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2008年4月15日 (火)

漱石句碑の駒札が建ちました

四月十二日、京都市中京区木屋町御池東入る、、、今なら御池大橋西詰め南側というほうが分かりやすいでしょう。えっ、なんのこと?ですかぁ~~。まあ、これをごろうじろ。

漱石の句碑前で追善供養      
中京で文化人ら50人
  

(京都新聞夕刊 4月12日)

翌13日朝刊には、読売、朝日、毎日、産経の四紙が、ちがった角度から書かれた記事を掲載していました。

読売

http://osaka.yomiuri.co.jp/kyoto/news/20080413kn04.htm

写真をクリックすると拡大します。読者からこの写真は評価が高いようです。遠く山のすがたも風情がありますね。

毎日

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080413-00000266-mailo-l26

朝日と産経の記事はウェブにアップされておりません。新聞紙上地域版のみとなります。

★追加

産経新聞 朝刊
平成20年(2008年)4月13日 日曜日

画像は表示されません。

漱石の句碑の横に立てられた駒札の前で供養に臨
む   伊津子代表(右) =京都市中京区
:.……..… ……………………………▼,・………・・………
漱石句碑前に新駒札
フアンの会発足、除幕、
夏目漱石の愛好者らでつくる「京都漱石の會」の第一回例会が12日、京都市中京区の御池大橋西詰にある漱石の句碑前で開催され、漱石と京都の深いかかわりについて記した新しい駒札が除幕された。
同会は、昭和42年4月に漱石の句碑を建立した漱石ファンの会が活動を終えたため、新たな活動の場を設けようと茶道家が中心となって発足させた。
例会には丹治さんのほか、門川大作・京都市長ら約50人が出席、供養の法要も営まれた。
駒札には、漱石が「虞美人草」執筆などのため生前4度にわたって京都を訪れたことや、漱石の旬にまつわるエピソードなどが記されている。
丹治代表は「句碑が建てられた後、忘れられたように横たわっていたのを何とか知ってほしいという一念が会の発足につながった。
漱石先生、私たちはいつもあなたとともにありたい」とあいさつした。

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スライドショー こま札が建つまで 京都漱石の會

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コメント

遅ればせながらコメントさせていただきます。
大変に素晴らしい会にお声をかけていただき、御礼申し上げます。
5月のGWに実家に(また?)帰りまして
相方くんを句碑に案内いたしました。
駒札が立つまでを拝見する事ができ、ありがとうございました。
これから拙ブログにわびすけさまの記事を僭越ながらアップさせていただきます。

投稿: 宗恵 | 2008年5月12日 (月) 10時52分

dozie様
はじめまして。岡山と漱石との由縁をお教えいただき感謝しております。ご研究は長きにわたり岡山の漱石を辿られるご努力に敬意を表します。HPには多くのものを学ばせて頂きました。あつく御礼申し上げます。

ミモザ様
当日は親しくお話もできないまま失礼いたしました。懇談会でのミモザ様のお話もたのしく思い出しております。いろいろと活動的に漱石を楽しまれている代表選手の風格あり。今後とも変わりませずご叱正くださいますよう!

ハレのはは様
いつも心から至らぬ私を励まし助けてくださっているお方。感謝あるのみでございます。

ふみこ様
はるばる東北からお出かけ頂きました事、お友達とごいっしょに和やかな雰囲気のふみこさんのお姿は今もはっきりと心に留めております。式典の時は私の後方の椅子に腰掛けていらっしゃいましたね。懇親会の席上にお隣にいらした私の友人の仰るには、「東北からいらした知的な礼儀ある方々に感銘しました」と。私もとてもうれしく聞くお話でした。

さんご様
いつも拙サイトをご愛顧いただきましてお礼の申しようもございません。お弟子さんがたのお稽古は順調にいっていらっしゃることでしょう。さんごさんはご存知の私のオリジナル「蓮の実じょうよう」のお菓子を今回もお出しいたしました。今回は実が少し飛び出してデベソみたいな感じで笑ってしまいました。

投稿: 椿 わびすけ | 2008年5月10日 (土) 19時01分

みなさま

お心こもるご祝辞を頂戴して恐縮しております。有難うございました。

今朝、ハワイ在住のドクターごろさんからメールが到着いたしました。ごろさんは外国でも日本のネットでも有名人のようです。

「侘助様、

マレーシアの大学に出稼ぎに行ってましたので昨日メールを拝見しました

漱石の碑の銘板が侘助様のご尽力で京都に、素晴らしい事ですね。
写真の空色の和装は詫助様でしょうか

マクレーンさんもお喜びでしょう、丁度立ち寄った成田空港でマクレーンさんの「漱石夫妻、愛のかたち」を買って参りました

菫を植えられたとか、「菫ほどの小さき人に生まれたし」ですね

今度京都に行ったら早速尋ねさせて戴きます
どうぞお元気で

ハワイ ごろさん 」

投稿: 椿 わびすけ | 2008年5月 6日 (火) 13時12分

ミモザさま

こちらこそ、楽しい情報を有難うございました。
「東京少女」私も早速、研究?してみます。
宮田時次郎ってなんともいえない名前ですが、何かありそう・・
また色々お教え頂ければ、嬉しいです。

投稿: ハレのはは | 2008年4月29日 (火) 16時00分

ハレのははさま

早速お答えくださってありがとうございました!
『鹿男あをによし』でしたか!―――名前は聞いたことがありますが、ドラマを見てはいなかったです。
すぐフジテレビの、その番組のサイトに行ってみて、あらすじなど読んでみましたが、本当に、『坊っちゃん』や『三四郎』に似せているところがありますね。そうして、奈良の美しい自然や歴史ある建造物と共に展開される奇想天外、荒唐無稽な物語―――ご覧になっていて、楽しかったでしょうね。

ところで、今全国で公開中の映画『東京少女』は、平成の現代の高校生の女の子がなくしたケータイが、明治45年の夏目漱石の弟子の宮田時次郎の手に落ち、なんでそうなったかはわからないが「平成」と「明治」という時空を超えてケータイ電話が繋がる―――のだそうです。「決して逢えない二人。ケータイの向こうは100年前のあなた・・・」というキャッチフレーズで売っているようです。
いろいろ考えるものですねえ。これ以上のことは映画を観ていないので不明ですが、この漱石の弟子の宮田って、誰をイメージしているのでしょうか??? 面白いですね。

若い作家さんたちが、漱石に興味を持ち、取り上げてくれるだけで、漱石ファンの私は嬉しく思います。
教えて下さって、ありがとうございました!

投稿: ミモザ | 2008年4月29日 (火) 01時18分

ミモザさま

お返事が遅くなりました。
オマージュというと大げさかもも知れませんが
万城目学・著 「鹿男あをによし」です。

ストーリー自体は奇想天外なオリジナリティー溢れるものなのですが、
地方の高校に赴任してきた新人教師が主人公で、
回りの先生方が「坊ちゃん」を髣髴とさせる面々なのです。
(今どきマドンナと呼ばれていたり)
TVドラマを作られたほうも、それがよくわかっておられたようで
教頭先生(児玉清さん)が何時もピンクのシャツを着ておられたり、
原作には出てこない主人公の名前が小川(「三四郎」)だったり・・
聞く所によると、作者は漱石先生を尊敬しておられるようでした。

今流行の京大出身作家お二人(万城目さんと森見登美彦さん)のお一人、
一昔前の、同校出身の芥川賞作家、平野さんとは全く違った軽いノリですが、
なんのなんの、私の勉強不足・・奥深いのでした。

私は何も知らずに原作を読み、ドラマも充分ミーハー気分で楽しみましたが、
後から色々教えてもらい、感心したことでした。

わびすけ先生の「京都漱石会」の立派な内容と一緒にお話しするのも気が引けますが、
一寸一息・・という時に、どうぞ。

また京都にいらしてくださいね。

投稿: ハレのはは | 2008年4月23日 (水) 23時18分

わびすけさま
京都漱石の会、私も友人二人と共に参加いたしました。
都をどりや美しい舞妓さんのお点前を楽しみ桜橘庵での懇親会に臨みました。さすが皆さん漱石研究家、充実した時間を共に過ごすことができました。
わびすけさまとお会いすることを目的として参加した不届き者でしたので、桜橘庵では小さくなっておりました。

準備、連絡等ほんとうにお世話になりました。  ふみこ

投稿: ふみこ | 2008年4月21日 (月) 14時55分

京都漱石の会の記念すべき第一回目の会に、東京から漱石ともだち2人と行って来ました。
京都漱石の会は、京都らしく、またわびすけさま主催の会らしく、お抹茶も点てていただいてお茶席のような雰囲気でしたが、そこにお着物のわびすけさまが座っていらっしゃると、本当にビシッとキマッテいらして、お美しかったですよ~。ご参集の方々のお話も興味深く、楽しかったです。
この駒札も、しっかり見て来ました。
ついでに、枝垂桜満開の京都を満喫して帰宅しました。

ところでハレのははさま
>漱石先生の作品のオマージュになっていた
>最近TVドラマにもなった若手有名作家さんの小説
って何ですか?
最近テレビドラマもほとんど見ず、若手作家さんの小説も読まない、流行遅れの私は全く知りませんでした。
よろしければ、どうぞその小説名を教えて下さいませ。
漱石作品のオマージュとお聞きしたとたん、俄然興味が湧いて読んでみたくなるという、漱石オタクの私でスミマセン。

投稿: ミモザ | 2008年4月20日 (日) 00時42分

駒札が建つまで、興味深く拝見いたしました。
以前は植え込みに埋もれて、前を何度通り過ぎても
気付かないような状態でしたので、
綺麗に整えられた植え込みと、立派な駒札にびっくり。
句碑が命を吹き返した感じで、とても嬉しくなりました。
造園の方々のご尽力もよくわかる貴重なスライドショー、
有難うございました。

最近TVドラマにもなった若手有名作家さんの小説が、
実は漱石先生の作品のオマージュになっていたと知り、
時代を超えて生き続ける漱石作品のすごさを
あらためて思ったことでございます。

投稿: ハレのはは | 2008年4月19日 (土) 00時54分

はじめまして、

京都漱石の会発足の記事、
拝見しました。

1892年の京都初訪問では、その後、
大阪・神戸経由で岡山に向かい、
1ヶ月あまり逗留しております。

児島湾で舟遊び
吉井川で蛤採集
子規落第の手紙届く
旭川氾濫による大洪水に遭遇
などのエピソードがあります。

記録も記憶も失われつつありますが、
微力ながら、現地調査を続けています。
滞在先の旭川西岸には「夏目漱石逗留の地跡」
の説明板があります。

岡山御訪問の機会がございましたら、
御覧下さい。

http://www.geocities.jp/tqhdh168/saphieSOUSEKIOKAYAMA.html


投稿: dozie | 2008年4月18日 (金) 16時03分

京都漱石の会発足おめでとうございます。
12日の各新聞の記事を読ませていただきました。駒札の建つまでのお写真のスライド写真も拝見いたしました。
わびすけ先生はじめ皆様のお力のおかげと思います。どうもお疲れさまでございました。これからの御活躍をお祈り申し上げます。

投稿: さんご | 2008年4月17日 (木) 22時56分

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