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2007年11月 8日 (木)

ドラはコスモスの花に埋もれた後 真っ白いお骨になりました

最近の世相は、肉親間の虐待、殺人があとを絶ちません。弱い者を攻撃の対象として憂さを晴らすという非人間的な心理がじわじわと社会に浸透しているような恐怖を感じることがしばしばです。

かれらは、「無抵抗だから面白い」というのですが、これこそ「いじめ」の根源であり、それをやんわりとした態度でたしなめたのは落語に出る昔の「ご隠居さん」ほか、人生経験のあるお年寄りでした。ただ、今はそれを聞く耳をもたない世の中になってしまったのでしょうか。

獣医のS先生はご高齢ですが青年のような若さをお持ちの方です。先年、私は記事に書くために電話で取材させてもらったことがありました。もちろん無料です。こころよくご意見を述べてくださったのをさっそくまとめたものがIT新聞への初記事となり、初受賞となったことを忘れません。以下一部引用。

「専門家の意見を聞いてみたいと思い、飼い猫の主治医ともいうべきS獣医師に聞いてみた。S先生は京都府立医大出身の医学博士で、経験豊かな獣医師である。

 「私は、その事件を知らなかったので獣医仲間に尋ねてみましたがね。皆、猫が人間の足指を喰いちぎることはあり得ないというのが一致した意見でしたな。歯型が上下必ず残るので見れば判りますよ。狼の歯とは猫は違う訳で。、、、」

猫にかじられて足の指を失った記事について 

先生は信念をもって獣医の医療に当たられるドクターです。本来なら医大の研究室に残られるはずが開業医となられ、それも昔ながらの診療室で助手2名と先生を頼って来る患者の動物&飼い主を入念に診察され治療に当たれています。

どうも若い時分からややこしい人間世界に達観され、純真な動物にこころが動いたようです。いわゆる栄華を求める処世術は大嫌い。医院を大きくすれば患者さんに負担がかかるので小さいままで結構、とポツンと仰います。患者の数も多くないほうが有り難い、じっくり診療が出来ることが望ましいという信念ある先生を見ますと、動物だけでなく人間も見てほしいと思ってしまうのです。

先生の犬のお墓のある称念寺に今日はドラの遺体をかかえて行ってまいりました。華奢な女性のご住職が出てこられ、「猫たちといっしょに暮らしています」と微笑まれ、動物供養のお堂へ案内してくださいました。

浄土宗のお経をあげて供養をされたあと、北白川霊園を紹介されて私ども家族はタクシーで大津の境目の山深い坂道を通って火葬場に着きました。私が胸に抱えていたのは、ドラが時々入って遊んでいた小さい紙箱にいっぱいのコスモスの花々に埋もれたドラの遺体でした。

焼き場に運ばれた後、待つこと50分。別の建物に係りの方がお骨を運んでこられ説明を聞きました。点々と繋がる長い尾っぽの骨、背骨、手足、喉ほとけ、頭蓋骨。まっしろいお骨で芸術品のように見えました。それを白木の箸で丁寧に家族が骨入れに入れます。器は白いホーロー製で蓋をしたあと、金襴風の袋に収まり、合掌しつつ受け取りました。

係りの方は、丁寧な言葉遣いで、「ご遺体は十八年生きられたというには、しっかりとした背骨で砕けることもなくいい骨格だと思います」といわれ、ホロリとなりました。木のぼりをしたり、屋根に乗って自由に歩き回ったり、鼠もとってきたり、そんな気ままな暮らしが出来たからでしょうか。

白い毛がうす汚れてきても洗うでもなく、放っておいたのがよかったでしょうか。こんなに長生きしたことを感謝するばかりです。ご近所の方々にも蔭ながらお世話になりました。

お骨は自宅に持ち帰りました。仏壇の前の棚の上に塔婆とともに置かれています。お天気のいい日に、ドラが好きだった大木の根っこの土にお骨の一部を埋めてやろうと主人と話し合っています。

ドラ と 師匠の たいぼく

老境に入ったドラ

ドラの小さな秋

2000・12 へこ とこ ねこ

 

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コメント

わびすけ様
ご無沙汰して失礼しております。
今日、久しぶりにここに訪れて
ドラちゃんのことを知りました。
先ほど、こちらの文章を読み
涙が流れて止まりません・・・
ドラちゃん、幸せな一生でしたね。
わびすけ様も、ドラちゃんにどれだけ助けられ
癒されたのでしょうね。
お心お察し申し上げます。
わびすけ様のお心もゆっくりと
回復されますようにお祈りしております。

投稿: りえこ | 2007年11月17日 (土) 01時14分

おやさしいおことばをいただきました皆様
ただいま、旅先からお返事の書き込みをしております。

主人からは飼い猫の死ということについて、世間では人間が葬式費用に事欠き悲惨な事件になったということもあるので、あまりプライベートなことに触れないほうがいいだろうと注意を受けました。確かにその通りで保険所等の機関で公的な殺処分を受けている犬猫が毎日夥しい数にのぼるという現実をみないわけには参りません。でも家族の一員となっている動物もあることをありのままに書きました。ご不快に思われた向きにはお詫び申し上げます。すべての心ある生き物の共栄共存を願っていることはご理解くださいますよう!

投稿: tsubakiwabisuke | 2007年11月11日 (日) 14時13分

生まれて初めて京都に行きました。ちょうどそのころ、ドラちゃんを見送っていらっしゃったのですね。これから京都に行くたびにこの日を思い出すと思います。

ドラちゃんの残してくれた20年の思い出は、これからもきっと心の中に生き続けるのだと思います。ドラちゃんもきっとわびすけさまとの思い出を大切にしつつ、新たなる旅に出たと思います。成仏というのは、残されたものには辛いのだと察しています。

投稿: ルソン | 2007年11月 9日 (金) 21時40分

ドラちゃん、どうぞ、ゆっくりお休みください。

10年ほど前に、我が家の犬を見送ったときのことを思い出します。叔父の家の裏山に、家族で埋葬しに出かけました。

犬の身ではありますが、ドラちゃんがいらしてくださって、仲良くしてくださることをきっと待っているように思います。

投稿: 甘党 | 2007年11月 9日 (金) 11時05分

うちの愛猫ブルーもインドのガートで夕闇に紛れお花と一緒に焼いてもらいました。木に火をつけるのは私です(人間だと長男の役目です)。焼けた木に混じったお骨を最後の一つと思うまで拾いました。火加減できないのでこげた骨を探すのが難しく、そこで働くインド人が一緒に探してくれました。彼らは簡単に見つけます。彼らはこういうお骨のことを’フール(=花)’と呼ぶのだと教えてくれました。あちらではフールは家の中に入れてはいけませんが、ブルーは一緒に帰国して今も一緒です。S先生のような方がいらっしゃればふさわしい治療を受けることができたでしょうにと思います。
本当は動物はガートで焼いてはいけませんので、あの場所で助けてくれたインドの方々に深く感謝しています。
ドラちゃんのご冥福を心よりお祈りいたします。

投稿: まー | 2007年11月 9日 (金) 10時01分

ドラちゃん幸せな一生だったのでしょうね。 どこかでコスモスの花を見たら、きっとドラちゃんを思い浮かべると思います。 ドラちゃん、もう私の心の中にもしっかり入り込んでしまったようで、、、。  

投稿: みこふ | 2007年11月 9日 (金) 03時23分

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