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2007年11月の記事

2007年11月21日 (水)

旦少年のおもかげを偲び もえる紅葉を写しました

Img_2943kouyou2

スライドショーをアップしました。

11・21スライドショー大徳寺山内の紅葉 宗旦忌350年の日にhttp://wabisuke.la.coocan.jp/soutankinohi2007.html

宗旦さまには「旦少年」とよばれた時期がおありでした。旦少年へ贈るというその題名のままの漢詩が記録に残されています。
贈った方は禅の師匠である春屋和尚です。親の元を離れ小僧さんとして大徳寺に預けられた十二、三歳の旦少年に、慈愛に満ちた励ましの漢詩の内容なのです。

春屋の『一黙稿』は、淡交社から嘗て淡々斎が序文をお書きになり刊行されています。私は愛読していたその書物をどこかへしまいこんで今詳述することができずほんとうに残念に思っています。

けれども宗旦忌の日に、旦少年のおもかげを思い、協賛釜の水屋でご奉仕できることを感謝しておりました。スライドショーは解説がなくともお茶人さんがたはご存知と思います。

法堂(はっとう)。~芳春院。~本坊。~じゅ光院。高桐院。最後の不審な場所は、夕食をいただいた某所。

きものをご披露することは京友禅のPRにもなりましょうか。いま厳しいこの業界に元気を出してという老婆心でございます。きもの好きな趣味を一人でも多く増やして欲しいところです。

      

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2007年11月18日 (日)

宗旦忌 明日は350年忌 11月19日

宗旦さまの350年忌、明日11月19日は大徳寺において法要と大茶会が開催されます。

直門席は高桐院。私は明日の午後から水屋でお伝いをさせていただきます。翌20日は全国から参詣の門人の方々でたいへんな人数になることと予想されます。申し込んでも抽選に外れたと嘆かれるお声も多く聞かれます。せめて過去の記録なりとご覧頂き、ささやかなひと時をお過ごしいただければと、ブログを書くことにいたしました。

今日庵・宗旦忌2001年 2001年12月2日UP

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/2001soutanki.html

今日庵 宗旦銀杏のもとに 2000年12月3日UP

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/soutanityonomotoni.html

平成十五年十一月十九日
今日庵 宗旦忌   協賛席 志倶会担当

今日庵宗旦忌 そうたん狐が来たような 2003年11月 

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/2003.soutanki.html

2001年 10月 19日
千 宗旦は利休居士の孫。1658年12月19日没。
今日庵では毎年11月19日に宗旦忌が施行される。
その由緒ある 月命日の日に つつしんでUP。

椿わびすけのゲストギャラリー 「あなたと撮った茶のある風景」 

最終回 撮影者 千宗之若宗匠

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/guest.last.sen.html

この記録は過去にそれぞれアップしたものです。宗旦さまのこころに届きますでしょうか。

参考 禅と日本文化

http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/hpohta/fl-soutan/nenpu-soutan.htm

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2007年11月16日 (金)

スライドショー 2007年光悦会

11月11日から3日間、鷹が峰の光悦寺で、恒例の光悦会が開催されました。

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Img_2917kouetuji1
会記や席の様子などは後日にゆずります。昨夜とりあえず、写真だけアップいたしました。過去の記事も併せてご覧になれば、遠隔地の方々に雰囲気だけでもお伝えできましょうか。
光悦に関する拙文がIT新聞に掲載されたものを含めて、URLを出しておきますね。
◇ ◇ ◇
スライドショー 2006年光悦会
スライドショー光悦会  2005年
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2月3日は光悦忌
職人たちを育てた芸術村 本阿弥光悦

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2007年11月14日 (水)

親ばかのわたくしです ドラと過ごした日々

老いを敬います 茶室の道庫

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/09.23keirou.html

植物図1 ・ 酔芙蓉

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/dejikamenosyokubutuzu1.html

椿の花咲く家に

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/tsubakisakuie.html

雨の日のドラ

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/amenohinodora.html

ドラ梅雨の晴れ間に

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/doratsuyunoharemani.html

ドラ接写 2000年9月29日

http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/dorasessya.html   

タイトルに書きましたように、親ばかのわたくしです。これで思い出のページは終わりではないかと思います。 みなさま、長い間、おつきあいいただきまして、ほんとうに有難うございました。

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2007年11月 8日 (木)

ドラはコスモスの花に埋もれた後 真っ白いお骨になりました

最近の世相は、肉親間の虐待、殺人があとを絶ちません。弱い者を攻撃の対象として憂さを晴らすという非人間的な心理がじわじわと社会に浸透しているような恐怖を感じることがしばしばです。

かれらは、「無抵抗だから面白い」というのですが、これこそ「いじめ」の根源であり、それをやんわりとした態度でたしなめたのは落語に出る昔の「ご隠居さん」ほか、人生経験のあるお年寄りでした。ただ、今はそれを聞く耳をもたない世の中になってしまったのでしょうか。

獣医のS先生はご高齢ですが青年のような若さをお持ちの方です。先年、私は記事に書くために電話で取材させてもらったことがありました。もちろん無料です。こころよくご意見を述べてくださったのをさっそくまとめたものがIT新聞への初記事となり、初受賞となったことを忘れません。以下一部引用。

「専門家の意見を聞いてみたいと思い、飼い猫の主治医ともいうべきS獣医師に聞いてみた。S先生は京都府立医大出身の医学博士で、経験豊かな獣医師である。

 「私は、その事件を知らなかったので獣医仲間に尋ねてみましたがね。皆、猫が人間の足指を喰いちぎることはあり得ないというのが一致した意見でしたな。歯型が上下必ず残るので見れば判りますよ。狼の歯とは猫は違う訳で。、、、」

猫にかじられて足の指を失った記事について 

先生は信念をもって獣医の医療に当たられるドクターです。本来なら医大の研究室に残られるはずが開業医となられ、それも昔ながらの診療室で助手2名と先生を頼って来る患者の動物&飼い主を入念に診察され治療に当たれています。

どうも若い時分からややこしい人間世界に達観され、純真な動物にこころが動いたようです。いわゆる栄華を求める処世術は大嫌い。医院を大きくすれば患者さんに負担がかかるので小さいままで結構、とポツンと仰います。患者の数も多くないほうが有り難い、じっくり診療が出来ることが望ましいという信念ある先生を見ますと、動物だけでなく人間も見てほしいと思ってしまうのです。

先生の犬のお墓のある称念寺に今日はドラの遺体をかかえて行ってまいりました。華奢な女性のご住職が出てこられ、「猫たちといっしょに暮らしています」と微笑まれ、動物供養のお堂へ案内してくださいました。

浄土宗のお経をあげて供養をされたあと、北白川霊園を紹介されて私ども家族はタクシーで大津の境目の山深い坂道を通って火葬場に着きました。私が胸に抱えていたのは、ドラが時々入って遊んでいた小さい紙箱にいっぱいのコスモスの花々に埋もれたドラの遺体でした。

焼き場に運ばれた後、待つこと50分。別の建物に係りの方がお骨を運んでこられ説明を聞きました。点々と繋がる長い尾っぽの骨、背骨、手足、喉ほとけ、頭蓋骨。まっしろいお骨で芸術品のように見えました。それを白木の箸で丁寧に家族が骨入れに入れます。器は白いホーロー製で蓋をしたあと、金襴風の袋に収まり、合掌しつつ受け取りました。

係りの方は、丁寧な言葉遣いで、「ご遺体は十八年生きられたというには、しっかりとした背骨で砕けることもなくいい骨格だと思います」といわれ、ホロリとなりました。木のぼりをしたり、屋根に乗って自由に歩き回ったり、鼠もとってきたり、そんな気ままな暮らしが出来たからでしょうか。

白い毛がうす汚れてきても洗うでもなく、放っておいたのがよかったでしょうか。こんなに長生きしたことを感謝するばかりです。ご近所の方々にも蔭ながらお世話になりました。

お骨は自宅に持ち帰りました。仏壇の前の棚の上に塔婆とともに置かれています。お天気のいい日に、ドラが好きだった大木の根っこの土にお骨の一部を埋めてやろうと主人と話し合っています。

ドラ と 師匠の たいぼく

老境に入ったドラ

ドラの小さな秋

2000・12 へこ とこ ねこ

 

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2007年11月 6日 (火)

ドラは今夕 成仏しました

たくさんの見知らぬ方々から暖かいおことばをいただき、有難うございました。

今夕、居間のホームこたつの布団のなかから上半身を出して首をかしげたまま、ドラは息絶えておりました。一時の痙攣はございましたが、それほど苦しむこともなく、老衰によって天寿をまっとうしました。人間でいえば90歳にもなりましょうか。

老いは残酷というべきもので、元はきれいな顔をしていた猫でしたが同じ猫とは思えない変わりようでした。死臭に近いものが漂うのも現実のすがたです。ただ、厳粛に受け止めるほかないのでした。

けれども、尊いいのちであることには変わりがありません。表面的な変貌を遂げていても、ドラは成仏したのです。今は静かに微笑しているようにもみえるのです。

最期には、砂糖水をプラステックの注射器に入れ、口にそっと流し込んでやりました。数時間前にはそれをゴクンと何度も飲んでくれていたのです。でももう、水が口端から流れるだけになっていて…。

朝、おそるおそるドラを抱きますと、私の目をまっすぐに見て小さい声をあげて鳴いてくれたことが嬉しくてうれしくて。それから獣医さんの元に行きました。

「おお、生きてましたか。お茶で言う一期一会ですな。」

先生は点滴をされ、ひとこと仰ったのです。

「今日かもしれませんよ。」

先生の犬たちのお墓があるという旧いお寺に、先ほど、ドラの供養をしてもらうように連絡をとったところです。明後日、家族そろって遺体をお寺へ運び供養をしていただくことになりました。

そのお寺のご住職がいわれるには、「獣医科のS先生は本当にご立派な先生だとみなさんからお聞きしています」。その通りですとも!私たち家族はどんなに感謝しているかわかりません。

みなさま

有難うございました。私的なことで申し訳なく存じますが、取り急ぎご報告させていただきました。ドラの母より。

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2007年11月 5日 (月)

今日明日がヤマ わが猫の寿命

秋の好季節ということで、祝いごとが続きました。教え子の結婚式・披露宴からさる会社の70周年記念の祝賀会。招かれる身ととしては有り難いと思います。

ただ、わが家の猫が人間の年でいえば90歳前後の高齢で、最近とみに弱ってきました。老衰と諦めていたものの、ニャ~という声さえで出なくなりました。人間のぁ~という小さな声をあげる感じなのです。

水だけ飲んでなにも口にしません。骨と皮に痩せたこの子を胸に抱いて今日は思い立って主治医の獣医科へタクシーで行ってきました。これまではどんなに嫌っていた医院でしたが、もう抵抗する力もなくじいっとなすがままにしておりました。

「10ヶ月診ていませんよ。う~ん、ガリガリに痩せましたな。」

看護師さんが量りにかけると2,5キロになっていました。元気のいい時は5キロでしたから半分の軽さです。抱くと子猫だったころを思い出します。

尊敬するS先生は診察されながら、「今日明日がヤマですな。点滴をしておきましょう。」

体温が35度になって冷えていました。

「もう感覚がなくなっているので、充分暖かい部屋にいるようにしてあげてください」

「それから猫のきものは、フエルト地のあたたかい布で、手足が出るほどの穴をあけて背中でとめるものを作るといいですよ。これは洗いざらしですが」

と、一枚の布を下さったのです。ドラの最期の晴れ着になるのかと思うと先生のやさしさがありがたくて涙が出そうになりました。自宅に帰って居間の戸をしめきって猫といっしょにいます。これからきものを縫ってあげようと思います。

寿命と思えば諦めもつきますし、人間のように病院で人工呼吸器を無理やりつけられ、たくさんの管をつけて生きなければならぬ有様ではなく、自然の衰弱のまま、あたたかい居間で最期のときを送ることができれば恵まれたことかもしれません。

十九年近い年月、家族として大きい癒しを与えてくれたドラちゃん。苦しみの表情もありのままに出しておくれ。居間の中でオシッコとウンチをしておくれ。できれば好きだったお湯をピチャピチャと飲んでおくれ。

あるがままのドラちゃんがみんな好きなんですから。

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