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2008年1月の記事

2008年1月26日 (土)

公共の言論機関における誤記 広辞苑の他にも

 最近、権威ある大手出版社で誤記があることが発覚し、マスメディアで取り上げられている。50年もの間、誤記が問題になることもなくまかり通っていた訳である。それを各新聞者が同じ論調で報道しているが、もとはといえば、この誤記に気付いた人物にスポットを当てるべきではなかろうか?

 大手メディアはいずれも後追い記事である。しかも最初に報じた新聞社の名を上げていない。これを客観的に論じているのは、インターネット新聞社JANJANであった。



 「岩波書店は、誤りを【外部から指摘された】(毎日)と説明している。この問題をはじめに報じたのは全国紙ではなく、20日付の『神戸新聞』のようだ。内容も緻密で一読の価値がある。」

参照:
「広辞苑」誤記見落とし半世紀 芦屋の解説、実は須磨(神戸新聞WEB)

 地方新聞といえども、都市新聞各社が後追い記事を出したのとでは全く値打が違うと思うのである。



 読者は権威ある広辞苑に間違いは無いと思い込んで利用して来たのだと思う。しかし、出版社の校正の仕事としてしてはチェックが甘い。外部からの声があったとしても取り上げることはしなかったのだろう。

 人間のすることである以上、すべて不完全である。ただ、その事実を謙虚に認め、いかに対処するかで展望もひらけてくるだろう。しかし残念ながら現実は、あらゆる誤記が公共の言論の場で訂正されることなく、まかり通っているのである。

 昔から「話半分」といわれているが、それは物事には懐疑的な目も必要だという知恵を教えているのである。自分で体験したことには絶対的な信頼をおいて差し支えないが、他からの伝聞には一応用心したほうがいい、ということなのだろう。



 私がかつて編集した記事のなかに、同一の問題を提起された著名人の方があった。鈴木大拙の厚い信頼を受けておられた北鎌倉、東慶寺の井上禅定師である。かの鈴木大拙でさえ、記憶違いから後世に残る誤記を、訂正の機会も無いままに残されたという内容である。

 夏目漱石が釈宗演老師の原稿の英文に朱を入れたことがあったという一事は事実ではなかったと、検証をもとに明らかにされた。

 しかし、もう後の祭りなのであった。鈴木大拙の言として『夏目漱石と帰源院』( 鎌倉漱石の会発行 )にも取り入れられ、漱石研究家の江藤淳までそれを事実として『漱石とその時代』第一部に執筆した。

さらに、その誤記の部分が世間一般に流布し既成事実となってしまっているのだ。

参照:
歴史の町-鎌倉と川越円覚寺6
金子務公式ページ

 禅定師は、「大拙居士の私宛の書簡に、『歴史の「事実」なるものは、、、大率あてにならぬと見ておくべきでせう』とあるのが実際である」と書かれている。まことにそれは真実であると思う。

関連リンク:
鈴木大拙と夏目漱石のこと(井上禅定、拙サイトへの特別寄稿)

拙稿は、インターネット新聞JANJANの連載コラムとして、掲載されています。http://www.news.janjan.jp/column/0801/0801259532/1.php

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2008年1月21日 (月)

『御仏にいだかれて』中宮寺門跡歌集 最後の編集委員会

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昨年、師走の暮れに日野西光尊門跡から編集委員への慰労会が催されました。昨年一月からはじまって都合十数回の編集会議を重ねて、9月に上梓した、『御仏にいだかれて』中宮寺門跡歌集の最後の会合となりました。

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北野天満宮宮司の浅井先生、冷泉様、その他なつかしいお顔が並びます。編集委員ではないのですが、お骨入り頂きました思文閣出版の長田様もほろよい機嫌のようにお見受けいたします。妙蓮さんというご門跡の愛弟子の方は野の花のように可憐なお嬢さんです。   

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私がカメラを操作していますと、すごいカメラですねえ、と興味をもたれたバーテンの若い男性もつい被写体に。最初は室内光のもの。もう一枚はストロボで撮ったもの。さて、どちらが面白いでしょうか??

宮中の歌会はじめのような和歌の節回しで、ご門跡を寿ぐご自身の歌を直立不動の姿勢で、朗々とよみあげられた92歳の浅井様。しみじみと有り難い思いに浸りました。

ご門跡様からはご染筆の色紙が編集委員へ贈られました。各人の希望の語句をお書きくださったもので、私は「拈華微笑(ねんげみしょう)」をお願いしておりました。釈尊の説法といいますより、中宮寺観世音菩薩の微笑を思い浮かべてのことでございました。

ありがとうございました。

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2008年1月16日 (水)

神坂雪佳の光琳風つばき

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京友禅はいま難しい時代にさしかかっています。人々の和装離れと価格の高騰が悪循環のようになり、京都の町を歩くきもの姿の人々が少なくなりました。けれども、神坂雪佳の名は画家・工芸・デザインと明治から昭和にかけて京都の華ともいうべく大きい足跡を残しました。タカシマヤで昨年の二月、上品(じょうぼん)会の招待展示に寄せて貰いました時、雪佳さんの原画をもとに作られた訪問着に魅了されてしまいました。カメラにおさめた画像がございますので、三枚とも大きいサイズのまま、アップいたしましょう。クリックしてご覧くださると拡大いたします。光琳風のつばきと梅が描かれているのがお目に入るでしょう。

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神坂雪佳、本名は神坂吉隆(1866~1942)、京都で出生。

2001年には、エルメス社が発行したカタログの表紙を飾り巻頭記事となるなど、日本の画家として気を吐いています。京都・琳派の伝統に基づきながらアールヌーボーに通じるモダンな作風、いまや世界で注目をあびている多彩な人物なのです。画家、図案家としては和装のデザイン、漆器など工芸の意匠。教育者としても京都市立美術工芸学校の教師を勤め人材の育成に寄与しました。また、光悦会の創立にも関わったと聞けば、茶道美術にも当然造詣が深かったことが理解できるのです。

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いかがでございましたか。

こうした着物をお召しになってご覧になるのも…なんて無責任なことを言ってみましょう。

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2008年1月13日 (日)

京都、大会新で4連覇! 全国女子駅伝と初釜 

京都、大会新で4連覇。日曜日のテレビニュースがとびこんできました。 

「第26回全国都道府県対抗女子駅伝(日本陸連、京都新聞社主催、NHK共催)が13日、京都市右京区の西京極陸上競技場を発着点とし、左京区の京都国際会議場前で折り返す9区間42・195キロのコースで行われ、2区で首位に立った京都が3区以降独走し、2時間14分58秒の大会新記録で4年連続12度目の優勝を飾った。.
4連覇は6回-10回大会で京都が5連覇を飾って以来。」

じつは、昨日にご宗家の初釜式に参りました。そして今日は全国女子駅伝。ねずみ年に京都が大会新で4連覇!

ちょうど六年前のことを思い浮かべております。あれは、うま年でした。

2002年1月13日 初釜のことを拙サイトに書かせていただいているのですが、その時もやはり全国女子駅伝は京都優勝。幸運な巡り合いなのですね。
第20回全国都道府県対抗女子駅伝で6年ぶり8度目の優勝を遂げた京都 府チーム、といいますからその後メキメキと力をあげたようです。
喜びを全身にあらわしてゴールに入った選手のたくましくも可憐なすがた。
きのうの初釜の喜びとともに、幸先のいい今日の一日でございました。

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2008年1月11日 (金)

新宿区歴史博物館で広報の方から

思いがけなく広報課のご配慮で、当日の写真をお送りいただきました。

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漱石山房の模型も、新宿区に生まれた文学者の展示も 非常に魅力的なもので、興味は尽きませんでした。

区長さんと 課長さん、若い学芸員の方、広報の寺田さん、ご親切な対応に感謝申し上げます。

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2008年1月 9日 (水)

漱石の親友 天然居士・米山保三郎

学生時代の夏目金之助に作家になることを勧め漱石が彼の言葉に痛く動かされた人物・米山保三郎のことはよく知られています。ただ、これまで研究者の中で誤解があり、漱石の語句の解釈に問題があるまま流布されたきたのが現状です。

「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋を食い、鼻汁を垂らす人である」

焼き芋と鼻汁を垂らす、これは禅の歴史に実在した中国の禅僧・懶さん(王ヘンに賛)和尚の故事から来る引用なのでした。漱石は畏敬する親友の米山保三郎へ深い愛情と禅に生きる彼を讃える意味で書いたものでしょう。しかし、世間一般ではなかなか通用しない事も充分知っていました。そうであるからこそ、『猫』のなかで次のように書いているのです。

「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋を食い、鼻汁を垂らす人である」

苦沙弥先生、一気呵成にこう書き流し、声を出してこれを読み、「ハハハ面白い」と笑うが、「うん。鼻汁を垂らすはさすがに酷だ、焼き芋も蛇足だ」と線を引き。結局「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」だけにしたころで、これではあまりに簡単すぎると全部ボツにして、原稿用紙の裏に「空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士、噫」

実際、漱石はこの米山の兄、熊次郎から実弟の写真へ揮毫を懇望されて、漱石は俳句を書いています。その俳句とは、

空に消ゆる鐸のひびきや春の塔 という追悼の一句です。親友の死を悼む漱石の心情があふるるばかり、見事な名句と思います。写真は400X300mm、単身像の右側にこの句があり、左にこう記されています。

空間を研究する天然居士の肖像に題す 己酉 四月 漱石

,己酉,となれば、1909年、明治四十二年です。漱石が朝日新聞社に入社して2年目の四月に詠んだものと明確に判るのが嬉しいところです。また、米山が鼻水を垂らすの表現がとかく世俗的に解釈され、漱石がいかにしてこの語句を入れたかということは研究者の間でないがしろにされて来ました。しかし、漱石がただ、ユーモラスにこんな語句を入れるはずはないのです。洟を垂らそうが自分は三昧になっているのだという仏道の修行による逸話なのです。

出典もありますから、その引用もしておきましょう。『碧巖録』第三十四則より

「懶瓚和尚。隱居衡山石室中。唐德宗聞其名。遣使召之。使者至其室宣言。天子有詔。尊者當起謝恩。瓚方撥牛糞火。尋煨芋而食。寒涕垂頤未甞答。使者笑曰。且勸尊者拭涕。瓚曰。我豈有工夫為俗人拭涕耶。竟不起。使回奏。德宗甚欽嘆之。」

(懶瓚和尚、衡山石室の中に隱居す。唐の德、宗其の名を聞いて、使を遣して之を召す。使者、其の室に至つて宣言す。天子詔有り、尊者まさに起つて恩を謝すべし。瓚、まさに牛糞の火を撥つて、煨芋を尋ねて食す。寒涕、頤に垂れて未だ甞て答えず。使者笑つて曰く、且らく勸む、尊者、涕を拭え。瓚曰く、我れ豈に工夫の俗人の為に涕を拭くこと有らん耶といつて、竟に起たず。使、回つて奏す。德宗、甚だ之を欽嘆す。)

私は嘗て東慶寺の井上禅定和尚様から分かりやすいお話を聞いておりました。

昔、中国の偉い坊さんがあって皇帝が先生になってくれって勅使を迎えに遣るんだ。当時の中国では牛の糞の乾いたのを焚き付けにしてその牛糞の火の中へ芋をいれて焼いている処へ勅使が来た。らいさん和尚は牛糞の中から芋を掘り出して勅使に食えって云うんだ。勅使が見るとこの和尚、鼻水を垂らして下顎まで延びている。それを勅使は「まあ、洟を拭きなさいと云ったんだ。

なんだ、お前はそんな事で来たのか、勅使としておれを迎えに来たのではねえのか。おれが洟を垂らしていようがそんな事どうでもいい事だ、おれは三昧になっているんだ。っていう面白い問答があるんだよ。それを元にして漱石は「焼き芋を食らい、鼻汁を垂らす」てな、昔の懶瓚和尚がやったという事を思い出して書いているんだけれど、猫に笑われるから消しちゃうんだ。」(鎌倉漱石の会会報所載)

やはり禅定様の仰ることは納得のゆくものですね。

念のために付記しますと、漱石の友人で円覚寺・釈宗演の師である今北洪川について参禅をし、居士号を与えられた逸材が二人いました。無為という居士号は菅虎雄、天然の居士号は米山保三郎でした。米山は不運にも若くして病死したのでしたが、彼の伝記を漱石が書くという計画もあったと狩野亨吉は書いています。漱石がもう少し生きていたらなば実現したかも知れないのですが…。

風邪の季節ですから、どうか皆さまもお気をつけられますように。

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2008年1月 2日 (水)

失敗を悔いてはいません

みなさま、新年のご挨拶を申し上げます。

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旧冬になりますが、大徳寺利休忌の今日庵当番にあたり、淡敬会が副席をかけさせていただきました。その日水屋仕事の合間に撮影したと思っていたのですが、誤って動画モードにしていたのに気付いたのが後の祭り。アップするには画像も荒くそのまま非公開にしていたのです。ただ、あまりにもブログが殺風景ですので茶席の画像でもご覧いただきましょうか。

会記があるものの読みにくくてどんなに目がいい方でも無理というものでしょう。

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たばこ盆の火入れ、見覚えのある方がいらっしゃるのではないでしょうか。宗旦三百五十年遠忌の記念品に頂戴した大樋焼の一品でした。

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利休好みの三重棚。玄々斎はこの棚から更好棚を考案されたようですね。

長老と申し上げればしかられそうな、むらじ先輩。

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岩倉焼の菓子器

033soba 028kaiki 029iwakurayaki 030natsume席もおひらきになり、役を終えた床の花がひっそりと…。

これから道具当番の方々は荷物をかかえ帰途につくのです。

私は点前を一度いたしました。身体のリハビリになると自分で言い聞かせて。でもお客様からすれば迷惑なことかもしれません。2007年11月28日の大徳寺利休忌副席のようすでございました。

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