台湾の大学での漱石研究
内田道雄氏(学芸大学名誉教授)をマックレイン陽子さんにご紹介させていただいたのは、陽子さんのお父上である松岡譲氏と内田さんのお父上様が長岡でご懇意でいらしたということもございました。
先月の末に、漱石ゆかりの東大構内、三四郎池や地下の学生用の食堂メトロにもご案内いただき、3人で親しくお話したなかに、台湾の大学で講演をされたということをお聴きいたしました。
漱石ファンがかの地で健在であるということにほっとして懐かしい気持ちになったものです。近隣諸国の反日キャンペーンをマスメデアが報じて心を痛めていたのでした。
最近、このような明るいニュースもございました。
第1回後藤新平賞に李登輝前台湾総統
日本の近代化に尽くした政治家後藤新平(1857~1929年)にちなみ、国家や地域の発展に寄与した人に贈られる「第1回後藤新平賞」に、前台湾総統の李登輝氏(84)が決まり、8日、発表された。
李氏は1923年生まれ。旧台湾総督府の民政局長を務めた後藤とかかわりの深い台湾で、台北市長や台湾総統として近代化に貢献した点が評価された。授賞式は6月1日午前10時、東京・六本木の国際文化会館岩崎小弥太記念ホールで行われる。同賞は、満鉄総裁、外相、東京市長などを歴任、スケールの大きな政策を構想した後藤の生誕150周年を記念して「後藤新平の会」が創設した。
(2007年5月8日22時51分 読売新聞)
近隣諸国との友好をねがう意味でも、かの地で漱石の研究も健在であることを素直に喜びました。以前、このブログで私は後藤新平について触れておりますので、ひとしお感銘を覚えたのです。
内田氏に是非、台湾でのご講演の概要なりとお知らせいただきたいと申しましたら、ご丁寧なワードを送ってくださいました。講演の内容は、春樹の小説を100冊読んで書いたとおっしゃっておりました。
皆さま、どうぞお楽しみになっていただきますよう!
◇
『ノルウェイの森』談義――村上春樹と夏目漱石―― 内田道雄
2007.3.31於高雄空中大学
1.前置き(個人的な・・・・)「蛍」のこと
全共闘世代・新人類世代・オウム世代
小浜逸郎「オウムと全共闘」
アイルランドに居る喩智官さん!
2.「手記」という「枠組」 終末から冒頭までの「空白」
3.ストオリイとプロット 空間(郷里から東京へ)・時間(個人と時代)
『三四郎』との対応
セラピー小説か、Bildungs-romanか
歴史的事実との対応
4.おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。(第四章)
5.直子と緑 「緑の父親」のエピソード(第七章)
6.ハツミさんで始まる物語 「反実仮想」の物語
それは充たされることのなかった、そしてこれからも永遠に充たされることのないであろう少年期の憧憬のようなものであったのだ。僕はそのような焼けつかんばかりの無垢な憧れをずっと昔、どこかに置き忘れてきてしまって、そんなものがかつて自分の中に存在したことすら長いあいだ思いださずにいたのだ。ハツミさんが揺り動かしたのは僕の中に長いあいだ眠っていた〈僕自身の一部〉であったのだ。(第八章)
7.村上春樹と夏目漱石 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
ぼくが『ねじまき鳥クロニクル』を書くときにふとイメージがあったのは、やはり漱石の『門』の夫婦ですね。ぼくが書いたのとはまったく違うタイプの夫婦ですが、イメージとしては頭の隅にあった。
8.世界における「村上春樹現象」とは?
9.「ノルウェイの森」Norwegian Wood(This bird has flown.)
「3.ストオリイとプロット」の1節
神戸という郷里からの上京と、学生寮での共同生活という選択は漱石の『三四郎』と同様に「自己形成」を目指す、また目指さざるを得ない青年の普遍的なありようでもあります。『三四郎』が備えたBildungs-romanの構造をこの作品も示しているのは確かです。漱石がこの作品連載の直前に発表した「予告」にあるように、色々な人との出会いの中で主人公は変化し屈折し成長を遂げるのであります。Bildungs-romanの語の代表的な訳語は「教養小説」ですが、それよりもふさわしい訳語はここでも「自己形成小説」でしょう。そして両作品に共通の浮動的な結び(いずれもが、自問自答で終わる。)について言うと、「遍歴小説」という呼び名が最も相応しいかも知れません。「遍歴」と言えば2作とも「女性遍歴」がメインのプロットです。本作の神戸の女性~直子~緑~ハツミさん~レイコさんとの交渉は(後述の「ハツミさん」を除き)セックスの関係で結ばれていますが、漱石の主人公の場合はその要素は殆ど表に出ておらず手が触れ合うくらいです(*4)。しかし九州の「お光さん」~美禰子~よし子、と役割が書き分けられているのは興味深い対照です。直子の病的な内閉性と美禰子の謎めいた挙措(露悪と偽善の二面性)、これに対して緑の天真爛漫ながら現実的智慧に裏打ちされた堅実さとよし子の母性的な雰囲気、それぞれのレベルでの対応関係が主人公の世界の必須の構成要素とされています。
『三四郎』が、日露戦争後の世情不安をバックに据えて車中の女や轢死する女を点描している点は村上春樹の作品の方で「大学紛争」を設定として持つこととの対応が直ぐに発見できるのですが、『三四郎』はさて置いて、本作の場合歴史的事実としての「大学紛争」が、それに関わる個々のモティヴェーションの差異によって、多様な後遺症を齎していることを見ておかなければなりませんね。
「7.村上春樹と夏目漱石」の1節
各所に漱石への言及は見られますが、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』には、漱石読みの河合氏の示唆もあって数多くの発言が見られます。『スプートニクの恋人』には、「夢十夜」の第一夜のイメージの活用(「ミュウの真っ黒な瞳の奥に映っている自分自身の鮮やかな姿を、すみれは目にすることができた。」3)があるその直後の章(4)に「なんだか『三四郎』の冒頭の話みたいだな・・・」という「目くばせ」めいた記述があったりする。「ノルウェイの森」に関しては、その原型をなす「蛍」と「こころ」の対比を試みた渥美秀夫の画期的な論(1992.12『愛媛国文研究』)を嚆矢として、同じく平野芳信の「話型論」からする「最初の夫の死ぬ物語」があり、更に「三四郎」を中心に漱石の時間意識との対応関係を論じた半田淳子の逸論が存在する。『翻訳文学ブックカフェ』で新元良一のインタヴューに答えて、
夏目漱石なんかは好きなんですよ。でも戦後文学みたいなのはだめ。(中略)いわゆる文芸日本語がよめないから。
もっとも大江健三郎の「死とセックス」を初期は回避してきたが、本作では活用してきた、というあたりおのずからシタタカな作家的本性を露呈している。この本で面白いのは、レイモンド・カーバー、フィッツジェラルド、チャンドラー等翻訳の対象作家を論じる中で「ドストエフスキイのカラマアゾフの兄弟はぼくの北極星」と述べている部分である。カラキョウなど言う現代風の略語を親密感込めて使う作者である。村上訳ドストエフスキイ出現の可能性が期待できるのです!
◇
拙ブログ
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
めずらしく多くの反響がみられありがたく存じます。内田先生は「ああいう中途半端な「春樹論」では、折角の貴重なページが台無しではないかと」と謙遜されてますのよ。今後さらに書き下ろしのお原稿を寄せていただけるようで、私は期待しております。みなさま、楽しみになさってくださいませ。
宗恵さま、文学少女のあなたは春樹や漱石が合ってるような感じです。お茶と文学は深い関連性がございますから楽しみながらお勉強ですね。
mohyoさま、お生まれになりお育ちになった国、複雑な中になつかしい思い出も多いことでしょう。そうしたお歌もぜひお詠みいただきますよう!
甘党さま、医学と臨床の道に従事されるあなたに良質な文学が心の慰めとなっているとしたら、お仕事にもよい影響が出ると思いますよ。漱石は下戸で甘党でしたね。
片腰さま、居合い道を行くあなたはロシア文学にも造詣が深く、多趣味でいらっしゃいます。青春時代を思い起こしてご一緒にたのしんでまいりましょうか。
投稿: tsubaki wabisuke | 2007年5月25日 (金) 12時01分
学生時代、
東京へ遊びに行き
三四郎池を見学に赤門をくぐったり
村上春樹を読んでビールを飲んだ日々を思い出します。
ノルウェイの森は卒業後だったと思いますが
いわゆる村上春樹初期作品の三部作と共に
学生時代を過した私としては
興味深い内容でした。
残念ながらカラマーゾフの兄弟や罪と罰など
ドストエフスキーは読んだけれど忘れてしまいました。
投稿: 片腰 | 2007年5月23日 (水) 19時47分
講演記録を、ありがとうございました。
村上春樹、大江健三郎は敬愛する「日本語」表現者でもあり、やはり、彼らの日本語の中に夏目漱石が存在するのだと、改めて実感いたしました。
実は、中学生時代に岩波文庫で読んで以来、「カラマーゾフの兄弟」「白痴」は好きな作品であり、特に、「カラマーゾフ」は折に触れ読み返す作品の一つです。村上氏の「村上朝日堂」作品に、「スメルジャコフ対織田信長家臣団」というものがありますが、こちらも、タイトルからして、「買わずにはいられない」書籍でした。「村上訳ドストエフスキイ」、是非とも実現して欲しいのですが・・・。
投稿: 甘党 | 2007年5月23日 (水) 01時59分
台湾は私が生まれ敗戦で引き上げてきた地です。そこで漱石を好きな人たちがいるというのはうれしいです。
今日は池袋の駅で無料漫画雑誌を元気に配布している方がいて漫画は読まないのに思わず頂いて電車の中で読みました。面白かったです。漫画は韓国でもヨーロッパでも人気があるそうですね。
今朝のテレビではイランでは折り紙が人気を呼んでいるということでした。外務省では漫画大賞もできるそうです。
このように日本文化が認められていくことはとてもうれしいことです。
ただお恥ずかしいのは私は漱石については台湾の方より知らないだろうということです。
この間三四郎池をめぐりながらふとわびすけ様に出会えるような気がしていました。
わたしは学生食堂近くにある生協の本屋に必ず行きます。本の並べ方が面白くわかりやすいです。出口の無料新聞も頂いて読みます。わびすけ様これからもお元気でいろいろな情報をいただきたいと思います。頂くばかりで済みません。
投稿: mohyo | 2007年5月22日 (火) 22時43分
やはり村上春樹と夏目漱石はリンクするんですね…。
ある方から「面白いよ」と言われ読んだ『海辺のカフカ』。
あまり興味なかった村上春樹でしたが、それ以来気になる作家になりました。
最近、お茶関係の本ばかり読んでいましたが
ここで少し、方向転換してみようかしら…。
内田先生のご講演の概要を載せていただきありがとうございました。
投稿: 宗恵 | 2007年5月22日 (火) 21時09分