旅行・地域

2007年3月 8日 (木)

北海道~パリ 幸福の鐘 コウノトリ 

茶道を通じて若い方々とお付き合いするなかで、心あたたまる実話を聞くことがあります。

yukoの夫 pさん撮影 2006年春

                    幸福の鐘

今はフランスのパリ市に新婚家庭を築いている29歳のyukoさん。
その方から、昨夜メールが舞い込みました。新しいマンションに引っ越した為、インターネット環境が不自由(数ヶ月も不通)で、電話もなかなか取り付けられなかったようです。日本の便利さに慣れている私たちにはちょっとした驚きです。

航空郵便ではすでに、オメデタの知らせは来ていたのですが…。

「先生、ご無沙汰しています。
1月27日、出産しました!
心配を他所にすごく安産で赤ちゃんは3365グラムですごく元気な女の子です。」

うれしいお知らせでした。
でも、赤ちゃんの写真は昨夜、はじめてネットから送信されてきたのです。


お名前はリサちゃん。黒髪と黒いひとみ。おお、!!!

この赤ちゃんは、じつはコウノトリが運んできたと、yukoさんは昨年話してくれました。

北海道に彼と旅した日のこと。船に白い鳥が飛んできてふたりの傍を離れなかったそうです。

「私の父がやっと彼との結婚を許してくれて、彼が日本に挨拶に来た時桜を見せたくて北海道に行きました。」

「この時はただ、「かわいい鳥だねー」とか、「この鳥さん、私たちのこと好きみたいだね」ってはしゃいでいただけなのです。

それがフランスに帰って、 北海道の写真を見てこの鳥のことを思い出したのです。

こうのとりだったんだ!
って。

鳥さんと、重大な決意をしてくれた彼にとっても感謝しています。

彼に出会うまではどちらかというといつも強気な女でした。 
彼と赤ちゃんは私をすごく素直にしてくれました。 」

フランスのIT産業で若きエリートとして活躍するフランス人の夫君と、茶の心をもって生きようとするyukoさん。パリ市役所であたたかい祝福を受けながら結婚式を挙げられたのでした。

その時、夫君のおじい様が車椅子で出席されました。花嫁が身をかがめておじい様に挨拶される写真が私にはとても美しい光景に見えました。

きのうのメール

「先生、こんにちは。
やっとインターネットが開通して、ゆっくり家でミクシィが見れるようになりました。
どうぞこれからも宜しくお願いします。yuko 」



yukoさんのこと

2006年 10月 26日
カミーユクローデルが製作した兄・ポールクローデルの胸像


2006年 10月 30日  天龍寺献茶式に 恒例のご招待

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2006年11月 4日 (土)

MOA美術館における大徳寺塔頭・徳禅寺護持会記念茶会

写真は1, 左から 中宮寺ご門跡。 高桐院ご住職。 椿わびすけ。

この門は片桐門と呼ばれるものです。唐門とは別の門でこちらからご覧くださいませ。

[ 片 桐 門 ]

 「賤ケ嶽7本槍の一人、片桐且元が1590年薬師寺の普請奉行を努めた折、その宿舎の正門で唐門と共に大磯町の三井家別邸より移築しました。」

1日の夜、中宮寺の日野西光尊ご門跡からお電話でたってのご依頼が。

先月末にお寺で夜明けころに転倒され、不幸中の幸いで骨折はなかったものの、あちこち打撲があってお辛いご様子でした。

おついたちの裏千家ご宗家には何事もないかのようにお出ましになっていましたので全く思いもしないことでした。ほんとうに気丈なお方でいらっしゃいます。

ご門跡のご依頼とは、大徳寺塔頭の徳禅寺さんが開催される11月4日MIA美術館での記念茶会のご招待を頂いているので是非同道してほしいとのこと。お供の尼僧さんが生憎里帰り(?)しているとのお話でした。

こんな私ではお役に立たないと思いますし、かえって足手まといになりますと申し上げたのですが、すでに申し込みをされていたようですので主人にも相談した結果、お供をさせていただくことにいたしました。

熱海のMOA美術館での「徳禅寺護持会25周年記念茶会」

多くの来客のなかでご縁があった方、お正客の大徳寺・高桐院住職の松永剛山師。ご次客中宮寺日野西門跡。

写真1,4,5,は他のご連客のお方にシャッターを押して頂いたものです。他は私が撮影。


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3,

4,

5,

6,

茶会記はまた後日、お伝えいたしますね。ちょっとつかれています。




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2005年10月29日 (土)

新宿区 漱石公園

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去る5月23日、歌舞伎町の新宿区役所を訪問された松岡陽子マックレインさんとご一緒した折、部長さんのご配慮で漱石公園まで公用車で連れて行っていただいた。

 早稲田町にあった漱石の住居の書斎が「漱石山房」とよばれるもの。戦災で消失したその跡地は都営アパートとカギ形の地形の公園になっている。有名人の記念館は数多いがこれまで漱石の為に作られた本格的記念館はなく、漸く「漱石山房」復元の動きになった。

 東京都で初の女性区長が昨年誕生。以後着々と文化面の充実がはかられたようだ。あの悪名高かった歌舞伎町が通りすがりのよそ者の私の目にも活気あるよい町の様相にうつる。新宿区ホームページには住民の声に耳を傾ける女性区長中村さんの容姿がステキだ。

 陽子さんも区長さんの噂はきいて知っておられた。とにかく情報は新しく、明快なものの見方が若々しい。年齢を超えてこの未熟者の私にも対等に話してくださる陽子さん。
 教師臭がなく正直なご性格はおじい様の漱石ゆずりかと思ってみたりする。

 漱石が修善寺大患のことを書いた『思い出すことなど』にある文章が私は好きだ。漱石は重病からよみがえった時、赤とんぼを見た。その一節。

 空が空の底に沈み切ったように澄んだ。高い日が蒼い所を目の届くかぎり照らした。余はその射返しの大地に洽(あま)ねき内にしんとして独り温もった。そうして眼の前に群がる無数の赤蜻蛉を見た。そうして日記に書いた。――「人よりも空、語よりも黙。……肩に来て人懐かしや赤蜻蛉」

 漱石公園の漱石胸像にも、この句が彫られている。禅的な境涯だと思われるが、いやいや…自分には程遠いと思う。

 今日の画像は赤いブラウスがよく似合う陽子さん、実際私たちは終日おしゃべりを楽しんだのであった。

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2005年6月12日 (日)

サロン

2005年6月12日

2002年の暮から愛用していたnoteブックでした。

この度、ひとまずお休みして、ブログを新たにニフテイさんに申し込みました。

使い勝手がまだ…どうも馴染まないのです。

これまでのnoteブックのようにはいきませんね。

いまは、他の皆さまの様子を伺いながら、といったところです。

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