを覚えています。
新潟では大した揺れではなかったので深くは考えずまた眠りなおしたのですが、朝起きてTVのニュースに驚きました。

当時の首相を始めとした多くのお偉方の主義や思想、思惑で自衛隊派遣が遅れたことに今更ながら憤りを感じずにはいられません。

また、当時大阪に住んでいた方は日本橋に向かう途中で見た、消防車を止めて、我先にと写真や映像を撮っているマスコミの社名を決して忘れないと言っていました。

この震災での反省を忘れず、有事の際の各機関の正しいあり方をもう一度確認して欲しいと思います。
Commented by ぞうべ at 2007-01-18 15:28 x
椿わびすけ様、このブログを読んですぐにコメントをいれたのですが、字数がオーバーしているので496?文字を削除して送信してくださいとメッセージがでました。わからずにさわっている内に入力した文章がすべてダメになってしまいました。がっかりです・・・・・。
Commented by mohyo at 2007-01-18 22:24 x
自衛隊 農家の方々は命を守ってくれるお方と何故素直になれない人が居られるのかと思います。マスコミのあり方も反省の材料ですね。
なんともいえない言葉にならない思いで一杯です。このブログを読んで
良かったです。有事の時のあり方は自分はどうしたらよいかをまず考えたいと思いますが各機関のあり方も大切だと思います。
今度は東京という噂もあり地下鉄は最低限の利用とか寝るときはパジャマでなくジャージにしようかとか職場にも最低限の物を置いておけとか
川を3つも越えるから会社を離れるナとか考えると恐ろしいです。
Ⅰ/17には私の誕生日なのですが毎年心重たい日になりました。
地震で亡くなられた皆様のご冥福を祈ります。
Commented by tsubakiwabisuke at 2007-01-19 13:10 x
お書き込みくださった方々の公正な意識、心にひびくご発言に私のほうが感銘しております。このようなよき交流をネットの恩恵と申し上げてもよろしいかと思います。打てば響くとは昔からいわれていますがまさにその感を深くしております。

ココログにはこのコメントがなく淋しく思いますのでいずれ皆様の声を別記事にさせていただきますね。なにとぞご理解いただきますよう!

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口上:がまの油 病気の猫に聞かせたい

うちの猫はことしで数え年18歳になります。
獣医科の先生のおことばでは、人間の88歳になるとか。
「これだけ長く生きてるんやから病気を持っておってもよしとせな。」

数ヶ月前からドラのお腹が妙にふくれてオスなのに妊娠したメス猫のようでした。
腎臓の持病を持っていましたし、そのほうはなんとか小康状態になったのでほっとしていたのです。でも内心、首に出来ていた前々からの腫瘍がガンになって、もしかしたら転移したのでは??と疑いが沸くのでした。

松の内を過ぎて獣医科に行きましたが、行くまでが大変。ドラを洗濯用ネットに入れた途端、ピューっとオシッコを噴射。はげしく私のダウンジャケットに降り注ぎ…。こうしてともかく獣医さんに診察して頂いたのです。

レントゲンを撮り、透視もした診断の結果、腹部にソフトボールくらいの癌が出来ていたのです。
「手術は出来ないし、今はこのままそっとしてやったほうがいいでしょう。苦しむようになったらそれはその時考えるとして。」

先生は、「動物には、人間は世話になってきましたからな。」といわれ、私は思わず涙がこぼれました。ほんとうにその通りなんです。でもドラは何事もなかったような顔をして家の中でじっとしています。ドラ、ありがとう!

昔から「がまの油」がなんにでもよく効くとか、いわれますね。
せめてその口上だけでも聞いて見たいと思います。すみれさんからお知らせ頂きました。


口上:がまの油

サァーサァーお立会い(たちあい)、御用(ごよう)とお急ぎで無い方はゆっくりと聞いておいで、見ておいで、遠目山越し笠(とおめやまごしかさ)のうち 聞かざる時は物の出方善悪黒白(でかたぜんあくあいろ)がとんと判らない。
山寺の鐘がゴーンゴーンと鳴るといえども、法師(ほうし)きたって 鐘に撞木(しゅもく)をあたえなければ、鐘が鳴るのか、撞木が鳴るのか、とんとその音色(ねいろ)が判らない。

サテ  お立会い 手前ここに取りい出したる陣中膏(じんちゅうこう)は、これ「がまの油」、がまと言ったってそこにもいる・ここにもいると言う物とは物が違う。
  「ハハァーン、がまかい がまなら俺んとこの縁の下や流し下(もと)にゾロゾロいるよ」と言うお方があるかもしれないが、あれはがまとは言わない、ただのヒキガエル・イボガエル。何の薬石効能(やくせきこうのう)はないよお立会い。

サテ お立会い、手前のはこれ「四六(しろく)のがま」四六五六(しろくごろく)はどこで見分ける。前足の指が四本(しほん)で、後ろ足の指が六本(ろっぽん)これを名付けて ヒキ面相(めんそう)は「四六のがま」だ。

サァーテ お立会い、このがま何処に住むかと言うと、ご当地より はるか北、北は常陸の国(ひたちのくに)に筑波の郡(こおり)、古事記、万葉の古(いにしえ)より関東の名山(めいざん)として詠われて(うたわれて)おりまする筑波山の麓(ふもと)、おんばこという露草・薬草を喰らって育ちます。

サテ お立会い、 このがまからこの油を取るには、山中(さんちゅう)深く分け入って捕らえ来ましたるこのがまをば、四面(しめん)鏡張りの箱の中にがまを放り込む。サァー がんま先生、己(おのれ)のみにくい姿が四方の鏡に映るからたまらない。

ハハァー 俺は何とみにくい奴なんだろうと、己のみにくい姿を見て、びっくり仰天、巨体より油汗をばタラーリ・タラリと流す。これを下の金網・鉄板に漉き取りまして、柳の小枝をもって 三七は二十一日の間、トローリトローリと煮たきしめ、赤い辰砂(しんしゃ)にヤシ油、テレメンテーナ、マンテイカ、かかる油をば ぐっと混ぜ合わせてこしらえたのが、お立会い、これ陣中膏はがまの油だ。

サテ お立会い、このがまの油の効能はと言うと、疾、がんがさ、よう梅毒、ひび、あかぎれ、しもやけの妙薬、まだある、前にまいれば陰金田虫(いんきんたむし)、後ろにまいれば脱肛(でじ)、痔核(いぼじ)、痔出血(はしりじ)、鶏冠痔(けいかんじ)の他、切り傷一切まだある。大の男が七転八倒、畳の上を ゴロン・ゴロンと転がって苦しむのがお立会い、これこの虫歯の痛み、だが、手前のこのがまの油をば、ぐっと丸めて歯の空ろ(うつろ)に詰めて、静かに口をむすんでいる時には、熱いよだれが、タラリ・タラリと出ると共に、歯の痛みはピタリと止まる。お立会い。まだまだあるよ。刃物の切れ味をも止める。

サテ お立会い、手前 ここに取りい出したるは、我が家に昔から伝わる家宝・正宗が暇にあかして鍛えたと言う代物である。実によく切れる。エイッ 抜けば玉散る氷の刃。

ここに、ちょうど一枚の紙があるから、切ってお目に掛けよう。一枚の紙が二枚、二枚の紙が四枚、四枚の紙が八枚、八枚が十と六枚、十六枚が三十と二枚、三十二枚が六十四枚、六十四枚が一束(いっそく)と二十八枚。ほれこの通り 細かくよく切れた。ふっと散らせば、比良(ひら)の慕雪(ぼせつ)か嵐山には落花の吹雪とござい お立会い。

サテお立会い、これ程よく切れる天下の名刀でも、一度(ひとたび)このがまの油をば付ける時、たちまち切れ味が止まる。差し裏・差し表に付けまする。サァーどうだ、たたいて切れない、押しても 引いても 切れやーしない。
サテお立会い、お立会いの中に、「お前のそのがまの油というやつは、切れる物を、ただ鈍ら(なまくら)にするだけだろう」と言うお方があるかも知れないが、手前、大道商人はしているが、金看板は天下御免のがまの油売り、そんなインチキはやり申さぬ。このように、きれいに拭き取る時には、元の切れ味になる。 ハイ この通りだ。 さわっただけでも、赤い血が、タラリ・タラリと出る。それでは、二の腕を切ってご覧に入れる。エイッ・・・・・。

サァーテ お立会い、お立会いの中に、それ程効き目あらたかなこのがまの油 いったい一貝いくらだろうと言うお方があるかも知れないが、本日は、はるばる(      )まで出張っての大安売り、男は度胸、女は愛嬌、山で鳴くのはホーホケキョ、清水の舞台から〔筑波山の天辺から〕まっ逆さまに飛び降りたと思って一貝が二百文と言うところ、半額の百文ではどうだ。

サアーどうだ、このようにがまの油の効能が分かったら、遠慮は無用だ。分かったら、どしどし買ってきな、買ってきな。


筑波山がまの油売り口上
http://members.jcom.home.ne.jp/gamaken/index.html
当研究会は「筑波山がまの油売り口上」を後世に伝承していく為に設立され、現在65名の男女会員がいます。職業、年齢、さまざまな人たちが、趣味の活動の一環として「筑波山がまの油売り口上」を日夜 研究し、いろいろなイベントに出演して、その腕を磨いており、出演した先々では好評をはくしています。

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2007年1月15日 (月)

スナフキン ムーミン村 フィンランド

ミクシイのマイミク、がんばるHiromba。さんは、ドイツから愉快な情報を送ってくださる男性です。
お若くて独身、ドイツの企業でバリバリ働いていらっしゃる「オススメ物件」で~す。
え??物件??

いえね、お嫁さんにヤマトナデシコがふさわしいと私は睨んでいるのですが、そんな方がいらしたら是非お世話したいですねぇ。あら、差し出がましいいですか。 ごめんなさい。

 318514816_128s_1 引用
「イラスト左、スヌスムムリク。 え?誰だって? スヌスムムリクだ。スナフキンとも日本では呼ばれている。 スナフキン(Snufkin)は独自の名を持っているように見えるが、スナフキンという名は英語名の転用であり、原語ではスヌスムムリク(Snusmumrik)。ムーミン谷の他の住人同様に、やはり名前には、種族名(ムムリク)がついてくる。 」
http://www.akatsukinishisu.net/itazuragaki/id/moomintroll

ここからはわびすけの話。
私は、ムーミンのファンというほど詳しくないのですが、ムーミンママには関心をもっていました。
じつは、こんな記事を書いているのです。

11・18「ムーミンママ」 フィンランドのタルヤ・ハロネン大統領

『ムーミン』とは、フィンランドの児童文学作家・トーベ・ヤンソンの人気作品ですが、妖精にも似た男の子・ムーミンのママとはどんな性格なのでしょうか。

 家庭的でおおらか。訪問者があればいつも手作りの料理でもてなす……優しくて洞察力のある賢いママ。

そのムーミンママの名を、タルヤ・ハロネンフィンランド大統領につけて親しんでいるフィンランドの人々に敬愛とあこがれのような気持ちを私は今も持っています。

2・12凍った海を散歩するフィンランドの人々と ハロネン大統領再選




さて、マイミクのがんばるHiromba。さんの情報をそのままここにお伝えいたしましょう。

「原語ではSnusmumrikは、「いつも口にスヌースをいれているやつ」という意味だとか。スヌースはスウェーデン版かぎタバコ。スウェーデン人の営業マンが良く口に入れていた。副流煙が無い為、他人と環境にも優しい。

英語でSnuffが「かぎ煙草を吸う」という意味なので、英語訳した人はそんなところからスナフキン(Snufkin)と名付けたのだろう。日本のムーミンは、スウェーデン言語からではなく、英語からの翻訳と思われる。

ちなみに、スナフキンとミイ、ミムラの姉さんは母が同じ。
ミイとミムラの姉さんは全姉妹。スナフキンは二人の異父弟という複雑な家庭環境に育っている。

スナフキン度チェック
http://www.ne.jp/asahi/sin-1/music/suna/sunado.htm

「スナフキン占い」
http://www.ne.jp/asahi/sin-1/music/suna/uranai.htm



著者のトゥーウ゛ェ・ヤンソンさんは、よくインタビューで「スナフキンのモデルはだれですか?」と聞かれ、こう答えたそうです。
「スナフキンのように自由で、何も怖がらずに、やりたいと思ったとおりにできたらどんなにいいかしら」

おそらくスナフキンのモデルは、人間の誰もが求める自由のこころなのかも知れませんね。

わびすけも占いをやってみました。キャラクターは出ました。ちょっとマユツバ???

>「言わずと知れたムーミンです。弱いものに優しく、いたわる心を持っています。あなたはとても人の気持ちを大事にできる人です。自然と周りに人が集まってくるでしょう。」

褒めすぎ、ホメコロシに近いですわ、、、。

>【結果】あなたのスナフキン度は 66%でした。
あなたのスナフキン度は高めです。今の生活を捨てられればスナフキンになれるでしょう。

今の生活を捨てられれば、ってですかぁ~~。それ、ひどいですよ。うちの宿六さんもいてはりますしな。ま、スナフキンになれなくってもよろしおす(*^_^*)。

みなさまも、お正月のすごろくの続きに、試してごらんになりませんか?

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2007年1月14日 (日)

宗家初釜 京都は終了 まもなく東京へ

京都で行われたで初釜式のようすを、裏千家ホームページに見ることが出来ます。
初日の七日は雪が降っておりました。
平成19年丁亥歳 今日庵初釜式 新年を祝い厳かに

丁亥は、音読みで (ていがい) ともいいますが、親しみやすいのは (ひのと い) ですね。猪の年おとこと年おんなは、大挙市中にあらわれたようです。


裏千家では、おひとり年男がおわしますのは余りにも有名です。
裏千家ホームページの中でお家元ご一家のお写真がとっても和やかで印象的でした。
まず「咄々斎」(とつとつさい)の床
http://www.urasenke.or.jp/textm/headq/soke/koyomi/hatuh19k/image/hatuh19k-02.jpg

年おとこに当たられる大宗匠。お家元。そしてご長男の明史さんが初登場のようです。家族として実家の手伝いをする、ただそれだけのことですと、ご自分で語っておられました。
五分刈りというのでしょうか。昔風のすっきりした青年の感じですね。
http://www.urasenke.or.jp/textm/headq/soke/koyomi/hatuh19k/image/hatuh19k-04.jpg

お家元が点てられた第一わんは、ご長男が正客の表千家・家元に取り次がれたようにお見受けいたします。
三世代にわたるみなさまの、凛々しいお姿をここでも拝見することができます。

http://www.urasenke.or.jp/textm/headq/soke/koyomi/hatuh19k/image/hatuh19k-06.jpg
京都では7日から13日まで。東京道場では16日から20日まで。あわせて約6千人の招待客が参会とのことです。


拙サイト 関連ページ

2003年1月 今日庵第・十六世 千坐忘斎家元 吉祥の初釜式

2003年1月 今日庵第十六世・ 千坐忘斎家元吉祥の初釜式 その二

2002年1月13日  うま年・宗家初釜と女子駅伝

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2007年1月10日 (水)

裏千家今日庵初釜 坐忘斎家元の点前

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一会がおわりまして帰途につく途中、カメラで正月風景をすこしばかり。
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今日庵の兜門(かぶともん)を下から見上げるとお飾りが。

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京都の門松はシンプルに。

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お勝手にも。
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一願地蔵尊 近くにある祠です。小川通り、裏千家学園のすぐ北側に。額の花押にご注目。



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本法寺境内にある神社。法華の幟が新春のおもむきですか。


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本法寺の守護神にも似た長谷川等伯の顕彰碑。等伯手植えの松が見事です。


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これらは一会を終えてから帰途のつれづれに撮影いたしました。
平成十九年一月九日(火曜日)午後、ご宗家のお招きの時間に参上いたしました。

この日は午前中京都美術倶楽部で恒例の「松庵茶会一月例会」が開催されたのですが、私は会員ながら欠席いたしました。松庵茶会一月担当が親しくさせて頂いている大御所の赤坂政次さんでしたから、残念な気持ちはございました。

しかし、私は今日庵の初釜の午前中に、他の茶会へ出かける気にはなりませんでした。

先輩の方々は朗らかに、「午前中に松庵茶会に行ってきましたよ」とサバサバした表情。午後は裏千家初釜へと割り切っておられるのには、意外でした。私のほうが旧いのでしょうか?

私には、今日の日がかけがえのない初釜だったからです。

今年は坐忘斎家元のお点前が美しく、点前の合間合間にお話くださるその絶妙の話術に引き込まれました。感動したのは私だけではありますまい。参加している誰もが同じ感動を覚えたことと思います。


お家元が点てられた濃茶を、大宗匠がさっと手にとって正客に取り次がれました。
おみ足もしっかりされ、立ち居振る舞いが堂々とされているのに、一同胸をあつくするのです。
ことしが年男とお聞きします、84歳の大宗匠!


家元のおことば。

「家には、猪突猛進の元気なイノシイが一匹いまして。あとはウリ坊が5匹です。」

ウリ坊って、可愛い子どものイノシシなんですね。お家元と奥さまとお子様3人。合わせて5匹のウリボウ。
ああ、すぐには読み取れなかったのです(#^.^#)。


「7日の初釜初日には雪が降りました。梅の井の井戸水をいつも汲ませてもらいますが、すぐには水は変わりません。まあ、ゆったりとした感じです。きのうからぼちぼち、今日ころが一番いい水になっている気がします。

ま、漸く、どやどやっとといった処です。ここの井戸の水はゆったりと変わっていきます。」
お家元は二盌濃茶を練られました。私は業躰さんから勧められるままに坐りますと丁度10人目でした。五人さまで、ということで二盌目の詰めとしていただくことになったのです。

名水もお点前もお茶も、ほんとうに香りあるものでした。大宗匠のお点前で頂戴したのは、正教授を拝受した時でしたが、初釜で坐忘斎家元のお点前のお茶を頂くとは思ってもみないことでした。

私に茶道の手ほどきをしてくれたあの世にいます祖母、母を思い、口に含んだ濃茶はまったりとなめらかにいいお味でした。こころの中で私は一緒にいただきました。


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2003年3月25日撮影 今日庵 梅の井

拙サイト 今日庵名誉教授の方々

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2007年1月 7日 (日)

七種粥(ななくさがゆ)を炊きました

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ななくさ、七種の草を摘んで粥を炊く、お正月の伝統行事の一つです。

わが家でも昨夜は台所でコトコトこれらの草を叩いて、今朝はお粥を炊きました。本職の料理研究家によれば、お粥の最後に茹でた七種を入れるといわれますが、私は野の香りが好きなので直接ナマの七種を入れます。青臭いという感じはなくて美味しいのです。

歴史をひもとくと、平安時代頃には一月十五日頃に行われ、粥に入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物だったそうです。

現在の七種は、1362年頃に書かれた『河海抄』の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見のようにいわれています。

江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種粥を食べる儀礼を行っていたということですから、日本人としてはやはり食べる必要がありますよね。

台所の流しで、洗ったばかりの七種をカメラにおさめました。モノズキヨナ~~なんておっしゃいますな。以下の草がちゃんと入ってますよ。赤い根っこはホトケノザでしょうか?



芹(せり)  芹  セリ科
薺(なずな)  薺(ぺんぺん草)  アブラナ科
御形(ごぎょう)  母子草(ははこぐさ)  キク科
繁縷(はこべら)  繁縷(はこべ)  ナデシコ科
仏の座(ほとけのざ)  小鬼田平子(こおにたびらこ)  キク科
菘(すずな)  蕪(かぶ)  アブラナ科
蘿蔔(すずしろ)  大根(だいこん)  アブラナ科

庭から摘んできたものもあれば、スーパーで買った栽培された「ナナクサ」も入っています。

伝統の味、とっても美味しかったですね。あんさんとこもおあがりやしたか。

それから嬉しいことは、今日から裏千家宗家の初釜が行われています。初日の今日はご長男の明史さんもお手伝いにお出ましのようですね。皆さまとともに、ますますのいやさかをお祈り申し上げます!

最後に、わが家のツバキももう終わりそうです。なにしろ暖冬ですから。

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2007年1月 5日 (金)

買い初めでなくっても タカシマヤ

昨日は家族でタカシマヤに食事を、なんて書きますとヘンですか?タカシマヤには食堂街が昨秋リニューアルしてちょっとした話題になりました。
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お正月用の熨斗が出ていたお店です。

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中華料理の街みたいですな。
天井が低いのはまあ致し方ないでしょうね。でもきれいになっていました。


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三嶋亭。


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上から見たタカシマヤの正面ロビー。
子供たちもロビーで遊んでいました。ひとりで自動の車椅子に乗っている方も休んでいました。


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タカシマヤ人形のローズちゃんは愛想がいいですねえ。


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エスカレーター。
私たちは別にお目当てはなかったのですが、7階の三嶋亭に入りました。
おせち料理から開放されるためか(笑)。

すきやきは、昔行った寺町の三島亭の焼き方とは少し違ってました。仲居さんがテーブルの傍に立って世話をしてくれます。まず鉄鍋に砂糖を入れてから肉を入れています。へえ~。

牛肉は鹿児島の和牛でした。なんでも一人130グラム。一人につきロース三枚ということらしいです。それで丁度いい感じでした。野菜は青ネギ、タマネギ、ミツバ、豆腐、糸こんにゃく、麩。
わりしたを入れて味を調えます。

生卵を溶いていただきますと、これは柔らかいいいお味でしたよ。

味噌汁と漬物、白ご飯、デザートに柚子入りシャーベット。これで上から2番目のお値段です。
何ごとも1番上のものは手をつけないわが家ですから。庶民的なレベルなんです。

その庶民レベルの主婦のいうことには、「うちのほうがずっといい野菜を入れるし、具が多いですわ~」。
シイタケ、ハクサイ、オオニタネギ、ササガキゴボウ、シュンギク、ナマフ、クズキリ、そんな具をいつも入れますからねえ。ただね、主役だけが違うってことなんです。ソレガモンダイダ。

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2007年1月 1日 (月)

わが家の茶室

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台目の床です。赤松の床柱。南側の下地窓の自然光が差し込んでいます。



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かげを撮りたいと思ったのです。
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花入れを見るにはストロボも必要ですね。


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花の向きで表情がかわりますでしょ。
庭に咲いていたヤブツバキを一輪手折ってきました。葉は5枚なんです。

花入れはアメリカ在住の女性陶芸家の作品。備前の土ではないのですがよく出来ています。東京へ里帰りされた昨年の暮に、宅急便で送られてきたものです。この方はずっと以前から私のサイトの愛読者でいらしたお方。ありがたいご縁と思います。

Clayさん、ご覧になってますか? 今日の御地のようすはいかがでしょうか。



一保堂のお正月用の特別・青雲のお濃茶をあけまして、いっぷく自服したしました。

そうそう、大晦日のきのうは年越し蕎麦を、毎年約束事のように家族で食べました。ドラははじめてソバを食べてる私のソバに来て、それホシイよって鳴きました。


私は左の掌にソバを2、3本入れてススメました。なんとドラは美味しそうに食べるではありませんか! なんどもおかわりをしたのですよ。

獣医の先生から、「この子にはうどんやカボチャを与えてください」と言われてましたが、これまでは全く受け付けてくれなかったのです。
あ~~、よかった。猫もいい年越しができました。ことしもがんばって元気でね。

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