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2007年8月の記事

2007年8月29日 (水)

26才の青年横綱・朝青龍 心はどこに?

モンゴルから来た26才の青年の栄枯盛衰をニュースで毎日見ることになろうとは思ってもいませんでした。現代日本の若者には見られぬハングリー精神で、出世街道をひた走り押しも押されぬ横綱になったのは誰しも依存のないところです。

不振の相撲界をひとりで盛り立てて来た強さに、多くの観客は素直に拍手をし声援を送り続けました。日本人は島国根性とよくひきあいに出されますが、モンゴル相撲から日本の国技へ移行し成功した横綱・朝青龍をなんの抵抗もなく受け容れたのです。

驕る平家ではありませんが、朝青龍のおごり高ぶった態度は何度か問題になりました。
けれどもいつもうやむやになり、親方の指導力不足ということで終わったのです。

ところで親方には一体どのような強い権限があるというのでしょうか?
大出世しただけで孝行息子なんです。態度がどうであれ、小部屋の親方には朝青龍は可愛い弟子に違いないのですね。 

親方に責任を押し付けるのではなく、強大な権限を持つ相撲協会のトップが厳しい沙汰をくだすべきだったでしょう。日本の国技であることが大前提であって、心の教育は行われていたか、あらゆることが後手後手に回ったわけです。

心の病を発病したという医師の診断により、治療のためにモンゴルに帰国が決まったといいます。本来なら配偶者が迎えにくるところですが、どうも日本とは様子が違うようです。人間として横綱として余りにも未熟といえましょう。

モンゴルの大草原を流れるあのホーミーのうつくしく哀しい響き…。私は26才の青年朝青龍が故国に帰って心身を癒し、心から悔い改める日が来ることを期待しています。いかに格闘技に強くても心を喪った横綱は、もう見たくはないと思っています。

まだまだ若い人です。いくらでもチャンスはありますから。3年前にも私は彼のことを書いています。他人事でない事柄もございまして。


2004年11月22日 (月) 心技体 すもうと茶人

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2007年8月23日 (木)

中宮寺門跡の記念歌集 『御仏にいだかれて』

編集委員の末席に加えていただきましてより、いくたびか編集会議を重ねて参りました。そしてついに最後の編集委員会がこの18日に開催されました。場所は京都市内の或るホテル。中宮寺様を中心に出版社の方と5名の編集委員。総勢8名。

この後晩餐のおもてなしに預かりました。写真は男性抜きの三人となって。左、冷泉夫人、右わびすけ。真ん中はいわずと知れたやんごとなきご主人公でございます。

R1010625hensyukaigiato1  『御仏にいだかれて』

この歌集は、日野西光尊門跡の喜寿を記念して、長い間詠んでこられました和歌の詠草を集め、尼公の伝記ともいえる内容になっております。

題名からすべてご門跡のご意向を受けて、5人の編集委員が審議したのちに決定したものです。編集員の方々は私を除いてその道の錚々たるオーソリティ。歌集にとどまらず発起人から、挨拶をどなたに依頼するか、祝賀会の会場はなどの実行委員会の様相を呈しました。

R1010623nikouto 光尊さまは、向陽会の歌人でいらっしゃいます。

そもそも明治天皇の思し召しによって始められ、そのご下賜金で運営されてきたという和歌の会・向陽会。

ご門跡は次のようにおよみになりました。

百二十年 受け継がれたる 向陽会 その一しゃく(歯へんに句)に居る 身の幸思ふ

また、本の題名のご染筆は、有馬頼底様。相国寺派管長。平和運動でも有名な方です。仮名をお書きになるといかにも優しい筆跡で、あらっと意外な感じを受けました。

この表紙は、龍村織物特製で、ご門跡が特注された「国宝・中宮寺天寿国曼荼羅」の絹布です。龍村織物の担当の方も何度か編集会議にいらして協議を重ねたのでした。色調といい、文様といい、香気ただよう表紙になっております。お歌はごく自然な歌風です。その上、年譜とあとがきのご文章が切々と心に響きます。

どなたでもお手にとっていただくことが出来ます。自費出版ですので購入されたい方は、中宮寺へ申し込んでいただきますよう。巻末の内ポケットにはCDが入っております。税込み6300円。

さて、編集委員の方々のご紹介を。

浅井与四郎氏、 向陽会の師範。北野天満宮・宮司さん。 

冷泉美智子氏、向陽会会長の令夫人。和歌の名手との評価たかい麗人。

出雲路敬直氏、歴史学者、下御霊神社宮司さん。

辻弘達氏、医学博士。表千家茶人。

わびすけ、ご存知 猫好き、茶好き、ソーセキ好き。貧相な手抜き主婦。

さて、出版社は京都に本社があります思文閣出版。専務の長田岳士氏がお世話くださいました。思文閣出版は古美術・思文閣の別経営の会社です。この度の縁はと申しますと、一昨年の私が担当させていただきました中宮寺・山吹茶会であったように思います。

裏千家・坐忘斎家元のお献茶が行われた際、忝くも添え釜を懸けさせていただきました。。私の力などはちっぽけですべて皆さまのご協力によってできたように記憶しております。中でもかつて、茶道の指導をしていた関係で、思文閣社主の田中周二氏がご家族と社員へとかなり茶券を買い求められ茶会の当日、夫人とお嬢さんたちと駈け付けてくださいました。

その時の感想文を氏は後日、送ってこられました。企業人としては自分で著書も出されているだけに達意の文章です。個人的には面映いのですが。

 拙サイト掲載 京のあきんど 思文閣 田中周二

◇◇◇

椿先生との出会い                                      

            田中 周二(株)思文閣代表取締役会長

人生に於いて一期一会との言葉がありますように、椿先生との出会いがその後の生き方に多くの影響を頂いたように思っている今日です。

(中略)

話は少し戻りますが、先年久しぶりにお見えになり、何か夏目漱石の書いた作品がありますかと申されたので、書の掛け物をお見せいたしましたところ、気に入っていただきました。

ことし平成十六年四月二十一日と二十二日に奈良の中宮寺に於いて、お茶会をされるお手紙を頂きました。家内と一緒に二日目の日に参りましたところ、中宮寺山吹茶会 椿わびすけ席に案内されました。大書院正面の床の間は、裏千家当代・坐忘斎家元の書かれたものでございました。待合には、漱石の軸が掛けてありました。先生に聞きますと、漱石の書に柳の語句がありましたので、四月にあわせて掛けられたとのことでした。


普通お茶席には文人の軸は使われませんが、今までにない新しい試みとしてお使いになった椿先生の出色です。



中宮寺・本殿の落ち着いた部屋で椿先生みずからのおもてなしでいただいた一服は、俗の世界におります私に断ち切ったひとときの心休まる静かな時間でありました。

久方ぶりに心洗われる中宮寺だったと家路に着きました。



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2007年8月20日 (月)

お励ましのメールに一層の精進を自分に誓う

なんの因果か、夏目漱石に魅せられたのが運のつき。とまあ、こんな悪態を書くなんざぁ~困ったものでございます。漱石先生、ごめんやっしゃ~。

ことしから漱石について書いたエッセイが、6本ですか。まだまだものの数には入りません。日本インターネット新聞は元朝日新聞社編集委員の方が創立したマスメデアで、私は連載コラムニストの末席を汚しております。簡単な紹介が出ておりますのでこちらもご覧になっていただければ嬉しいです。

きっすいの京都人、津田青楓・西川一草亭兄弟と漱石

漱石は、京都に深いつながりを持っていた。今回は、門下となった京都出身の画家、津田青楓とその兄、西川一草亭との交流にスポットを当てた。(椿伊津子)2007/08/18

漱石の参禅体験 取り入れられた作品の数々

漱石と禅との関わりは鈴木大拙が「羅漢のような居士」として登場する小説『門』や釈宗演から「無字」の公案を与えられた事などが書かれたインタービュー記事など少なくない。(椿伊津子)2007/08/08

京都の取材から書かれた漱石の『虞美人草』と『門』

漱石は旅行をした後、必ずその見聞を作品に取り入れています。明治40(1907)年3月下旬から4月上旬、京都を旅行。漱石はその間、新聞に掲載するための記事を書いています。まさにニュースにふさわしい早業の執筆といえましょう。(椿伊津子)2007/07/30

漱石が京都で買い求めた高価な半襟

夏目漱石先生は、明治42(1909)年10月、2日間だけ大阪から京都に立ち寄った際、わざわざ四条の襟善に一人で買い物に行っているのです。 それも案内なしで当初から予定していたフシがあります。(椿伊津子)2007/07/26

夏目漱石の縁(えにし)祇園と多佳女

多佳女と漱石についてはかなり多くの論評がなされています。「漱石は花街に無理解な人間だ」「漱石という人間は京都にしっくり来ない」「お茶屋・廓と漱石とはイメージが合わない」さあ、真実はどうなのでしょうか。(椿伊津子)2007/07/13

京都の風流を愛した漱石 祇園の多佳女の看病に癒された日々

京都は漱石にとって縁うすい都のようですが土地との繋がりというより漱石を看病した祇園のお多佳さんの様に人との深い縁があり「風流」を愛した日々のある都ではなかったのでしょうか。(椿伊津子)2007/06/19

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漱石研究に関連して、その後もお励ましのメールが届いております。一層の精進をと自分に誓うのみ…。心からのお励ましに感謝申し上げます。みなさまのご好意に甘え、一部をご披露させていただきましょう。

2007/8/20  02:07 松岡陽子マックレイン様

 
伊津子様

 お返事遅れまして、申し分けございません。避暑地のようなところに住んでいるため、夏は何となくお客様が多いのです。

 「きっすいの京都人。津田青楓・西川一草亭兄弟と漱石」は大変面白く、またまたいろいろ新しい事を習わせて頂きました。津田青楓、一草亭との、尊敬し合いながらの親しい交わりも、漱石らしいと思います。伊津子様ならではの、漱石の一面の貴重な記録です。このエッセイを読んで、漱石が京都で俗塵をふるい落としたと言っているのがよく分るような気がします。私自身も京都とは本当にそういうところだと、訪ねる度に思います。そしてそんな昔の面影をいつまでも留めてほしいと思っています。

 私事ですが、今住んでいる家がもう二年もすると、五十年、あちこち傷んできているので、今大工が入って直しています。そんなことも少々落ち着かない理由ですので、ご無沙汰お許し下さい。そのうち台所修理に移ると、お料理を階下の洗濯場の流しを使い、オーヴンもなく、ホットプレートでお料理をすることになり、今からその不便さを少々恐れています。

 ではまた。
 
陽子


2007/8/09  01:36  松岡陽子マックレイン様     

  
伊津子様
「漱石の参禅体験」

 いつもよく文献をリサーチされて書かれるので、今度のものからも習うことが多く、大変面白く読ませて頂きました。最後の「文学でも人をして感服させるようなものを書こうとするには、まず色気を去らなければならぬ。」というところは、彼の「則天去私」を思わせます。つまり「人を感服させるものを書こうと思って書くとそんなものはできない、ただ無心に書く、つまり彼のいう色気を去ればよいものが書けるということでしょうか。そこに漱石と禅のつながりがあるように私には思えます。

陽子


2007/8/20 08:28  伊豆利彦様

椿さま

いま、漱石を読む会で『虞美人草』を取り上げていて、京都と漱石についてあらためて考えています。
晩年の京都行きが『道草』を生んだと思いますが、この京都行きについて、ていねいにお書きくださりありがとうございました。
なお、孫文の言葉を紹介してくださってありがとうございます。
ただ、次のURLが開けません。
伊豆利彦
2007/8/9 16:13   伊豆利彦様
椿伊津子さま

「漱石の参禅体験」読ませていただきました。
長年の蓄積の上に書かれた論に教えられることがたくさんありました。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

  伊豆利彦

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2007/08/21   なまず様(ジャーナリスト)

わびすけ さま

お暑うございます。夏椿のひそやかさに涼を感じております。

「古都つれづれ」拝見しました。京都、漱石、茶道 の組み合わせ、 わびすけさん ならではの「論証」とおみうけしました。興味深く おもしろく読ませていただきました。

くすっと笑えそうになったのは 西川家の茶室訪問日記。
「布団の上にあぐらをかき壁による」「茶事をならわず勝手に食ふ」 そして底冷えの寒さに震えるー。等身大の漱石を感じました。

やはり漱石の話になるとわびすけさんの筆の運びがいっそう なめらかになってきましたね。でも このあたりで閑話休題のつもりで漱石を離れた「京のつれづれ」をはさんでいただくのはいかがでしょうか。

読者の立場では 一息いれたいところです。
続く漱石がらみのリポートにもインパクトを与えることになるのではないでしょうか。






このほか、私のお待ちする人はまだいらっしゃいますが、
どうか早くいらしていただきますよう(#^.^#)。
公式サイト掲載記事へ 諸先輩の方々からご感想をいただいて 2007-07-14

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2007年8月18日 (土)

きっすいの京都人、津田青楓・西川一草亭きょうだいと 夏目漱石

今日のIT新聞に掲載された拙稿は、以下のようになっています。

2007/08/18 きっすいの京都人、津田青楓・西川一草亭兄弟と 夏目漱石

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江戸っ子は、小説『坊っちゃん』にあらわされるように作家・漱石の風貌でもありましょう。

それに対して世評では、京都人は対極にあると思われているのではないでしょうか?

漱石は京都人とどのような付き合いをしていたか、その一端を検証してみることにいたしました。漱石の弟子であり、漱石の絵のアドバイザーでもあり、人間的に信頼をうけていた津田青楓。かれはきっすいの京都人でした。

青楓の実京である西川一草亭も、青楓を介して漱石と親しく交流をした京都人です。

漱石の日記から彼らとの交流のもようを書いてみました。

もとの原稿はエキサイトの漱石サロンランデエヴウのほうへ昨夜アップしております。

冒頭は、京都帝国大学(当時文科大学)の学長の学友との交友に触れました。

「漱石と京都、学問の繋がりでは松本文三郎、狩野亨吉がいずれも京都帝国大学(旧文科大学)の長であり、漱石へ教師として講座を依頼していました。明治40年4月、漱石は京都の銀閣寺北にあった松本文三郎の山房に招かれその礼状を送っています。

「拝啓 京都滞在中は尊来を辱ふせるのみならず銀閣の仙境に俗塵を振るひ落し候」
市街と離れたこの地を漱石はたいへん気に入り、東京付近ではこんな住居は求められないと賞賛しています。しかし、41年6月、書状で教師就任と講義の件は断っているのです。狩野亨吉とも同じやりとりがあったは史実に遺されている処です。

ただ、これら碩学の友人は当時京都在住ではありましたが、故郷は別にあり後に京都を去った人でした。京都に生まれ育ったきっすいの京都人で、親密な知人といえば、津田青楓と西川一草亭きょうだいを措いてはないと思われます。今回はこのふたりにスポットを当ててみることにいたしましょう。」

長文になりますので、最後のところのみ書かせていただきます。

「漱石は祇園の「一力」で舞妓の運ぶ薄茶を喜んで喫しています。展覧会では茶道具の名品を手帳に書き付けています。そして、漱石は乾山の向付けの一揃いを見つけ、それを津田青楓に贈ってもいます。茶道そのものを嫌っていたのではありません。

 漱石は、東京に帰ってからは「京都の閑雅をひとり懐かしんでいます、また行くつもりです」と書簡に書きながら、大正5年12月9日に、49歳の生涯を終えたのでした。

 ああ、前年に京都旅行をしたあの体験がもし小説になっていたら……。不出世の文豪に時間が与えられなかったことは、惜しみても余りあるのです。」



 ◇

参考文献
岩波『漱石全集』。津田青楓著『漱石と十弟子』。西川一草亭著『落花帚記』

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2007年8月 8日 (水)

夏目漱石の参禅体験 実意あればこそ惚れられる

漱石の参禅体験 取り入れられた作品の数々 2007/08/08

今日、日本インターネット新聞のコラムに掲載されたものです。

コラム 古都つれづれ

以前からこの案は温めていましたが、資料を集め裏づけをとることなど手間がかかりました。

そもそも、鎌倉円覚寺の専門道場は、はるか昔私が師事したT老師が修行され、古川尭道老師から印可証明を与えられた因縁があるところです。しかも、当時、兄弟弟子ともいえる方が東慶寺の井上禅定師だったのです。そうしたことから禅定さまは私を可愛がってくださいました。

道縁のご恩を感ぜずにはおれません。古川尭道老師こそ、釈宗演老師の法を継いで円覚寺僧堂を護ってこられた大徳でありました。峻厳な禅僧としてご自分を律し他を導かれたと私はさまざまなエピソードを師匠から聞かされておりました。

私の師匠はその後、鎌倉を離れ、京都でも修行され京都五山である或る大本山で管長職を務められました。拙文を書くに当たって、思いは感無量なものがございました。

漱石に焦点をあてて書かせて頂きましたので、失礼なこともあったのではないかと思います。

最後に井上禅定様が私の要請を快くお受けくださいまして、玉稿をお送り頂きました日のことが、懐かしく思い出されてまいります。

椿わびすけの家別館 夏目漱石掲載  

鈴木大拙と夏目漱石 井上禅定執筆

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2007年8月 7日 (火)

八朔(はっさく)のご挨拶 裏千家家元のお言葉

茶道宗家での体験を書くことにいつも躊躇している私です。

でもそれを待って下さっている読者の方々も確かにいらっしゃいますので、今日は少し触れたいと思います。八朔と申しますと柑橘類の果物を思い浮かべる方が殆どでしょう。

それとテレビなどで京都祇園・甲部歌舞練場のおっしょさん、井上流家元へ舞妓や芸妓があらたまって挨拶に行く日と仰る方々も多いのではないでしょうか?

でも、別名田の実の節句ともいわれるように、この頃は早稲が実ります。稲の穂が実るので、初穂をお世話になる人にに贈る風習が生まれたようです。この「たのみ」が「頼み」になり、「お頼み申す。」 ということになったといいます。そこで上つ方の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で挨拶に行くのですね。

暦の専門家でいらっしゃるかわうそさんは八朔の歴史を次のように仰っています。

徳川家康天正18年8月1日(グレゴリオ暦1590年8月30日)に初めて公式に江戸城に入城したとされることから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていた。

今明治改暦以降は、新暦8月1日月遅れ9月1日に行われるようになった。」

私は念のために、8月1日が旧暦ではいつになるかと探して見ました。↑↓

  • 2007年  09月 11日 (友引)

ということですので、本来の八朔はもっと先で今より涼しい頃でしょうね。それと暑いさなかは、三伏(さんぷく)の候といい、夏の勢いが大変盛んで秋の気を伏する(降伏する)ということのようです。旧暦ならきのう今日はまだ三伏の中ではないかと思います。

前置きがくどくどと長くなってしまいました。えっ、お家元の話はどうなったんだ?とおっしゃるのですかぁ~~。はい。風が通る家が従来の日本の家屋であった、というお話が中心でした。

「これまでの旧い住居を新しく建て直したが、小川通りの佇まいに合ったものにしたと思っていた。しかし、家の中を以前のように風が通らないんです。見た目には昔風の家でも、エアコンを設置した建築は、すでに自然の風は通り抜けてはくれない。」

そう仰ってお家元は時代の流れというものの難しさを話されたのです。そして更に茶会の箱書きについて、「自分は今後特別なものを除いて箱書きを断ることにした」と。それは、ものの価値でなく肩書きで物を見、判断する茶人のありようを厳しく指摘されたのでした。

新しくものを創るばかりが道ではありません。利休さまがわび茶を伝えられた千家の茶道の正統を行かんとされる坐忘斎家元の静かな気迫を、私どもはしみじみと感じさせていただきました。

茶の湯には梅寒菊に 黄ばみ落ち 青竹枯れ木 暁の霜

利休百首

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2007年8月 1日 (水)

専門家・研究家・真摯な学究の知己

専門家といいますとすぐ専門バカだとか、仰る方もございますので、れっきとした学者の先達の方々と申し上げます。私のつたない書きものを丁寧にご覧いただき、ご感想をお寄せくださることを本当に光栄に存じます。

漱石研究家として大家でいらっしゃる方々ですから、お便りにも研究のための示唆を頂戴し、大きい励ましとなります。ありがとうございます。

2007/07/31 07:00   松岡陽子マックレイン様(オレゴン州ユージン市)

伊津子様

 御心配かけて申訳ございませんでした。元気にしておりますが、夏は、この辺りは最善の気候、湿度が低く、昼間はかなり暖かくなりますが、日が沈むとぐっと冷え、熱帯夜というものがほとんどありません。真昼でも室内で窓を閉め切って暖かい空気を入れないようにすると、エアコンがほとんど必要がない所です。日本で言えば避暑地という感じの所なので、いつも他州や日本からのお客様が多く、夏の間はつい忙しくなります。その上ゲラが戻ったりして、何となく落ち着いてお便りをする暇がありませんでした。ご無沙汰お許し下さい。新書が出るのは十月半ばだそうです。

 京都と漱石についていろいろ書かれ、どれも大変面白く読んで、習わせて頂いています。

 ちょうど今度の本の中で、祖母が「お父様はなかなかおしゃれだったんだよ」と言っていたことを思い出して書いたので、伊津子様の半襟の話のところ大変面白く読みました。漱石は自分も良い着物が好きだったし、また子供達が奇麗に着飾るのも好きだったそうです。祖母に半襟の御土産など買おうと思ったことも、彼らしいと思いました。

 『虞美人草』は漱石自身後で厭だと言っていますね。内容は別として、『虞美人草』だけがあんなにごってりしたスタイルで書かれているので、厭だったのでしょう。後期のものは飾りけなく、平坦で単刀直入な文章で書かれています。ですから、いくら漢字が多くても、それさえ字引で引けば、『心』など私の学生が上級になると、あまり苦労せず読めるようになりました。

 私も『門』は好きです。彼の作品のなかで一番暖かいものだと思います。彼が自分で一番好きだと言ったというのがよく分ります。彼の理想の夫婦仲だったのかもしれません。でも漱石の作品は一つ読むといいなと思いますが、また次のを読むと、それもいいと思い始めます。だから、今でも人にどれが一番好きかと言われると、はっきりどれと言えません。芥川は『明暗』をすごく褒めていましたが、あれは少々冷たくて、いくら文学として優れていても、私はあまり好きではありません。やはり個人の好みですね。

 今週もお客様があります。来週は、私が1964年に助手として始めて日本語を教えたときの学生たち(もう孫のいる人もいます)が10人くらい、ある者は他市(日本も入れて)に住んでいますが、皆ここに来て集ることになっています。いわば四十年以上前の学生達のクラス会とでも言うものですから、皆で昔を思い出して楽しむことでしょう。

 ではまた良いものをお書きになったときは、どうぞお知らせ下さい。いつも楽しんで読み、いろいろ新しいことを習わせて頂いています。

陽子

2007/08/01 11:40 内田 道雄様

椿様の達筆・麗筆・速筆に感心しています。折角のご文章なのに、遅くなりました。

『門』は私も、一番大好きだった作品。夫婦愛が共感深く書かれています。「上品な半襟」につきましては「襟善」についての貴重な調査踏まえて「宗助」の愛妻への心情、きめ細かな捉え方で素晴らしいと思います。

『虞美人草』の「初源性」についても同感。吉本隆明の著述等々よくマメにお読みですねえ。椿様がご指摘のこの作品での社会批判・時代意識は言うまでもなく『門』の後半部への転回にも辿れますね。前半の「夫婦愛の物語」はそれによって大きく揺るがされるのですね。

「京に着ける夕」の原体験については水川さんも良く辿ってくれていましたが、今度の椿様のご指摘で安堵!(狩野亨吉、菅虎雄が、誤植になっていました。)

以上お礼まで。

内田拝

2007/07/31 11:25   内田道雄様
下記のURLで拝読が叶いました。プリントアウトいたしまして外出先で熟読いたします。どうもありがとうございました。内田拝

2007/07/31 09:51   伊豆 利彦様

椿 伊津子さま

漱石と京都というテーマは大事なテーマだと思います。「門」を京都との関連で考えることはしていませんでした。

「門」は私も好きな作品です。これは漱石文学の転換点となったと思います。
今後ともよろしくお願いします。

伊豆 利彦

2007/07/27  08:12 伊豆 利彦様 

椿 伊津子様

興味深く読ませていただきました。
半えりのこはいままで気づきませんでした。このことから、漱石のことがあたらしく見えてくるように思えます。

ところで、「虞美人草」には衣装のことなど細かく書いているようですが、「三四郎」ではそんなことには無頓着な三四郎の眼で書かれているし、これ以後もあまりそうしたことは書かれていないのではないでしょうか。

「明暗」はどうだろうか。お延の衣装のことなど書かれていたような気がしますが、どうでしょうか。

ご活躍をおよろこびします。
今後ともよろしくお願いします。

           伊豆利彦



鯰様 (ジャーナリスト)

わびすけ 様

魚が水を得たというのはこんなことをいうのでしょうか。
漱石と古都と半襟 この取り合わせの妙を明快に
ときほぐすさま これはやはり わびすけさんの独壇場ですね。

おもしろく 読ませていただいております。正直なところ
わたしたちが期待していたのも こんな話だったのです。
こころ 豊かに読ませていただいております。

私はこちらの方々とは何度か実際にお会いして、お人柄は充分存じ上げております。

大正時代の香りが残るお方もいらっしゃいますし、昭和ヒトケタの男性は忍耐強いといわれておりますが、やはり現代の若い男性より男性っぽい印象を受けますがいかがでしょう?

いえいえ、ちゃんと現代に生きて活躍されている方々でいらっしゃいます。

学ばせていただくご縁を心より感謝申し上げます。

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