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2007年9月の記事

2007年9月28日 (金)

江戸博物館創立15年記念 「文豪・夏目漱石そのこころとまなざし

開会式・内覧会のご招待を東北大学から頂戴いたしましたのでこころ踊る思いで、東京両国へ行ってまいりました。ご招待には同伴が許されるとのことで、お知り合いの方お3人にもお声をかけいたしました。各地から駆けつけられたのは漱石先生の魅力でございましょう。この特別展の内容については後日、IT新聞のコラムに書かせて頂くつもりです。


両国、江戸東京博物館 全景が撮影できなくてこれは入り口から


「文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし」開会式 午後6時~


内覧会 漱石のお孫さんの半藤末利子さんとご主人の半藤一利さんにお会いして楽しく立ち話をさせていただきました。


言問い橋の記念の立て札。 関東大震災のあと、昭和3年に建設されたものですが、昭和20年東京大空襲の悲惨な記念碑となったものです。この地にこうした歴史があることに胸が痛みました。


江戸博のとなり組といってもいい Dホテルに宿をとりました。そのロビーで。

きもの好きな方のために、白状しましょうか。えり善製のきもの、帯、帯上げ、帯締め、半襟。漱石展にはこの装いをと…。

ご存知と思いますが、漱石が京都へ来た折、わざわざこの店を訪ねて妻の半襟を買ったことが漱石の日記に書かれています。、




松岡陽子マックレイン様にこの展覧会の写真を2枚添付メールで送信いたしました。こうした会場内の写真を公開することはご法度になっておりますから、会場外のもののみここではアップいたしました。

2009/9/28 03:29 松岡陽子マックレイン様

伊津子様

 メールが息子の所にいってしまい、今朝彼が転送してくれました。息子健(けん)も今は大学勤め(大学のヘルスセンターの医者)なので、私と同じメールアドレスを持っています。
〈中略)
御送りいただいたメールは”y”がぬけていたので、息子のところにいってしまったということです。ともかく、すぐ息子が転送してくれよかったです。

 お写真どうも有り難うございました。とても楽しく見させて頂きました。相変わらずお美しい和服姿でいらっしゃいますね。漱石の好んだお店でお買い求めになったのですね。新聞で読んでいましたので、展覧会が私が日本へ行く前に終わってしまい、とても残念だと思っていました。妹の名前は「末利子」という字を書きます。彼女は昨年転んで足を怪我して二ヶ月も入院したと言っていましたから、少し老けたのでしょうか。私が小学校六年の時に生まれたのですから、私より一回り近く若いのです。亡くなった長女の姉と末利子は十六歳も離れていました。半藤は相変わらず大活動していますね。

 ではもう一度御写真お送り下さり有難うございました。

陽子




半藤様ご夫妻のお写真はここでは掲載できませんが、いぜん、鎌倉漱石の会で講師としてお話を伺ったとき、撮影させて頂いたことがございました。現代の論客として正論を世に送っていらっしゃいます。おふたりのお写真は、半藤家が提供された漱石の着用したきものの前で私が撮影、ステキなご夫妻です。内覧会のおかげでした。

2002年5月12日 夏目漱石展から 鎌倉漱石の会へ 

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2007年9月22日 (土)

長老ねこの不思議

ねこの鳴き声には、訴えるものがあります。ドラのことをいいますと、最近からだの苦痛を訴えるような声をあげることが多くなりました。首とお腹の両横がふくれ、食欲もなく新しく汲み替えた水ばかり飲んでいます。

獣医科にも久しく行ってないのですが、先生に留守電を入れておきました。この先生は必ずお返事をくださるので猫の病状といいますか、いまの様子を話しました。
これまでの経過を書きますと、腹部に大きい癌ができているという診断を受けていました。高齢だから手術もしないほうがいい。そっと余生を送らせてやるといいだろうということで、私もなっとくの上で病気のねこと付き合ってきたのです。

「番号、2685 M、Cat です。ご無沙汰しています。
食欲がなくずいぶん痩せました。尿と便も出ないようです。きのう、お腹をさすってやっていましたら、運よくピューと細い噴水のようなオシッコが出ました。それが長く一分間くらい続きました。でも尿だけで終わりです。癌は大きいのがお腹の両横に二つ、首に一つ、ふくれたままあります。医院に行くのを嫌がりますので何か楽になるお薬をいただけますでしょうか?」

まあ、患者としては、不届きな依頼でしょうねえ。でも、こんな話が出来るような理解のある獣医さんなんです。3時間くらい後になってからお電話がありました。

「カルテを見ましたが、7ヶ月来てもらっていませんな。連れてこれませんか?」

「すみません。洗濯ネットをかぶせて袋に入れていくのを嫌がります。医院から帰ると2,3日とてもおびえて近よらなくなるのです。18歳ですからそっとしておいてやりたいのです」

「老衰でしょう。砂糖水をやると力がつきますよ。コーヒー用の砂糖シロップ、小さいのを店屋に売ってますからそれを2倍に水でうすめて飲ませてみてください。葡萄糖注射と同じような効果があります」

「ありがとうございます。便が出ないのはどうしたらいいでしょうか?」

「子供用のイチジク浣腸を買ってきて少しだけいれてみますか。しかし食べないのであればそんなことは必要ないでしょう」

「本当にありがとうございます。機嫌のいいときにまた連れていきます。教えていただいたことを様子をみながらやってみます。」

いい先生でしょう。こんな立派な獣医の先生がいらっしゃるから、いつも安心していられるのです。このところ、ドラはもう、最期が近いのではないかと思うこともありました。主人が東北へ旅行に出かけていましたし、留守中にもしものことがあれば、などと独り思いわずらっておりました。
友人からの電話で、「大丈夫です。ねこはちゃんと分かってますよ。きっとご主人さまを待ってくれてると思います」ということばを聞いて、目頭があつくなりました。
それが昨夜のことです。山形から主人が帰ってくる知らせがあって、玄関の戸の開く音がしましたので、玄関に出て見ると二畳敷きの畳の最前列にねこが行儀よく坐っているではありませんか!
あんなに体が弱っていたのにそんなそぶりも見せないで、主人が留守だったこともみんなわかっていたんだ…、胸がいっぱいになりました。重病のねこを看取った先の友人の話は本当だったのです。
主人はなにごともなかったように、ねこの頭を撫でて「ただ今」と声をかけていました。私への言葉はねこの後になりました〈笑)。
家の中がいっぺんに明るくなった気持ちです。今日もドラは布団のうえに横たわって休んでいます。すこし食べたようすですし、当分大丈夫でしょう。
ありがとうね。ドラさん!

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2007年9月14日 (金)

日本インターネット新聞編集委員選賞を受賞しました 「古都つれづれ」

今日、1通の郵便が来てはじめて気がつきました。
私がコラムを書かせていただいています日本インターネット新聞。8月掲載記事の編集委員選賞受賞のお知らせでした。16本の記事が選ばれその中の1本が私だったということ。

編集委員4人の中のお一人、H…広岡守穂さん(中央大学法学部 教授)が拙記事を選んでくださったようです。


椿伊津子記者のコラム「古都つれづれ」は、だれかも書き込んでいたが読んでいるとこころが洗われるというか、ほっとする。このところ数本続けて漱石と京都のかかわりをとりあげている。「きっすいの京都人、津田青風・西川一草亭と漱石」(8月18日)では、津田青風・西川一草亭と夏目漱石の交際をつづっている。西川一草亭といえば、ずいぶん前にいけばなの文人生けについて書いたものを読んだことがあった。そのことをふっと思い出した。(H)

編集便り・編集委員選賞8月の受賞記事

tsubakiコラム「古都つれづれ」はことしになって半年間お休みしてましたが、漱石先生について続けて書いた拙稿でした。読者の方々のあたたかいコメントに励まされ、時間をかけて幾多の文献をひもとき、自分の思いを綴りました。

私の場合はニュース性には遠い書き物ですから編集委員の方にお認めいただけるとは思っていませんでした。
数えますと4回目の受賞にしかなりません。でも本当に嬉しいお知らせでした。

広岡さんもコラムをお書きになっています。とくに「男の言い分、女の言い分」は面白く人気があるようです。


このマスメデアは、元朝日新聞編集委員であり鎌倉市長であった竹内謙さんが社長をなさっています。それから同じ朝日関連の話題をもう一つ、書いてみますね。

松岡陽子マックレインさんの著書の出版のニュースです。
ただ、10月中旬に発売ということですから今から楽しみに心待ちにしているのです。

朝日新書の編集長さんにメールを出しましたら、丁寧にお返事がまいりました。



朝日新書 岩田
メール拝受。
松岡陽子マックレインさんの朝日新書は、
『漱石夫婦 愛のかたち』というタイトルで、10月12日発売の予定です。
よろしくお願いします。



朝日新書は読みやすく、楽しい雰囲気が感じられると友人たちから聞いておりました。
陽子先生とこの冬にまたおめもじする予定ですので、私には二重の喜びになりました。
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最新コメント
松岡陽子マックレイン様 2007/9/15  01;24
伊津子様

おめでとうございます。本当に伊津子樣は、いつも他の人が知らないことをよく調べてお書きになるので、受賞された理由がよくわかります。何度も申し上げたように、私も随分いろいろ教えて頂いて、感謝しております。

 もう拙著の宣伝までして下さり、これも有り難うございます。

陽子

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2007年9月 9日 (日)

2007年9月7日裏千家無限忌 副席

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ご夫婦の忌日がまったく同じというのは、世の中にはあまり多いことではありません。9月7日にお二人のご遺徳を偲ぶ一会にことしもご奉仕をさせていただきました。

無限忌とは、裏千家第十四代碩叟宗室、淡々斎の名で親しまれているお方です。1893年(癸巳,明治二十六年)にご出生、1964年(甲辰,昭和三十九年)9月7日に逝去。伝道に行かれた北海道で急死されました。享年70歳。

無限斎の斎号と碩叟の号は大徳寺の瑞巖老師が授けられたものです。淡々斎の著書『風興集』には、その間の謂れが詳細に書かれています。瑞巖老師は無限斎のことを「人中の英」と讃えておられるのです。

淡々斎は学問を重要なものとして学び尊んだ方です。今は学者といえばサブカルチャー的な言動をされる風潮がありますが、本来はそうしたものではなく本格的な学者を尊敬されました。淡交社刊『茶道古典全集』はその偉業を余すところなく伝えていると思います。

嘉代子夫人は仙台のご出身。美貌に加え才気と母性的な心配りで人々を魅了された方でした。その夫人の法名清香院様は後年、最愛の夫君の後を追うように同じ9月7日に逝去されたのでした。ことしもその法要が聚光院にて厳かに執り行われました。

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床は円能斎一行 清風拂名月(せいふうめいげつをはらう)。円能斎は無限斎の父君。

淡々斎好みの円意棚 歌と在判が天板裏にあり。秀斎造。 

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ものごとに 障らぬものは 円かなる おのがまことの 意(こころ)よりこそ

私ども直門は、大徳寺における無限忌の副席を例年のごとくご奉仕。三玄院の茶席のもようを水屋仕事の合間に撮りましたが、カメラの故障でうまくいきませんでした。多少見られるものだけアップしてみました。

道具は当番持ちよりです。高価なものを見せてもらうのですから勝手な批評は避けたい処ですが…。私の感じたことは、風炉の雲華面取りの色彩がちょっと目立ち過ぎているようで、全体の印象から惜しいと思いました。難しいですねえ。

花入は淡々斎好、無心籠。

水指は古膳所(こぜぜ)、渋く味わいのあるものでした。

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棗は秋の野棗、八代宗哲の作。これは利休好。

茶杓 淡々斎 銘 初雁、風情のある茶杓でした。

茶碗 淡々斎歌銘 「松風」 覚入造

茶杓の銘と同じ「初雁」のお菓子が今日庵席で出されておりました。末富製。黒砂糖にくずで作られ中に白い百合根の一片が入っているものです。御所前の松屋ときわが有名なお菓子でしたが、最近はお目にかかれません。

いずれ『淡交』に掲載されることですから、どうぞそちらをお待ちくださいませ。

スライドショー 2006年8月7日 無限斎宗匠毎歳忌 清香院さま27回忌法要 副席

 

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