文化・芸術

2010年3月20日 (土)

花の保津川下りと「夏目漱石の京都」講演会

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京都漱石の會お気に入りのピチピチ若い京おんなイラストレータ・千夏ちゃんが今回もステキな作品を描いてくださいました。嵐山の上流、保津川下りの船着き場です。これから急流の川を、船頭さんの巧みな竿さばきで、嵐山まで運んでいってもらうのです。

猫だけではございません。人間たちも楽しんでハイ!出発で~~す!

詳しくはこのお知らせをご覧あれ。

http://kyotososeki.at.webry.info/200912/article_1.html

じゃ、吾輩も乗ってみるかと思われる方があればただ今申し込み受付中!

午前と午後の講演会も地元と東京の著名な講師の面白いお話をお楽しみいただけます。

漱石先生をお好きな方だけでなく、亀岡の桜の川下りを満喫しようという風流に興味のある方ならすべてオーケーです。若冲デザインの布地や明治大正のきものコレクションも「渡文」(わたぶん)の特設会場で展示されています。漱石の時代がよみがえるかもしれません。

わびすけの下手な言葉より、百聞は一見にしかずと申します。ご予約はお早めに。

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2007年2月14日 (水)

炉には、地摺り(じずり)の羽を

茶道には炭点前というものがあります。
炭点前には、風炉と炉とそれぞれ手前と用具の使い方に違いが出てまいります。

羽箒(はぼうき)は、鳥の羽で作られたものを清める茶の用具です。古くから鳥の羽は塵埃(じんあい)に染まらない清浄なものとされました。炭点前の際、風炉の場合と炉の場合、羽箒も作り方が変わります。


さて、今は炉の時期ですから皆さまは炭点前をなさる時、羽箒はどのようなものかご存知でしょう。炉縁(ろぶち)から五徳、畳、さらに席中を掃き清めるのに使用されるのをご覧になっていることと思います。


ここに茶道の古典である『凌雲帳』を、ご紹介させていただきます。表千家の貴重な書物で裏千家の点前も共通するものです。

小西酒造株式会社運営のウェブサイトより引用。
凌雲帳 地の巻

「一 羽箒(はぼうき)

 羽箒(はぼうき)には、左羽(ひだりばね)、右羽(みぎばね)、双羽(もろは)、掃込(はきこみ)の四種あり。

 羽(はね)は鶴(つる)、雁(がん)、鷲(わし)、梟(ふくろ)、野雁(のがん)、等を用ふれども、鶴を最上とす。

 野雁(のがん)は臺子に必要なり。掃込(はきこみ)は白鳥(はくちやう)を用ふ。羽箒は總て新しきがよし」


 右羽(みぎはね)は風爐の本勝手、爐の向切(炭の逆勝手)に用ふ。

 左羽(ひだりばね)は爐の本勝手、臺目、隅爐、逆勝手及風爐の逆勝手に用ふ。

 双羽(もろは)は中央の羽にて、左右廣狹(こうきよう)なきものなり爐、風爐、左右何れにも用ひ得るものなり。

 掃込は運び點前に限り用ふるものにて、左右二つあれども、左右の勝手、爐、風爐共右羽のみを用ひ、羽の兩側を用ひて差支なし。

 男女共炭點前の後には必ず、使用した疊の上を膝をついて掃き込むべし。但し蹈込(ふみこ)み疊と道具疊とを合せて、一間半以内の席のみに用ふ。


 羽箒(はぼうき) まとめ

●炉縁の周囲、炉壇の上、五徳の爪や風炉などを清めるために掃くもの。

●三つ羽と一枚羽がある。一枚羽は真の羽箒として、炉、風炉共に使用。

●三つ羽は行・草に。炉用は左羽(向って左が広い)もの。風炉用は右羽(向って右が広い)ものを使用する。
 

風炉用、炉用、裏千家では利休道歌にあるものが踏襲されています。先ず、炭点前に関する利休道歌を見てみましょう。




炭置くはたとへ習ひにそむくとも
          湯のよくたぎる炭は炭なり

客になり炭つぐならばそのたびに
          薫物などはくべぬことなり

炭つがば五徳はさむな十文字
          縁をきらすな釣合をみよ

焚え残る白炭あらば捨ておきて
          また余の炭を置くものぞかし

炭おくも習ひばかりにかかはりて
          湯のたぎらざる炭は消え炭

崩れたるその白炭をとりあげて
          又焚きそへたることはなきなり


風炉のとき炭は菜籠にかね火箸
           ぬり香合に白檀をたけ

風炉の炭見ることはなし見ぬとても
          見ぬこそ猶も見る心なれ

客になり風炉のそのうち見る時に
          灰崩れなん気づかいをせよ



客になり底取るならばいつにても
          囲炉裡の角を崩し尽すな

炉の内は炭斗瓢柄の火箸
          陶器香合ねり香としれ

いにしへは名物などの香合へ
          直にたきもの入れぬとぞきく


羽箒は風炉に右羽よ炉の時は 左羽をば使ふとぞ知る


ありました、ありました。「風炉に右羽 炉の時は 左羽」 ですね。

さて、その心は。

その意味がなんのことかわからしませんでした、私には。

右が広い羽のほうが風炉の場合。左がせまい羽箒が炉用にと決められていますね。
私はこのことが分からないままでしたが、今日、ご宗家の稽古で寺○業躰先生に質問して一つの解答をいただいたのです。

86歳の最長老の先生ならではの、貴重なおことばでした。

「あのなあ、鳥に聞いてご覧。」

「鳥のことばがわかりませんので、寺○先生から聞きたいですね。」

「鳥が羽ばたいてる羽を見てみ。上に広げてるのが広い羽やろ。
下、地面に摺れている羽は狭いところや。それを地ズリの羽というたもんや。
ジズリの羽は強いし、だから炉は地摺りの羽箒を使えと昔からいうたもんなんや。」


ということでございました。忘れない内に覚書としてしたため、ご披露いたしますね。


今日は次の間で大炉のお稽古。私はしんがりで薄茶をさせていただきました。

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2007年2月13日 (火)

タカシマヤ 第五十五回上品(じょうぼん)会

高島屋から、「上品(じょうぼん)会 特別ご内覧々会」の案内状が来ました。ここ数年、自分には無縁のせかいなどと思い込んで行かないことが多かったのです。でもまあ、目の保養をさせてもらうのもいいかと、一人で出かけてスナップをパチパチ。ごめんやっしゃ。
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京都の大きいホテルは経営がよその資本へ移行してしまいました。ウェステン都ホテル、今日はここで、「第55回記念 高島屋 上品会」が開催されたのです。このあと、全国各地で巡回される予定と聞いております。雰囲気なりとチラリ、ご覧いただきましょう。
京都の大きいホテルは経営がよその資本へ移行してしまいました。ウェステン都ホテル、今日はここで、「第55回記念 高島屋 上品会」が開催されたのです。このあと、全国各地で巡回される予定と聞いております。雰囲気なりとチラリ、ご覧いただきましょう。

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高島屋資料館(大阪)には、日本の名画が収蔵されており、美術部創設のころの名画を今回、同人名家がしのぎを削ってきものにうつしたものが展示されました。

● 原画作家

 「世界三景 雪月花 」高島屋資料館所蔵より

● 山元 春挙。 (訪問着 ロッキー新雪・ 千總製。) 
● 竹内 栖鳳。 (訪問着 ベニス旅情・ 矢代仁製。)   
● 都路 華香。 (訪問着 春爛漫 )  ( 綴れ帯 吉野観桜・磐田製。)


● 神坂 雪佳。 (訪問着 春秋の華・千切屋製)
● 竹内 栖鳳。 (訪問着 大島紬。秋韻爽々。光琳風草花図より。秋場製。)

いずれも京都ならではの見事な出来栄えです。

私としては、大島の訪問着(秋韻爽々)に引き寄せられました。
古典的な大島もいいですが、これはまた、すばらしいデザインと職方さんです。

帯は龍村のシンプルな雀。じつにいい取り合わせです。
できればこうした美しい着物が日本人に愛されて、生活を豊かにできることになればどんなにいいでしょうか。お金のある方々、どうぞお買い上げくださいませ。

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そんなことを感じながら帰途、私はバスに乗っておりました。
この車中がたしかに私の住む庶民レベルのせかいだなあ、なんてクスクス…。

それにしても、たのしかったひとときでした。

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2007年2月 6日 (火)

ギターの弾き語り 維新の詩を読むchoriさん

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三条御池から日曜日の町並を撮影。

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新風館はここからすぐです。2月4日、日曜日の午後、ライブがありました。

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寒風のなか、最初のころは、客足が少なかったのは止むを得ません。

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出演者は、choriさん。ギターを弾きつつ、何編かの詩を朗読しました。ギターは朗読の声を妨げず、よく調和していたと思います。打楽器よりもよかったのではないでしょうか。
「維新」の朗読に私は耳を傾けていました。トークもあるがままに、失敗談からはじまり爽やかでした。

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この「維新」という詩について、若い女医のSさんがこんな感想を述べています。

一篇の現代詩に寄せて 

投稿日時 2007年2月 5日 (月曜日) 23時22分

今夜は、一つ、とても 素敵な詩をご紹介いたしましょう。

一つのことば、 一つの出来事に、思うことは人それぞれ。
その、色々な、それぞれなことを大切にして行きたいと思います。

この詩への、私の感想が、妨げになってはいけませんので、皆様まずはご一読ください。

この詩をご紹介くださった、素晴らしいHPも合わせてご紹介いたします。

維新
chori  http://rendezvou.exblog.jp/5047289/

◇◇◇

何かを生み出すというのは、非常に大きな力を必要とするものではないでしょうか。
そして、何かが生まれる「瞬間」に持つ、若い息吹や、活火山の中の煮えたぎるエネルギーのようなものを、感じ、圧倒されるときに感じる、えもいわれぬ昂揚感、これこそは、何かが開花するときに、生まれるときに、そして、若さを感じるときに、強く、強く、ただ感じるものだと思います。
この詩の持つ、若々しい、純粋な「力強さ」に、ただただ、圧倒されました。

・・・この詩を紹介していただいた、
    HPの管理者様との出会いについて・・・

以前から、色々な機会に、「信じる」ということが生み出す力の大きさに深い感銘を覚えます。特に、このことを言葉に出して表現したのは、学生時代に参加したフィリピン旅行での、NGO活動に取り組まれる方々や現地の皆様との出会いからでした。ごくごく短期間ではありましたが、お互いを信じて、一緒に何かを成し遂げていく様子を目の当たりにしたとき、信じあうこと、相手と向き合うことの大切さを、強く実感しました。信仰を持つ人同士の支えについても、それだからこそ、あれほど、強く、ひたむきなのだと、肌で感じることが出来ました。
そして、振り返って、信じあえる人と出会って、向き合っていける、自分自身の人生の、幸せ、運の良さを思います。
この詩を紹介してくださった方との出会いもまた、「心」や「言葉」の奥行きを信じあう、素晴らしいものになりました。その出会いを運んでくれたのは、宗教ではありませんが、「茶道」という、一つの、同じ「道」でした。そして、その一つの出会いが、私の友人と、この方とを継ぐことにもなりました。一つの出会いが、いくつもの、素晴らしい出会いを運んでくれることを、今日また、改めて、強く感じることが出来ました。

「信じること」。
どんなに、傍から見て、些細だと思われることでも、一つずつを、心をこめて、最後まで信じて、やりぬくこと。その刹那に感じたことが、一瞬なのか、永遠なのか、何れにしても自分にとっての「真実」を大切に、積み重ねていくこと。
生き物である私たちは、本来、時間と共に、醜く、汚れていく運命です。それに抗うのではなく、大切に積み重ねていくことを繰り返していくうちに、ただ汚れていくのではなく、その一方で、磨かれ、削ぎ落とされ、本質をあらわし、自らを結晶にすることも出来るのではないかと思います。

自らを、美しく結晶とする道を歩んでおられる方との出会いは、ともすると自らを律することを怠りがちな私にとっては、偶然ではなく、必然の出来事かと思います。この天啓を、信じて、少しずつでも、道を歩む努力を継続させなければ、と思いました。感じたことを、機会を、自らものと出来るかどうかは、全て己自身の努力次第なのですから。感謝の気持ちを表すのに、自分自身の歩む道で示すということは、非常に難しいことでもあります。ですが、初めての道ではなく、ありがたいことに、先人のある道、いつかは後姿が見えるように、その道を進んで行きたいと思います。

Sさんへのメール  わびすけ

2月 6日 (火曜日) 01時41分

今まであなたの記事を拝読しておりました。
涙が流れてきてとまりませんでした。

医療の現場でいずれあなたが病む人々にこのお気持ちで
接してくださることを目に浮かべてしまいました。

感謝のなかに。

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2007年1月30日 (火)

『維新』という詩 作者は京都の22歳青年詩人

これは私が管理しているミクシイのコミュニテイでの投稿記事です。

会員数は今日の時点で6270人。毎日参加希望者がひきもきらない状態です。
荒らしの襲来もなくはありません。そのため、多くの会員の方々のアドバイスを頂き、当分は「管理人の承認が必要(公開)」という設定にさせていただきました。

もちろん退会する方もありますが、本来、参加・退会は自由、というのが原則です。私は茶道に関連のある活動について、イベントの一つとしてトピックを作っています。その詳細は以下に。

●このコーナーは茶道をたしな方々が、実社会で活動されている別の催しを、フランクに書き込んでいただく為に立ち上げました。

個人の展覧会・発表会、或いはご自分に関わりある書物の紹介などもどうぞ率直に書き込んでくださいませ。 個人でもグループ活動でも、大いに宣伝してくださってけっこうです。お近くでしたら関心がある人々が参加されるかもしれません。 社会奉仕をなさる方々の近況報告も歓迎いたします。
ただ、宗教と政治は差し障りもございますので常識の範囲内でお願いしたいと思います。

生活者としてのさまざまな活動は、茶道の心に添うものであればたとえ苦しくてもいつかは実る行いとなるのではないでしょうか。 皆さまによりよき交流の輪が広がってゆきますことを蔭ながら念じております!

管理人

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●投稿  わびすけ

アーティストの心理という点で。 chori青年の最新の現代詩を一篇、ここでご紹介いたしましょう。

維新
chori

煙草を一本吸っていかないか
別にきみの名前なんてどうでもいい

東の空が白みはじめるころ
長かった今日が燃え尽きるまで
このひとりごとにつきあってはくれないか

ほんとうのところ
ぼくやきみは
誰かが放り出した過去なのかもしれない
ガードレールにもたれながら
そんなことを考えている

きみが19世紀に生まれていたらどうだろう
きみが別の星に生まれていたらどうだろう
きみが穏やかな春の日に生まれていたらどうだっただろう
そのひだまりは あたたかかっただろうか

とにもかくにも この国の詩人は病みすぎている
薬を飲まなきゃ吐き出せないようなことばがさみしい
切り傷だらけの手で書いた詩は 切り傷だらけの手にしか届かない
きみは神さまの名前を知らないし
神さまもきみの名前を知らない
つまり 興味がないんだ
携帯のアドレス帳もマイミクシィも相互リンクも
友だちって便利なことばだよな
けれどきみは心のどこかで誰かに気づいてほしいとおもってる
いくつになってもうまく煙草の灰を落とせないことを
無理やりつくった笑顔に でもきれいな片えくぼができることを
今までに一度だけだけれど 両親にありがとうと言いたくなったことを

ぼくはあんまり普通じゃない家庭に生まれた
1000年も2000年もつづいてるんだってさ
気が遠くなるほど現実がちっぽけで
その現実すら受け止められない自分はもっとちっぽけで
どれだけ希望や絶望を歌ったところでこれっぽっちも具体的じゃないんだ

煙草がなくなったならぼくのをあげよう
きみには軽すぎるかもしれないけれど 悪くないとおもうよ
朝はいつでも後ろから襲い掛かってきて
気がついたときには奪っていってしまう
楽しかったことや 楽しかったけれど楽しかったとおもいたくないこと
悲しいはずなのになぜだか楽しくなってしまったこととか そういうのまで

お互い いや違うな
ぼくときみはただのぼくときみでしかなくって
それ以外の関係性は今のところすべて嘘だもんな
共有しているのはこの5分ちょっとの間
それぞれの普通は それぞれの日常は
押しつけるためにあるわけじゃない
もうすぐ何かはじまるんだよ
そこに意味なんてひとつもないとしても

きょう
たくさんのひとが産まれてたくさんのひとが死んでたくさんのひとがきのうと変わりなく過ごしてたくさんのひとがきのうとはまるでちがう世界に驚いてたくさんのひとが何か取りこぼしてたくさんのひとがそれを拾い上げてたくさん愛したたくさん殺したたくさんの出来事がたくさんのニュースがとても他人ごとのようにたくさん流れ感動や嘆きを与えたくさんの幼児がたくさんの少年がたくさんの学生がたくさんの社会人がたくさん生きていてたくさん死んでいてたくさん変わってたくさん変わらなかったたくさんのきょうはやっぱりたくさんのきょうでしかなくてたくさんの明日はやっぱりたくさんそこで立ちすくんでいてたくさんのきのうなんてとっくに

帰る場所がなくなってせいせいしたんだ
そしてすぐ やわらかなブランケットが恋しくなった
できればあたたかな灯りが できれば隣でねむってくれる誰かが
できれば目覚めのいい明日の朝が できれば手帳に愉快な予定が
できれば できればがあとからあとから押し寄せてきて
ぐんぐんスピードを上げて自転車は国道沿いを突っ走る
どこへ向かってるかわからなくたって
どうせこの道はどこかへつづいている

すっかり灰になりかけた煙草から
次の煙草へ 小さな火をうつして歩きだす
ひとりごとにつきあってくれてありがとう
残酷な朝のひかりがアスファルトを叩きつける
誰も待っていなくともぼくは行くよ
なにかを変えるためではなく
なにか変わる瞬間を見たいから

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会員のコメント 

●Sさん

「創造する」ことを趣味に、あるいは仕事にされる方の「生み出す力」には、本当に、ただただ圧倒されます。

その意味では、chori氏の詩にも、「何かが生まれるときの力強さ」を感じさせられ、圧倒されました。わびすけ様、ご紹介ありがとうございます。

話は少し変わりますが、本日、淡交タイムスを拝読いたしました。お家元の書かれていた「座右の銘」に、改めて、裏千家に所属していて、このお話をうかがうことが出来てよかったと、深く感銘いたしました。

茶の湯の持つ、「「精神」を生み出す力」は、本当に素晴らしいものですね。いつも、ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

●Cさん(アメリカ)

chori さんの詩はいつも未来があっていいですね。若い時は死に憧れたりしがちですが、chori さんは優しさが溢れていて、勇気づけられます。

わびすけ様、chori さんの新しい詩を併せてご紹介いただきありがとうございます。


●Mさん

若い方の初々しい詩だなあと思いました。飽きずに一気に読めました。
50代になられたらもっと短い詩になるのではとふと思いました。

>誰も待っていなくともぼくは行くよ
>なにかを変えるためではなく
>なにか変わる瞬間を見たいから

これが60年安保の時代なら”何かを変えたい”つまりがんばれば
変えられるという幻想を抱くことが出来た時代だったなあと思いました。

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2007年1月28日 (日)

スライドショー 中宮寺の初春 中宮寺御流の初茶会

 
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1・28UP スライドショー 中宮寺の初春 中宮寺御流の初茶会

 中宮寺御流という茶道の流派があるのを ご存じでいらっしゃいましょうか。

 尼門跡 日野西光尊さまは中宮寺御流のお家元なのです。初釜の次の日にお社中の皆さまの内輪の会がございました。この日のスナップをスライドショーにしてみました。

 濃茶席は中宮寺ならではのお掛け物。 大正天皇さまご真筆でした。皇太子であられた頃のご染筆の由。

 箱書きは一日前の「初釜」の道具のお取り合わせから秋篠宮悠仁(ひさひと)親王さまご生誕慶祝の席と拝察いたしました。

 茶会記はご門跡みずからお書きになったもの。一日前の「初釜」の道具組と若干異なるとおっしゃっておりました。
 お席主は日野西さまの高弟であられます、91歳におなりになる師範のお方。尊いご精進のようすを学ばせていただきました。

 濃茶席、薄茶席ともに人形が飾られていて尼寺らしいしつらいでございました。

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2007年1月10日 (水)

裏千家今日庵初釜 坐忘斎家元の点前

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一会がおわりまして帰途につく途中、カメラで正月風景をすこしばかり。
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今日庵の兜門(かぶともん)を下から見上げるとお飾りが。

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京都の門松はシンプルに。

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お勝手にも。
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一願地蔵尊 近くにある祠です。小川通り、裏千家学園のすぐ北側に。額の花押にご注目。



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本法寺境内にある神社。法華の幟が新春のおもむきですか。


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本法寺の守護神にも似た長谷川等伯の顕彰碑。等伯手植えの松が見事です。


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これらは一会を終えてから帰途のつれづれに撮影いたしました。
平成十九年一月九日(火曜日)午後、ご宗家のお招きの時間に参上いたしました。

この日は午前中京都美術倶楽部で恒例の「松庵茶会一月例会」が開催されたのですが、私は会員ながら欠席いたしました。松庵茶会一月担当が親しくさせて頂いている大御所の赤坂政次さんでしたから、残念な気持ちはございました。

しかし、私は今日庵の初釜の午前中に、他の茶会へ出かける気にはなりませんでした。

先輩の方々は朗らかに、「午前中に松庵茶会に行ってきましたよ」とサバサバした表情。午後は裏千家初釜へと割り切っておられるのには、意外でした。私のほうが旧いのでしょうか?

私には、今日の日がかけがえのない初釜だったからです。

今年は坐忘斎家元のお点前が美しく、点前の合間合間にお話くださるその絶妙の話術に引き込まれました。感動したのは私だけではありますまい。参加している誰もが同じ感動を覚えたことと思います。


お家元が点てられた濃茶を、大宗匠がさっと手にとって正客に取り次がれました。
おみ足もしっかりされ、立ち居振る舞いが堂々とされているのに、一同胸をあつくするのです。
ことしが年男とお聞きします、84歳の大宗匠!


家元のおことば。

「家には、猪突猛進の元気なイノシイが一匹いまして。あとはウリ坊が5匹です。」

ウリ坊って、可愛い子どものイノシシなんですね。お家元と奥さまとお子様3人。合わせて5匹のウリボウ。
ああ、すぐには読み取れなかったのです(#^.^#)。


「7日の初釜初日には雪が降りました。梅の井の井戸水をいつも汲ませてもらいますが、すぐには水は変わりません。まあ、ゆったりとした感じです。きのうからぼちぼち、今日ころが一番いい水になっている気がします。

ま、漸く、どやどやっとといった処です。ここの井戸の水はゆったりと変わっていきます。」
お家元は二盌濃茶を練られました。私は業躰さんから勧められるままに坐りますと丁度10人目でした。五人さまで、ということで二盌目の詰めとしていただくことになったのです。

名水もお点前もお茶も、ほんとうに香りあるものでした。大宗匠のお点前で頂戴したのは、正教授を拝受した時でしたが、初釜で坐忘斎家元のお点前のお茶を頂くとは思ってもみないことでした。

私に茶道の手ほどきをしてくれたあの世にいます祖母、母を思い、口に含んだ濃茶はまったりとなめらかにいいお味でした。こころの中で私は一緒にいただきました。


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2003年3月25日撮影 今日庵 梅の井

拙サイト 今日庵名誉教授の方々

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2005年10月23日 (日)

9月30日 徳川美術館創立70周年記念の日に お招きを受けて

2005年9月30日


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