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2007年8月 7日 (火)

八朔(はっさく)のご挨拶 裏千家家元のお言葉

茶道宗家での体験を書くことにいつも躊躇している私です。

でもそれを待って下さっている読者の方々も確かにいらっしゃいますので、今日は少し触れたいと思います。八朔と申しますと柑橘類の果物を思い浮かべる方が殆どでしょう。

それとテレビなどで京都祇園・甲部歌舞練場のおっしょさん、井上流家元へ舞妓や芸妓があらたまって挨拶に行く日と仰る方々も多いのではないでしょうか?

でも、別名田の実の節句ともいわれるように、この頃は早稲が実ります。稲の穂が実るので、初穂をお世話になる人にに贈る風習が生まれたようです。この「たのみ」が「頼み」になり、「お頼み申す。」 ということになったといいます。そこで上つ方の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で挨拶に行くのですね。

暦の専門家でいらっしゃるかわうそさんは八朔の歴史を次のように仰っています。

徳川家康天正18年8月1日(グレゴリオ暦1590年8月30日)に初めて公式に江戸城に入城したとされることから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていた。

今明治改暦以降は、新暦8月1日月遅れ9月1日に行われるようになった。」

私は念のために、8月1日が旧暦ではいつになるかと探して見ました。↑↓

  • 2007年  09月 11日 (友引)

ということですので、本来の八朔はもっと先で今より涼しい頃でしょうね。それと暑いさなかは、三伏(さんぷく)の候といい、夏の勢いが大変盛んで秋の気を伏する(降伏する)ということのようです。旧暦ならきのう今日はまだ三伏の中ではないかと思います。

前置きがくどくどと長くなってしまいました。えっ、お家元の話はどうなったんだ?とおっしゃるのですかぁ~~。はい。風が通る家が従来の日本の家屋であった、というお話が中心でした。

「これまでの旧い住居を新しく建て直したが、小川通りの佇まいに合ったものにしたと思っていた。しかし、家の中を以前のように風が通らないんです。見た目には昔風の家でも、エアコンを設置した建築は、すでに自然の風は通り抜けてはくれない。」

そう仰ってお家元は時代の流れというものの難しさを話されたのです。そして更に茶会の箱書きについて、「自分は今後特別なものを除いて箱書きを断ることにした」と。それは、ものの価値でなく肩書きで物を見、判断する茶人のありようを厳しく指摘されたのでした。

新しくものを創るばかりが道ではありません。利休さまがわび茶を伝えられた千家の茶道の正統を行かんとされる坐忘斎家元の静かな気迫を、私どもはしみじみと感じさせていただきました。

茶の湯には梅寒菊に 黄ばみ落ち 青竹枯れ木 暁の霜

利休百首

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コメント

お返事が遅くなってすみません。夏休みのような1ヶ月があっというまに過ぎてしまいました。

宗恵様
余りの厳しい残暑に、お家元からきものは「薄物でどうぞ」と会に連絡が入ったようです。明日は9月1日参上する日です。新潟のほうは如何ですか。

甘党様
職場は近代的な設備で快適なのでしょうね。そのなかにいると誰でも気付かなくなると思います。利便性といった恩恵と、いっぽう不便ななかに通っていた風。風の通り道は今後、人為的にもあらゆる分野に必要とされるでしょう。拙宅でことしの夏だけは1部屋だけクーラーをつけてます。熱中症にならないように。お嬢さんはお元気ですか。

投稿: tsubaki wabisuke | 2007年8月31日 (金) 21時00分

「風が通る家」、純粋に、建築そのものをとっても、最近の市街地の状況や気候からは、もう一軒の家や建物を昔の通りにしたからと言っても、なかなか同じ効果は期待できない、とても難しい問題に、柔らかく切り込まれたのだなと、感じました。

宗恵様に同じく、茶道とは全く無関係ですが、私にも、そのような寂寥感・腹立ちを感じるニュースや事件が多くあるように思われましたので・・・。

箱書きは、私のように不勉強なものには、参考・勉強になることが多くあり(読ませていただくだけでも難しい)、拝見するのはうれしいことでもあるのですが、なるほど、そのような一面もあるのだなと、伝統文化に批判的な知人の言葉を思い出しました。

風を通せずに困るのは実は、建物自身であり、そこに住まう人々であるのに、どうしてそのようになるまで気付けずにいたのだろうと、冷房の中で自分自身も反省しています。

投稿: 甘党 | 2007年8月27日 (月) 00時57分

風が通る家…「家」は個人の家はもちろん学校・会社・団体ひいては国家をも指してお話になっているのかしら…と思いました。

>ものの価値でなく肩書きで物を見、判断する
最近、お茶関係ではないのですが、何が何でも「肩書き」を手に入れるためには手段を選ばない人に、腹を立てていたもので…。
本物を見極めることのできる人になりたい…と思う次第でございます。

投稿: 宗恵 | 2007年8月 7日 (火) 15時08分

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